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■ 血洗島 諏訪神社の御朱印

緊急事態宣言は解除されますが、引きつづき感染拡大防止策の徹底が要請されています。
参拝の際は、ご留意をお願いします。




NHK大河ドラマ「青天を衝け」。近代ものにしては視聴率は好調のようです。
話題のスポットにはほとんど行かない性分ですが(笑)、東日本が舞台となるひさびさのの大河ドラマということもあって、先日、渋沢栄一翁の郷里である深谷市血洗島に行き、当地の鎮守社である諏訪神社に詣でて御朱印をいただいてきました。

埼玉県深谷市血洗島117
埼玉県神社庁資料
御祭神:建御名方命
旧社格:村社、旧血洗島村鎮守、神饌幣帛料供進神社
授与所:拝殿前
朱印揮毫:諏訪神社 印刷

大河ドラマがらみだけあって、すでにWeb上でもかなりのコンテンツがみつかりますが、その多くは「大里郡神社誌」をベースにしているようなので原文からの引用をまじえてご紹介します。

『大里郡神社誌』(埼玉県神職会大里郡支会 編/昭和五年八月二十五日刊)
国会図書館DC

----------- 以下(抜粋)引用 -----------
諏訪神社
舊(旧)榛澤郡血洗島村中南
・伝説によれば本社は舊(旧)諏訪大明神と称へ往古年代不詳、信州諏訪の里より遷し奉りしものなりと云ふ
・景行天皇の御宇日本武尊御東征凱旋の時此地を御通過あらせられ 祠前記念の植樹なりと伝ふる欅樹周囲四丈に余る老幹頗る古色を呈するものありけるが
・朱雀天皇の御代天慶の乱に六孫王経基官軍を率いて竹の幌(大字下手計附近の地)にありしが 之より先当諏訪神社に戦勝の祈願をなし大に戦勝を得たりと云ふ
・源平交戦の頃岡部六彌太忠澄 亦屢々茲に祈願して戦功を奏せしと云ふ
・慶長十九年岡部領となり領主安部攝津守在邑の時は 代々武の神と崇め叉戌亥の方角に当るを以て城郭の守護神として崇敬せられ 年々正月には領主自ら参拝して武運長久を祈願するを例とせりと云ふ
・明治三十七八(ママ)年戦役戦捷記念として本社の拡張を企図し当字出身たる渋澤子爵を始として氏子(中略)社殿の修築(同)を完成し
・舊(旧)村鎮守と奉称明治八年三月村社に列す 明治四十年十月三日神饌幣帛料供進神社に指定せらる
・元神社氏子区域血洗島一円戸数五十戸現在も同じ
・当社の氏子に生れ現在世界の偉人として仰がるゝ渋澤子爵の崇敬篤く 参拝は言う迄もなく多額の金員を寄附せられ 叉巨費を投じて現今の拝殿を造営し且つ幟及額等は自ら揮毫せられて寄進せらる
----------- (抜粋)引用おわり -----------

岡部六彌太忠澄は、武蔵七党のうち猪俣党の庶流岡部氏の当主で、保元の乱で源義朝に仕え、平治の乱では源義平の下で軍功をあげた十七騎の雄将として知られ、のちに源頼朝・源義経に仕えて一ノ谷の戦いで平忠度を討ち取った(『平家物語』)とされる武将です。

安部家は江戸期に一貫して岡部藩藩主を務めた家柄で、多くの当主は攝津守を称しました。
信濃の名族滋野氏・海野氏の流れとされ、駿河の安部谷に拠り戦国期当初は今川氏、のちに徳川の麾下に入り家康公の関東入国の際、岡部で五千石の旗本。
追って加増をうけ約二万石の大名家となりました。

所領は本領の武蔵国榛沢郡のほか、上野国新田郡、三河国八名郡、摂津国豊島郡、丹波国天田郡などに分散し、本領岡部の領地よりも他領の石高が高かったとされ、歴代当主の多くは大坂定番・加番などを務めていたため、関心は上方に向いていた節があります。
この点は、幕末の当主、信発が慶応四年(1868年)、新政府に対して本拠を三河半原藩に移すことを嘆願、許されて半原藩領主となったことからも伺えます。
このような、当主の岡部領への関心のうすさも、渋沢栄一の岡部藩への反発を招いた一因かもしれません。

