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「江戸の卵は一個400円」 その9 丸太 勲

2015年03月26日 00時24分11秒 | 雑学知識
 「江戸の卵は一個400円」 モノの値段で知る江戸の暮らし 丸太 勲 光文社新書 2011年

 「社交場としての湯屋」 その1 P-72

 「火事と喧嘩は江戸の花」などと言われるが、何度も大火に見舞われた江戸では火事が何よりも恐れられた。そのため長屋にはもちろん、ふつうの民家にもほとんど風呂はなかった。それでも江戸っ子は、毎日のように湯屋に通うほど風呂好きだった。

 仕事から帰ると、「かかあ、湯に行ってくるぜ」「お前さん、夕飯の前に湯に行ってらっしゃい」といった言葉が交わされ、「湯」が湯屋、すなわち銭湯を指す言葉になっていた。

 町内には必ず一軒は湯屋があった。男湯の二階には将棋や碁盤が置いてあり、男たちはそこで茶を飲んだり菓子をつまんだりしながら談笑した。このように、湯屋は町内の社交場としての役割も大きかった。
 湯銭は大人六文(120円)だったが、二階に上がるには16文(320円)の別料金が必要だった。

 湯屋の浴槽は、現在の銭湯の浴槽とは少し違っている。湯が冷めないよう、洗い場から浴槽への入り口には、下に三尺(90センチ)ほど隙間を空けて板戸が張られていた。そのため浴槽に行くには、身をかがめてその隙間から入らなければならなかった。
 この隙間は「柘榴口(ざくろぐち)」と言われた。当時は柘榴から取った汁で鏡を磨いていたことから、「鏡に要(い)る」と「かがみ入る」をかけて、そう呼ばれるようになったのである。いかにも洒落好きの江戸っ子が考えそうなことだ。