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「ういろう売りのせりふ」 その2 鈴木 棠三

2017年09月05日 00時01分54秒 | 朗読・発声
 「ことば遊び」 鈴木 棠三(とうぞう)1911年生まれ 講談社学術文庫 2009年

 「ういろう売りのせりふ」 その2

 ういろう由来 P-64

 永正元年(1504年)、五代目外郎藤右衛門定治(1470~1556)の時、北条早雲の招きにより小田原に下って同家に属し、高1800貫を領した。北条氏滅亡の時、七代目光治は籠城軍に加わっていたが、特に許されて城下に止まり、以後は医薬に専心した。その後は城主大久保・稲葉両氏から保護されて、小田原名物の霊薬として全国的に名があがった。京都の外郎家は定治の弟が典医職を継いだが、室町幕府の倒壊と共に絶家し、当時の職人が各地で銘菓ういろうを製造し、その流れが本舗以外のういろうとなって今日に及んでいる。

 ういろうすなわち透頂香は、今も古方を守って造られている。直径3、4ミリの銀色の丸薬で、中は黒褐色、ちょっとにが味があり、香気が高い。まずは仁丹や宝丹の祖型といえる。ただし、透頂香の初めは葉書半分くらいの薄い板状で、金粉をまぶしこれに縱橫の筋目がつけてあり、2、3ミリの小片に折り取って服用した。ういろう売りのせりふに「冠の透間より取り出す」とあるのも、丸薬でないからできたことなのである。