渋沢家の出自についても少しく調べてみました。
(公財)渋沢栄一記念館の「デジタル版『渋沢栄一伝記資料』」には下記の記述があります。
〔竜門雑誌 第一六一号・第一八―一九頁 〔明治四三年一〇月〕 渋沢家の系図に就て〕

もともと「渋沢氏の先足利氏に出つると云ふ」という伝承があり、歴史家の織田完之氏がこれに疑問を呈して調査したところ
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「足利一族には無之様被存候渋沢にて世に聞へたるもの甲州北巨摩郡渋沢村に出候」
〔系図〕
清和天皇 貞純親王 経基 満仲 頼任 頼義 新羅三郎義光 相模介義業 刑部三郎義清 逸見冠者清光 逸見上総介光長 武田大膳太夫信義 逸見太郎基義 逸見太郎惟義 逸見又太郎義重 逸見又太郎惟長 渋沢又二郎義継 巨摩郡渋沢村に居る 弟四人あり
「甲州より出て上杉に属し候者に相違無(略)市郎右衛門尉と申すは逸見郷住居の者にも有之候又天文前後の人に新十郎後に隼人正義頼又其子に小隼人高義と申人有(略)渋沢氏は足利一族には決して無之清和源氏新羅三郎の派即甲斐源氏と相見申候」
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という調査結果がもたらされたようです。

※『青淵先生六十年史』(こちら)には、「渋澤氏の先足利氏に出ツルト云フ天正の頃渋澤隼人ト云フモノアリ武蔵国榛澤郡血洗島住ス蓋(?)渋澤氏ノ始祖タリ」とありますが、他の資料には渋沢家が清和(甲斐)源氏逸見氏流であることを伝えるものが複数みられます。

甲斐源氏説の渋沢家の動向については確実な史料は見当たらないようで、名字の地である甲斐国渋沢(現・山梨県北杜市)から一旦佐久に拠り、のちに血洗島に入植したという説、武田氏滅亡の折に甲斐から直接血洗島に入ったという説、さらには一時上杉家に属したという説もあり錯綜気味です。

こちらのWeb記事には、「逸見氏の一族又三郎義継は、旧渋沢村に移住し、以後、渋沢姓を名乗ったそうです。武田家滅亡後、織田信長が侵攻してきたため、渋沢一族は北杜市から佐久市、富岡市を経て深谷市血洗島へ逃れ、武士を捨て農業に従事したとのことでした。」という貴重な記載があります。

渋沢栄一翁とは経営理念の違いから対比されることの多い三菱財閥の創業者、岩崎弥太郎氏は甲斐源氏武田氏流といわれ、「鉄道王」といわれた根津嘉一郎氏も甲州出身、「地下鉄の父」と呼ばれる早川徳次氏のほか、若尾逸平氏、雨宮敬次郎氏など「甲州財閥」といわれる甲州出身の面々が数えられ、日本の資本主義の発展に甲州ゆかりの人々が名を連ねているのは興味ぶかいことです。

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【写真 上(左)】 血洗島交差点
【写真 下(右)】 深谷ねぎ

血洗島は深谷市の北部、利根川にほど近いところにあります。
このインパクトある地名の由来については、こちらなどWeb上で多くの説がみられますので、そちらをご参照ください。

参拝時はからっ風の吹く強い冬型の日で、岡部から小山川を渡り、上手計・血洗島エリアに入ると北西風はさらに強さを増しました。
赤城山からここまで遮るものがなく、利根川に沿って「赤城おろし」がまともに吹き込むのでこのような強風になるのかもしれません。

