「神も仏もありませぬ」 エッセイ集 佐野 洋子 著 筑摩書房 2003年
「フツーに死ぬ」 P-48
前略
本当にあと一週間なのか。もしかしたら、今そのまんま死んでしまっても不思議はないのか。
苦しいのか。痛いのか。ガンだガンだと大さわぎしないで、ただじっと静かにしている。
畜生とは何と偉いものだろう。
時々そっと目を開くと、遠く孤独な目をして、またそっと目を閉じる。
静かな諦念がその目にあった。
人間は何とみっともないものなのだろう。
じっと動かないフネ(佐野さんの飼っている猫の名前)を見ていると、厳粛な気持ちになり、
九キロのタヌキ猫を私は尊敬せずにいられなかった。
中略
フネは部屋の隅にいた。クエッと変な声がした。ふり返ると少し足を動かしている。
ああ、びっくりした、死んだかと思ったよ。
二秒もたたないうちに、またクエッと声がして、フネは死んだ。
全然びっくりしなかった。
私は毎日フネを見て、見るたびに、人間がガンになる動転ぶりと比べた。
ほとんど一日中見ているから、一日中人間の死に方を考えた。考えるたびに粛然とした。
私はこの小さな畜生に劣る。
この小さな生き物の、生き物の宿命である死をそのまま受け入れている目にひるんだ。
その静粛さの前に恥じた。私がフネだったら、わめいてうめいて、その苦痛をのろうに違いなかった。
私はフネの様に死にたいと思った。人間は月まで出かける事が出来ても、フネの様には死ねない。
月まで出かけるからフネの様には死ねない。フネはフツーに死んだ。
太古の昔、人はもしかしたらフネの様に、フネの様な目をして、フツーに死んだのかも知れない。
「うちの猫死んだ」とアライさんに報告したら、「そうかね」とアライさんはフツーの声で云った。
「フツーに死ぬ」 P-48
前略
本当にあと一週間なのか。もしかしたら、今そのまんま死んでしまっても不思議はないのか。
苦しいのか。痛いのか。ガンだガンだと大さわぎしないで、ただじっと静かにしている。
畜生とは何と偉いものだろう。
時々そっと目を開くと、遠く孤独な目をして、またそっと目を閉じる。
静かな諦念がその目にあった。
人間は何とみっともないものなのだろう。
じっと動かないフネ(佐野さんの飼っている猫の名前)を見ていると、厳粛な気持ちになり、
九キロのタヌキ猫を私は尊敬せずにいられなかった。
中略
フネは部屋の隅にいた。クエッと変な声がした。ふり返ると少し足を動かしている。
ああ、びっくりした、死んだかと思ったよ。
二秒もたたないうちに、またクエッと声がして、フネは死んだ。
全然びっくりしなかった。
私は毎日フネを見て、見るたびに、人間がガンになる動転ぶりと比べた。
ほとんど一日中見ているから、一日中人間の死に方を考えた。考えるたびに粛然とした。
私はこの小さな畜生に劣る。
この小さな生き物の、生き物の宿命である死をそのまま受け入れている目にひるんだ。
その静粛さの前に恥じた。私がフネだったら、わめいてうめいて、その苦痛をのろうに違いなかった。
私はフネの様に死にたいと思った。人間は月まで出かける事が出来ても、フネの様には死ねない。
月まで出かけるからフネの様には死ねない。フネはフツーに死んだ。
太古の昔、人はもしかしたらフネの様に、フネの様な目をして、フツーに死んだのかも知れない。
「うちの猫死んだ」とアライさんに報告したら、「そうかね」とアライさんはフツーの声で云った。
そうかも知れませんね。
少なくとも死に関しては。