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「ういろう売りのせりふ」 その1 鈴木 棠三

2017年09月03日 00時02分51秒 | 朗読・発声
 「ことば遊び」 鈴木 棠三(とうぞう)1911年生まれ 講談社学術文庫 2009年

 「世の中はすむと濁るの違いにて、刷毛に毛があり禿に毛が無し」。平安以来、歌詠みも、連歌作者も、俳諧の宗匠も、ことばの動き、その変わり身の様々な相を追求した。「回文」「早口言葉」「しゃれ」「地口」「なぞ」「解きと心」・・・百花繚乱の言語遊戯を誇る日本語。ことばの可能性を極限まで発掘しようとする行為としてのことば遊びの歴史を辿る。(推薦文)

 「ういろう売りのせりふ」 その1

 ういろう由来 P-63 

 小田原の市街を箱根方面へ向かって、いま少しで出外れる辺りが本町一丁目で、ここにういろうの本舗がある。関東大震災までは、八棟造りという大変目につく家構えの老舗であったが、現在は一見普通の薬局と変わらないけれども、ここが銘菓ういろうと霊薬透頂香(とうちんこう)の本舗で、外郎藤右衛門氏のお宅である。ういろうというと、名古屋が本場のように思いこんでいる人が多いが、あれは模造品ともいうべきものだそうだ。外郎家の家伝によると、祖先の陳延祐(ちんえんゆう)(宗敬とも称した)は元の順帝の時大医院、礼部員外郎に任じられた。員外とは定員外を意味するが、当時は正職であった。

 1368年、元が滅び明の世になったので、延祐は日本に亡命し、陳外郎と称した(ウイは「外」の唐音)。陳外郎は博多で僧門に入って世を終えたが、その子宗奇(そうき)は京都へ招聘され将軍足利義満の愛顧をうけ、遣明使の嚮導役(きょうどうやく)として明国に使し、帰朝に際して霊宝丹を将来して家方(かほう)とした。これを冠にはさんで少量ずつ服用すると芳香が漂う。つまり常備薬と香水を兼ねたようなものなので、時の帝から透頂香の名を賜った。これが正式の名で、外郎薬、略してういろうと呼ばれ、薬効顕著なところから上下に大いに珍重された。菓子のういろうは、内外の賓客に供するために、同家で創製したもので、もともと売品ではなかったということである。