深谷といえば「深谷ねぎ」が有名です。これは根深ねぎ(白ねぎ)系統で、寒さが増すほど味が乗るといわれます。
乾いた寒風にさらされると、ねぎは凍結から身を守るためアミノ酸を糖分に変え甘味が増すとされます。
「深谷ねぎ」のなかでも最上品の産地は旧豊里村の中瀬とも新戒ともいわれますが、どちらも血洗島のすぐとなりで、このあたり特有の冬場の強風が上質なねぎを生み出していることがうかがわれます。

また、白ねぎは「粘質が高くて硬く、かつ水はけが良い沃土」という相反するような土壌で味が高まるといわれ、このあたりの土質はこれに該当するともいわれます。

なお、このあたりの村の変遷は以下のようになっています。
明治22年(1889年)4月1日に上手計村、下手計村、大塚村、血洗島村、横瀬村、町田村、南阿賀野村、北阿賀野村の八箇村が合併し榛沢郡手計村となり翌年八基(やつもと)村と改称する。
昭和29年(1954年)11月3日に八基村と新会村が合併し豊里村を新設、さらに翌年豊里村が中瀬村と合併し豊里村となる。


【写真 上(左)】 中の家
【写真 下(右)】 中の家内部


【写真 上(左)】 中の家横の稲荷社
【写真 下(右)】 深谷名物「煮ぼうとう」のお店もあります


はなしが逸れました。
諏訪神社は、渋沢栄一の生家「中の家(なかんち)」からほど近い場所に鎮座します。
社頭よこにPはありますが、「中の家」のPに駐車して歩いて参拝する人が多いようです。


【写真 上(左)】 社頭と社号標
【写真 下(右)】 深谷ねぎと諏訪神社


【写真 上(左)】 血洗島ふれあい会館
【写真 下(右)】 澁澤親子遺徳顕彰碑

社頭の社号標は渋沢栄一翁の揮毫とされているようです。
参道右手には「血洗島ふれあい会館」という、なかなかインパクトある名前の建物。
その先に「澁澤親子遺徳顕彰碑」。



【写真 上(左)】 参道
【写真 下(右)】 鳥居


【写真 上(左)】 鳥居扁額
【写真 下(右)】 境内由緒書

鳥居は瓦屋根を配した木造の両部鳥居で、見上げ破風屋根の下に栄一翁揮毫の社号扁額。
参道途中に「宮城遙拝所」があります。


【写真 上(左)】 境内
【写真 下(右)】 渋沢青淵喜寿碑

参道左手に手水舎。
左手おくには栄一翁の喜寿を記念して建立された「渋沢青淵喜寿碑」があります。

拝殿前には栄一翁手植えの月桂樹と、翁の長女穂積歌子が父のために植えた橘が植わっています。
拝殿下に石灯籠一対。階段を登って狛犬一対。


【写真 上(左)】 拝殿
【写真 下(右)】 拝殿向拝

拝殿は、向拝はありますが構成は比較的シンプルで扁額もありません。
拝殿は、大正5年(1916年)栄一翁が喜寿を記念して造営寄進したものです。



【写真 上(左)】 本殿と天満宮(右)
【写真 下(右)】 本殿

拝殿と本殿は繋がっておらず、入母屋造瓦葺妻入りとみられる本殿は立派な向拝を備えています。
この本殿は明治49年(1907年)、栄一翁と血洗島村人の費用折半で造立されたもの。


【写真 上(左)】 本殿向拝-1
【写真 下(右)】 本殿向拝-2

入母屋造銅板葺流れ向拝、水引虹梁端部の木鼻は正面獅子、側面貘でともに立体感あふれる仕上がり。
向拝柱上部に端正な斗栱、水引虹梁に鳥を彫り込んだ彫刻、中備えの龍の彫刻はこれも見応えがあります。


【写真 上(左)】 本殿の向拝見上げ
【写真 下(右)】 本殿の木鼻彫刻

海老虹梁と立体感ある手挟。垂木は三軒(みのき)では?。
向拝正面の桟唐戸(閉扉)上段にお諏訪様の梶の葉紋。見上げの社号扁額は栄一翁の揮毫です。
脇障子の彫刻もなかなか見事なものです。


