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十返舎一九 ―― 自分の死を笑いのタネに その3

2017年09月23日 00時44分23秒 | 健康・老いについて
 「江戸の定年後」 ご隠居に学ぶ現代人の知恵 中江 克己 光文社文庫 1999年

 十返舎一九 ―― 自分の死を笑いのタネに その3

 ベストセラー作家なのに貧乏暮し その1

 一九に幸運の風が吹いてきたのは、享和2年(1802)、38歳のときだ。この年に出した滑稽本『東海道中膝栗毛』がよく売れ、一躍人気作家になったのである。
 これは、江戸に住む弥次郎兵衛と喜多八の二人が、おもしろおかしく東海道を旅する物語で、当時の庶民たちの旅への憧れを刺激して人気を呼んだ。そのころの旅は、主に大名行列とか巡礼の旅だが、まだ弥次、喜多のような遊山気分の旅は少ない。
しかも、庶民は気ままに暮らしていたとはいうものの、たまには旅へ出て、地域社会の制度や習俗といったしがらみから開放されたい、という気持ちが強かった。一九は、そうした庶民の心情を巧みにすくいとってみせたのである。

 当初は『浮世道中膝栗毛』と改題し、4年後に8編17冊まで刊行し、完結した。その後、文化7年(1810)に『続膝栗毛』を出し、文政5年(1822)まで書きつづけた。
 息の長い大ベストセラーで、一九の懐には相当な潤筆料(原稿料)が入り、屋敷をもつのも不可能ではなかった。しかし、一九は酒が好きだし、金が入ると気前よく仲間におごる。吉原へくり出して、派手に遊ぶ。というわけで、つねに借家住まいだった。