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■ 日本神社の御朱印

■ 熊谷市・深谷市の御朱印(渋沢栄一翁郷里の地へのアプローチで拝受できる御朱印)をUP中ですが、深谷からもうすこし足を伸ばすとこのところ認知度が上がりつつある「日本神社」がありますので、こちらについてまとめてみます。


■ 日本神社 
本庄市児玉町小平1578
御祭神:神武天皇
旧社格:旧小平村鎮守(石神社)
元別当:村民持(小平村)
授与所:東石清水八幡神社社務所(本庄市児玉町児玉198)、神社下の新井商店、宮司様宅(連絡先は現地に掲示)のいずれかで授与されている模様。

境内掲示の由緒書および『埼玉の神社』(埼玉県神社庁)などから由緒をたどってみます。
延暦十年(791年)、坂上田村麻呂が蝦夷平定に赴く際に当地に立ち寄り、神武天皇を祀って戦勝を祈願、無事平定の後に社殿を建立したのが創祀とされます。

当初は神武神社と称していたといい、また鎮座地の小名を古くから神山と呼ぶことから、古来当地は信仰の対象とされてきたとみられています。
当地は従前、那珂郡小平村に属し、小平村の集落は東小平と西小平に分かれて、当社は西小平に御鎮座でした。
文化・文政期(1804年-1829年)に編まれた『新編武蔵風土記稿』の小平村の項(国立国会図書館DC)に「日本神社」の記載はなく、「石神社二宇 共に村ノ鎮守ニテ村民持以下三社持同シ 熊野社 稲荷社、駒形社」とあります。

『埼玉の神社』の石神神社(せきじんじんじゃ)の頁に「『風土記稿』小平村の項には『石神社二宇 共に村ノ鎮守ニテ村民持』と二社の石神社が記され、この内一社が当社(石神神社)であり、明治五年に村社となった。もう一社の石神社は無格社とされ、明治七年に神武天皇社(現日本神社)に合祀された。」とあります。

一方、境内由緒書には、「明治五年に東小平の石神神社が村社に列したが、当社は無格社とされた。『西小平にも石神神社に匹敵する大きな神社が欲しい』との地元の強い要望から、明治七年に西小平の各地に鎮座する稲荷神社・桜木神社・黒石神社・駒形神社・石神社・山神社の六つの無格社を、神武天皇を祀る当社に合祀」とあります。

以上から、江戸期から西小平に御鎮座の神武神社、ないし神武天皇社に小平村の鎮守社のひとつであった石神社ほか五社を合祀したということになります。
ちなみに『新編武蔵風土記稿』の小平村の項には、上記六社のうち、稲荷社、駒形社の名が見えます。

合祀以来、地元では当社を「合社様」、当社の鎮座する山を「合社山」と呼びましたが、明治十四年(1881年)に社名を日本神社と改めたとされます。
なお、日本神社と改めた理由については、具体的な史料が見つからず不明です。

大正二年(1913年)に村内各社を石神神社へ合祀した際、当社は合祀を拒否した模様で、「村社石神神社ヘ諸神合祀ノ際小平一同協議ノ上本社ハ旧来ノ通り祭置クコトトス」との一文を刻んだ大正五年(1916年)の社殿建設記念碑が境内に建っているそうです。
(筆者未確認)

社号を「日本神社」に改めたこと、合祀を拒んだことなどから、西小平の郷民の当社に対する強い尊崇の念がうかがわれます。
境内由緒書によると、御祭神は神武天皇。御神徳は武運、国土守護、災難除けです。

神武天皇(神日本磐余彦尊)を御祭神とする神社は、奈良の橿原神宮、宮崎の宮﨑神宮、奈良県御所市の神武天皇社、広島県府中町の多家神社 (埃宮)などが知られていますが、西日本メインのようです。
東日本では比較的めずらしいとみられ、Web検索では、茨城県ひたちなか市の橿原神宮、長瀞の寶登山神社、加須の神武天皇社、相模原市青根の神武天皇社、池袋の御嶽神社がヒットする程度です。



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児玉町市街から県道287号長瀞児玉線県道を長瀞方面に進んだ所にあり、すぐ近くには児玉三十三ヶ所霊場発願寺の平等山 成身院(百体観世音)もあります。


【写真 上(左)】 新井商店と参道入口
【写真 下(右)】 参道入口


【写真 上(左)】 長々とつづく参道
【写真 下(右)】 門柱

駐車場はないですが、参道入口の新井商店周辺に若干のスペースはあります。
新井商店右手前に「日本神社 入口」の立派な石標が立っています。
ここから神社が鎮座する奥手の小山に向かって、参道が長々とのびています。

