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「モヒカン刈りの若者」 マイ・エッセイ 5

2014年05月05日 00時13分25秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
 「モヒカン刈りの若者」
                     

 昨年の夏、「ふるさと宮祭り」の日であった。街の中はたくさんの人であふれていた。
 「ジャマくせぇーな、このクソオヤジ!」
 歩道を自転車を押して歩いているとき、後ろからそんなどなり声が聞こえてきた。
ほどなくして、モヒカン刈りの若者が肩を怒らせて私の横を通り過ぎた。
(あれっ、もしかしてオレのこと?)
 後ろを振り返ってみたが、それらしき人はいない。
(あちゃー、オレのことか)
 自分のことだとわかって、「ひでぇこと言うな」という怒りと、
初めて言われたショックが頭の中をかけめぐった。
そして(今の若いヤツは礼儀を知らないんだから)という捨て台詞をかみしめ、若者を見送った。

 そんなことがあってからは、折にふれ、あのひと言が頭をよぎるようになった。
最初は怒りもあったが、そのうち冷静になってきて、
そう言われないようにするにはどうしたらよいかと考えるようになった。
 年々衰えていく体力は隠せない。
だが、私には何十年生きてきたという積み重ねがある。
生きていくってことは大変なこと、そのひとつひとつを乗り越えてきたという事実がある。
そんな気骨といったものを表に出すことはできないものだろうか。

 私が子どもの頃はどこにでも頑固オヤジと呼ばれる人がいて、
子どもが悪いことをすると叱ってくれた。
 世の中が伝統を守ろうとする頑固オヤジと、伝統を破ろうとする若者で成り立っているとすれば、私は断然、頑固オヤジに徹して若者を叱ろう。
その代わり、若者は「熱血ヤング」になって不甲斐ない大人を叱ってほしい。

 それにしても、私はいままで、自分の背中に哀愁をただよわせていたつもりでいたが、
それはとんでもない、ただの「ジジくささ」だったのか、と唖然となる。
 それを気づかせてくれたあのモヒカン刈りの若者に、
あんな雑言を吐かれないようにするにはどうしたらよいか、聞いてみたいものだ。

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