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「なにぶん老人は初めてなもので」 その4 中沢 正夫

2017年08月30日 00時04分59秒 | 健康・老いについて
 「なにぶん老人は初めてなもので」 その4 中沢 正夫 柏書房 2000年発行

 中沢正夫 紹介
 1937年群馬県に生まれる。精神科医。「探検隊」員として椎名氏らと怪しき活動を行う。

 日本に老人文化は開花するか――隠居の条件 その3 P-14

 それでもそのうち隠居ができるだろうと楽観している。その場合の「隠居」ぐらしとして私のイメージできるのは次の4っつである。隠居とはいずれも何をする人かではなく隠居の条件である。

1,死の準備ができている(死はそれがきたとき考えればいいのだ)。
2,まとまった金がいる。「死に金」より「老い金」である。金がなくては何もできぬ。
3,自分が生きていることを期待している人がいる。
4,ボケていない。そのため(脳も身体のうちなので)身体が健康である必要がある。

 これは隠居ぐらしの条件である。この条件の上に隠居学が成立する。「◯◯をやったから」すばらしい隠居ではない。ごく幸運な人の老後業績を拾い上げて隠居学を云々するのは、まちがいである。社会全体に隠居学を成立させるための条件の方が大切なのである。存在は意識を決定するのであり、その逆ではない。最近、プラス思考の大切さがしきりといわれる。メンタルヘルス的には一理あるが、プラス思考がプラスの実体を保障するといってしまうとまちがいである。(意識は存在を決定することはない)のである。

 だから、老人文化――隠居学自体が日本に根づくかどうか――私にはどちらともいえない。それは、老人を中心とする先の条件づくりの「闘い」にかかっているのであり、「祈り」や「願い」にかかっているのではないからである。

 

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