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「歌舞伎十八番」 外郎売

2013年07月17日 21時07分37秒 | 名文(規範)
 「歌舞伎十八番」 十二代目 市川団十郎 著  河出書房新社 2002年

 <言い立てのない「ういろう」>

 「外郎売」も独立した芝居ではなく、一つの演技形態といえます。
外郎という名の渡来人が、小田原で売り出した薬「透頂香(通称ういろう)」を売り歩く時の宣伝口上
つまり「言い立て」を弁舌爽やかにお聞かせする趣向です。

 父は、市川宗家と養子縁組をして九代目海老蔵を襲名した昭和十五年五月、
歌舞伎座で川尻清潭先生の脚本による「ういろう」で外郎売を演じています。
舞台は鬱蒼とした箱根権現の杉林、ちょうど辻行燈が並んでいる「妹背山婦女庭訓」の道行のような装置で、外郎売に身をやつした曽我五郎と虚無僧姿の十郎が、そこで仇の工藤祐経と出会うという筋です。
 この「ういろう」には眼目の言い立てがなく、その部分は長唄と常磐津による踊りでした。
私は、昔のように外郎の言い立てを復活できないものかと構想を練りましたが、
肝心の言い立てをどのようにしゃべったらいいのか見当がつきません。
 その後、思いがけなく外郎の言い立てをしている講釈師のテープが見つかり、それが突破口になりました。

 <復活>

 さっそく劇作家の野口達二先生に構想を伝えて台本を書いていただきました。
野口先生は、ひとりでしゃべるにはあまりにも膨大な量の「言い立て」を大薩摩を入れて
ちょうどいい寸法にしてくださいました。
 
 舞台装置も背景を富士山にして、松を配し、二代目が活躍した頃の芝居小屋を模して破風造りの
屋根をかけるなど私の希望をくんで、鳥居清先生に道具長を描いていただきました。
 こうして新しい「外郎売」を昭和五十五年五月、歌舞伎座の円菊祭で上演することができました。

 「外郎売」復活には、また現実的な理由もありました。
 歌舞伎の正月公演には曽我物を上演する習慣があり、長い間に上演された曽我物の芝居は
数知れずあるのです。
ところが、近年は「寿曽我対面」ばかりで、若手の頃の私も朝の序幕に「対面」ばかりやらされていました。
「対面」にかわる明るくめでたい曽我物はないかと考え、思いついたのが「外郎売」でした。
 こうして復活した「外郎売」は、その後幾度も再演する機会を得て、
今年襲名した松緑も演じてくれました。
倅の新之助は六歳の初舞台に私とふたりで外郎売を勤め、今年の一月には狂言なかばの口上に
市川家の「睨み」を加えた演出を、大阪松竹座でお目にかけました。
「外郎売」がこれからも演じ継がれていくように、立ち廻りや口上などさらに練り上げていきたいと
思っております。