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「私の死亡記事」 西部 邁

2015年07月01日 23時14分29秒 | 健康・老いについて
 「私の死亡記事」 文藝春秋編  文春文庫 2004年(単行本 2000年)

 「自殺できて安堵しております」 西部 邁(すすむ) 1939年(昭和14年)生まれ 秀明大学教授。

 私儀、今から丁度一年前に死去致しました。死因は薬物による自殺であります。銃器を使用するのが念願だったのですが、当てにしていた二人の人間とも、一人は投身自殺、もう一人は胃癌で亡くなり、やむなく薬物にしました。
 自殺を選んだ理由は、自分の精神がもうじき甚だしい機能低下を示してしまう、と確実に見通されたということであります。それは自分が単なる生命体に化すことであり、単なる生命体である自分が他の生命体を食して生き長らえているという状態を想像しますと、そういう状態にしか向かえない自分の生が無意味に思われました。ましてや、自分の単なる延命のために長年連れ添った妻に介護の苦労を強いるのは想像するだにおぞましいことでした。
 つまり、虚無の温床である生命それ自体にケリをつける、それが自分の生にかろうじて意味をみつける最後の手立てになった次第であります。そう考えそう行うことの妥当性については、かねてからの話し合いにより、妻子はよく理解してくれておりました。
 かかる説明をあえてなすのは、今の世間が自死の意義をあまりよく理解しておらず、で、私の自裁が判明したあとで、妻子に世間から批難が寄せられるかもしれないと思料されるからにすぎません。自裁の直後に自己死亡通知を出さなかったのも同じ理由からであります。そして一年後にそれを出すのは、一年も経てば私の自殺が世間に生なましい印象を与えずに済むであろうと予想されたからです。また、あいつはどこに姿を消したのだ、との問い合わせが妻子のところにそろそろきているようですので、ここに死亡通知を出させていただくわけです。
 ともかく私は、公のために死を選ぶという機会には恵まれませんでしたので、秘かに死ぬほかありませんでした。生前に厶(わたし)を八(ひら)くのに、つまり公を招き寄せるのに、一応の努力はしたのですが、やはり、能力の不足も然り乍ら、努力が足りなかったということなのでしょう。このような私にお付き合い下さった方々には、遅ればせではありますが、心から感謝致します。方々との理解と誤解の入り混じった交際がなければ私の生命に乗っかっていた小さな精神の機構つまり脳は、もっと早々と腐蝕していたことに違いありません。思えばまったく有り難い交際でありました。
 この死亡通知をたまたま読まれて、お前はそも何者だと尋ねたくなる読者も多いことでしょう。私の履歴を簡単に述べておくのがこういう際の作法だとは承知しているのですが、既に生前において、自分のやったことについては忘れゆくばかりでした。ニーチェを真似るわけではないのですが、何冊か本を書いたような気がする、としかいえません。このことからも、「精神」は活きていてこその代物だと、いわゆる彼岸にいるものとして、つくづく感じ入っております。左様なら。
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