【写真 上(左)】 本殿扁額
【写真 下(右)】 向拝の軒天

この日は参拝客がぼちぼちいましたが、ほとんどの人は本殿まで回り込まず、拝殿で参拝して帰って行きます。
本殿は見応えがあるので、こちらの拝観もおすすめします。

境内社は本殿右脇に天満宮(一間社流造桟瓦葺)。左手に鎮座される石宮のうちどれかは八坂社のようです。

こちらは秋10月に催される獅子舞でも知られており「血洗島獅子舞」の名称で深谷市の無形民俗文化財に指定されています。

この獅子舞は栄一翁もふかく愛したと伝わります。

〔澁澤青淵翁喜壽碑 公爵 徳川慶久題額/抜粋〕
吾村は武蔵平野の小村ながら、翁の如き大人物を出したるを誇とすべし。
翁や青年の頃村を去りて国家の為に奔走し、今は世界の偉人として内外に瞻仰せらるれども、
我等は尚翁を吾村の父老として親しみ慕ひ、翁も亦喜びて何くれと村の事に尽すを楽となせり。
村社諏訪神社は、翁が幼少の時境内にて遊戯し、祭日には村の若者と共に、さゝらなど舞ひたる事あれば、
村に帰れば先づ社に詣づるを例とし、社殿の修理にも巨資を捐てゝ父老を奨励したり。
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【写真 上(左)】 本殿の脇障子
【写真 下(右)】 御朱印付のパンフ(拝殿前)

御朱印は拝殿前のプラケースの中に入っているパンフの一部がそれです。
一人1枚の限定配布(無料)ですが、私が参拝した日曜昼前にはすでに残数5枚でした。(補充のタイミングは不明)



新一万円札の見本も刷られたパンフで、この一部の印刷御朱印を切り取って御朱印帳に貼り付けるというものです。
こういう方式ははじめてですが、印刷でも御朱印は御朱印なので、300円程度のお納めを受けてもいいような気はします。

たとえば拝殿前に整理券を置き、その整理券持参者に「中の家」の係員が御朱印付パンフを300円で交付するという方法も考えられるのでは?


【写真 上(左)】 下手計 鹿島神社
【写真 下(右)】 鹿島神社の拝殿扁額(栄一翁揮毫)

なお、下手計の鎮守社で、栄一翁の師、尾高藍香の頌徳碑や栄一翁揮毫の扁額がある鹿島神社は、以前御朱印を授与されていたというWeb情報がありますが、現在は授与されていないようです。

深谷市策定の「渋沢栄一翁と論語の里」整備活用計画という資料があります。
よくまとまっているのですが、やはりハードウェア偏重な感じがして、市内の回遊性を高めるソフト的な(具体的な)インパクトがあまり感じられません。(自治体の地域振興計画にありがちなパターン)

深谷は札所も多く、“秋の七草”巡りができる深谷七福神も開創されているので、これらと組み合わせた市内寺社のスタンプ(御朱印)ラリーなど設定すればかなりの参加者が見込めるかも。
(ちなみに深谷七福神は、ほとんどの札所で通年御朱印対応されています。)

今回、「中の家」周辺では「深谷七福神」の案内はまったくみあたらず、観光客の多くは認知しないまま帰っていくと思います。

周辺の熊谷、本庄、伊勢崎、太田などは首都圏でも有数の御朱印エリアで、とくに伊勢崎、熊谷には絵入り御朱印で有名な寺院が複数あるので、御朱印つながりで客足を引きやすいところです。
新型コロナの感染状況次第でしょうが、今後“秋の七草”に向けて御朱印絡みのあらたな集客策が打ち出されるかもしれません。

※別編で関越自動車道「花園IC」から血洗島に向かう途中で拝受できる御朱印をご紹介します。

■ 熊谷市・深谷市の御朱印(渋沢栄一翁郷里の地へのアプローチで拝受できる御朱印)

【 BGM 】
Goodbye Yesterday - 今井美樹 from LIVE @ORCHARD HALL 2003 TOKYO
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