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「大放言」 その17 百田尚樹

2017年08月16日 00時31分03秒 | 本の紹介(こんな本がある)
 「大放言」 その17 百田尚樹  新潮新書 2015年

 いいように誤解されるケースはある P-33

 これまで「他人の評価というものはズレが少ない」と書いてきたが、実は例外もある。それはプラスの評価の場合だ。

 つまり本当は仕事ができないのに「できる奴」と思われている男性や、本当は陰険なのに「優しい人」と勘違いされている女性がたまにいる。

 しかしこれは周囲の人にそう思わせた彼(女)の勝利である。前にも言ったように、その人物が評価されるのは、その言動によってである。彼(女)が周囲から高評価を獲得したのは、そういう言動の積み重ねだ。そして周囲の人にずっとそう思わせることができたら、それはそれで彼(女)の本当の姿と言える。

 もし「本当の姿」でないなら、いつかはどこかで正体がばれる。古い歌謡曲ではないが、「どうせ私を騙すなら、死ぬまで騙してほしかった」というやつである。極端な例だが、ものすごく残忍な犯罪を犯した人物が、犯行後、周囲の人に「とてもいい人だったのに」「あんなことをする人には見えなかった」と言われるケースもある。

 このように周囲のプラス評価というのはしばしば実際とはズレが生じることもあるが、マイナス評価というのは、ズレが非常に小さい。人間はいいように誤解されても、悪いようにはあまり誤解されないものだ。

 もしあなたが、自分は悪いように誤解されていると思っているなら、その自己認識そのものが間違っているのではないかと思い直してみることを勧める。

 等身大の自分を知りたければ、他人に聞けばわかる。ただし、これを虚心に聞くには相当の精神力がいる。
 もっとも、それができるほどの人間なら、すでに高い評価を得ているだろう。

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