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十返舎一九 ―― 自分の死を笑いのタネに その2

2017年09月21日 00時35分56秒 | 健康・老いについて
 「江戸の定年後」 ご隠居に学ぶ現代人の知恵 中江 克己 光文社文庫 1999年

 十返舎一九 ―― 自分の死を笑いのタネに その2

 入婿を二度しくじった洒落男 その2

 ふたたび江戸に舞い戻ったのが寛政6年(1794)、30歳のとき。江戸でなにをする当てもなかったから、通油町(東京都中央区日本橋大伝馬町)の蔦屋重三郎方へころげこみ、食客として暮らしはじめた。
 蔦屋重三郎は地本問屋、いまでいう出版社を経営していた。一九は当初、下働きをしていたが、彼には文才があるし、絵心もあったから、それが認められて翌年、黄表紙『心学時計草』を書き、自分で挿絵をつけて、蔦屋から出した。黄表紙とは通俗的な絵入り読み物で、表紙が黄色のところからそう呼ばれた。

 これが一九の処女作だが、好評だったために、つぎつぎに作品を書いて出版した。しかし、残念ながらあまり売れる作品がないので、暮らしは貧しい。そのせいか、長谷川町(中央区日本橋堀留町)の町家へ婿として入った。だが、数年後には、やはり離縁されている。
 一九は若いころ、なかなかの男前で、女にもてたらしいが、大酒飲みだし、吉原通といわれるほどの遊び好き。二度目の離縁の理由もそれだった。二度も、入婿にしくじったわけである。


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