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「声が生まれる」 音が聞こえる その3 竹内 敏晴

2016年12月11日 01時16分35秒 | 朗読・発声
 「声が生まれる」聞く力・話す力  竹内 敏晴  中公新書  2007年

 音が聞こえる その3 P-12

 その次に、「ことば」の内容を聞き分ける努力、がやってくる。
 まず単語を聞き分けること。一つの単語はいくつもの音で成り立っている。音には強弱のアクセントがある。ある音ははっきり聞こえるがある音は聞こえない。聞き留める音の連なりから欠け落ちてしまう。この語はなんなのだろう?聞き返さねばならぬことがのっぴきならず出てくる。そのために「わたしは耳が悪いので」と告白しなくてはならない。その勇気が身につくまでなん年かかったか。

 文章の場合は同じことが一層しばしば起こった。文章の一部が欠け落ちたのを判読するのは暗号解読みたいなものだ。神経を張り詰めて、残った音の記憶から原文を復元しようとあれこれの音を手探りする。人、特に教師には一定の語り癖があって、それに気がつくには忍耐と時間が要った。

 それでもおよそ半年ほどで、わたしは授業をかなり聞き分けられるようになっていった。驚いたことに成績が一気に上がってきた。試験の手応えなど自分としてはあまり変わらないのに。教師の見る目が変わってきたのだろうとしか思えなかった。採点にも偏見があるんだなあ、とわたしは時々感じたものだった。軍事教練は除外されないようになった。小隊長にも任命された。しかしまだ号令をかけられるほどの声は出すことができなかったので、小隊長はすぐ交替させられた。

 (中略)

 五年に進級する時、わたしは一年生の時以来四年ぶりに後ろの席に座った。
 卒業直前の1941年12月8日に太平洋戦争が始まった。わたしは第一高等学校理科甲類に合格、生まれてはじめて親の許を離れて東京駒場の寄宿寮に入った。

 竹内敏晴 1925年(大正14年)、東京に生まれる。東京大学文学部卒業。演出家。劇団ぶどうの会、代々木小劇場を経て、1972年竹内演劇研究所を開設。教育に携わる一方、「からだとことばのレッスン」(竹内レッスン)にもとづく演劇創造、人間関係の気づきと変容、障害者教育に打ち込む。



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