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「憂鬱」 宮沢 章夫

2015年10月08日 00時05分09秒 | エッセイ(模範)
 「青空の方法」 宮沢 章夫 朝日新聞夕刊に連載されていたエッセイ集 朝日新聞社 2001年 

 「憂鬱」 P-12

 いま、自分が陥っている「精神の状態」を、どう言葉にすればうまく表現できるか、人はどのように学んできたのだろう。なにしろ、「形」がない。「ぐほーんっていうか、ずほーっっていうか、なんだか、ここらあたりがね」と胸を手で押さえ、そう口にされても困るのだ。いったいその人に何が起こっているのだろう。本人は苦しそうだ。なんとかしてあげたい。だが、「ぐほーん」は「ぐほーん」だけに、どうしたものかこちらも困るのである。
 私の両親が、「憂鬱」という言葉を使っていた記憶が私にはない。べつの言葉でその「精神の状態」をひ表現していたように思うが、少なくとも、「憂鬱」は口にされなかった。おそらく知らなかったのではないか。そして、「憂鬱」という言葉を知らなかったばかりに、そういった状態、つまり、「憂鬱」が一度もなかったろうすら想像でき、これは幸福なのか不幸なのかよくわからない。
 「なんだか精神的に調子が悪いが、これがなにかよくわからないので、いつも明るい人」
 そうだ。私が知る限り父はそのような人だった。
 だが、ときには気分がすぐれなかったときもあり、理由がはっきりしていればいいが、もやもやと不確かだったときもあるだろう。「憂鬱」とはそのようなものだ。はっきりとした形はない。朝、起きてきた父が母に言う。
 「なんかね、こう、もやもやっとしたさあ、ここらあたりが、ちょっとね」
 言葉を知っていれば、明確に、「憂鬱だ」と口にしたはずだ。それをうまく表現できない。言葉にできず、なにかよくわからないまま、結局、父はこう結論づけるのだ。
 「まあ、いいか、こんなもの」
 こうして気分は晴れるのである。
 だがなにより幸いだったのは、「憂鬱」を知らなかった父に、「それはメランコリーというものです」と教える者がいなかったことだ。朝、父が起きてくる。母に向かって言う。
 「俺、朝っぱらからメランコリーだよ」
 ほんとうに幸いである。
 ことによると、私だって知らない「精神の状態」が存在するのではないか。言葉がないから気がつかないだけだ。ある日、なにかのはずめでそれに陥る。私は言うだろう。
 「俺、きょう、ばさばさって感じだ」
 ばさばさを救う手だては、いまのところない。