その先に門柱があり、「一般車両進入キンシ」の掲示があります。


【写真 上(左)】 参道登り口
【写真 下(右)】 参道-1


【写真 上(左)】 参道-2
【写真 下(右)】 参道-3

小山のふもとの登り口で向きを変えて左手の細い道に入りますが、「日本神社」のノボリが立っているので、迷うことはないかと。
細い登り坂がつづき、ついに急な階段となる、かなりハードな参道です。
階段の登り口あたりで、ようやく木の葉隠れに拝殿が見えてきます。


【写真 上(左)】 拝殿が見えてきました
【写真 下(右)】 鳥居

石の鳥居は貫の突き出しがない神明鳥居系で、そのおくに石灯籠一対、正面の拝殿前に狛犬一対。
向かって右手に社務所、左手に神楽殿。
南面で、拝殿前に樹木はないので明るく開けた感じの境内です。


【写真 上(左)】 境内
【写真 下(右)】 拝殿前


【写真 上(左)】 社務所
【写真 下(右)】 神楽殿

拝殿は切妻造桟瓦葺平入りで、大ぶりな巴紋の拝殿幕が掛けられています。
拝殿じたいの規模は大きくないですが、両翼に切妻造平入の境内社殿を配しているので、スケール感があります。


【写真 上(左)】 拝殿
【写真 下(右)】 斜めからの拝殿.


【写真 上(左)】 右手からの拝殿
【写真 下(右)】 左手からの拝殿

『埼玉の神社』によると、境内社の配置は向かって右手の拝殿側から順に、琴平社、黒石社、稲荷社3宇、桜木社、八坂神社。
左手の拝殿側から順に、石神社、駒形社、天神社、白山社、山神社、御嶽山神社、三笠山神社と並ばれます。


【写真 上(左)】 境内社
【写真 下(右)】 境内社

拝殿に向拝柱はなく、見上げに社号の扁額が掛けられています。
軒裏の垂木は粗で、太くがっしりとしたものです。


【写真 上(左)】 向拝見上げ
【写真 下(右)】 扁額

本殿については詳細不明ですが、切妻造桟桟瓦葺の覆屋のなかに御鎮座のようです。

境内社殿に通常のダルマと青いダルマがいくつも置かれていました。
社名や武運の神様という御神徳にちなんで、サッカー日本代表チームをはじめオリンピック代表選手などが必勝祈願に参拝し、ダルマを奉納するそうです。
新型コロナ禍でなければ、東京五輪を前に、参拝客で大いに賑わったかもしれません。


【写真 上(左)】 青ダルマ
【写真 下(右)】 神楽殿欄間の龍の彫刻

※スポーツ関係者の参拝を報じる記事
同記事には「『日本』と名の付く神社は、神社庁に登録されている全国の神社では同神社のみ。「日本唯一の社」として同神社はスポーツ関係者らが必勝祈願に訪れる神社となった。2010(平成22)年のサッカー・ワールドカップで、児玉商工会青年部が青いだるまに祈念を込め代表チームに贈って以来、日本女子サッカー代表チーム、オリンピックに出場した三宅宏実選手など、スポーツ関係者が頻繁に参拝に訪れ『必勝祈願』を行うようになった。」とあります。

ダルマはお守りなどは、新井商店で販売されているようですが、参拝時は定休日だったので詳細不明です。

御朱印は、東石清水八幡神社社務所(本庄市児玉町児玉198)、宮司様宅(連絡先は現地に掲示)、神社下の新井商店のいずれかで授与されている模様ですが、直書いただきたい場合は八幡神社か宮司様宅、いずれかの選択になるようです。
ちなみに、わたしは八幡神社にて拝受しました。

日本神社の御朱印は2種類あり、同時にいただけます。
八幡神社の御朱印も数種類あり、見本が出ているのでいただきやすいです。


〔拝受御朱印〕
御朱印揮毫:日本神社 直書(筆書)



【写真 上(左)】 日本神社の御朱印(旧)
【写真 下(右)】 日本神社の御朱印(新)


【写真 上(左)】 東石清水八幡神社の八脚門
【写真 下(右)】 東石清水八幡神社の拝殿


【写真 上(左)】 東石清水八幡神社の御朱印(旧)
【写真 下(右)】 東石清水八幡神社の絵御朱印


【 BGM 】
■ 夢の大地 - Kalafina
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