民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「インテリ」 山本 夏彦

2015年03月06日 00時06分30秒 | エッセイ(模範)
 「日常茶飯事」 山本 夏彦 新潮文庫 2003年(平成15年)

 「インテリ」 P-11

 前略

 「共通の言葉」こそすべてである。古往今来これを普及させたものが天下をとった。未組織の労働者まで、共産党の言葉で話すようになれば、それは組織化されたということで、天下は共産党のものになったということなのである。
 以前は八紘一宇といった。一億一心、撃ちてしやまむ、そのほか凡百の紋切り型あって、大臣も隣組長も、それを操ったから、みんなまねをした。つまり、彼らの天下だった。
 凡百というのは誇張で、百なんぞありはしない。五十もあれば多いほうで、人民の、人民による、人民のための政治――
 民主主義にもやっぱり相応のスローガンがあって、それをいろいろ置きかえて喋れば、すなわち一億みな民主主義というわけなのである。つまり、同時代の人だという証拠で、人は互いにその証拠を求めあって、話しているようなものだ。そして相手の口からこれを聞きだして、安心してメートルをあげるのである。
 いつの時代でも、この五十語さえマスターしていれば、脳ミソはいらないのである。しかも人はなお自分の脳ミソの主人公は、ほかならぬ自分だと思いこんでいる。自分で考え、自分で発言していると思っているが、とてもこの五十語を出ることはできはしない。生まれて、喋って、そして死ぬのである。
 今までもそうだった。これからも、そうであろう。