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「博士の本棚」 小川 洋子

2015年03月04日 00時15分22秒 | エッセイ(模範)
 「博士の本棚」 小川 洋子 新潮文庫 2010年

 「斎藤真一の『星になった瞽女(ごぜ)』 P-89

 『絵画の小宇宙』というテーマをいただいた瞬間、斎藤真一さんのことを書こうと決めた。一枚の絵の中に隠された世界を言葉で探索してゆくのに、これほど魅力的な画家はいないだろうと思った。
 そう感じた理由の一つは、斎藤氏が画家であるのと同時にすぐれた文章家であったことが、関係しているかもしれない。瞽女さんでも吉原でも、心打たれる対象に出会うと、絵に描くのとおなじように本を著し、エッセイストクラブ賞まで受賞している。
 これは私の想像だが、言葉の持つ力と、絵の持つ力が、画家の中で特に融和し、時に火花を散らしてゆく中で、作品が生まれていたのではないだろうか。だからこそ、出来上がった絵には、物語がにじみ出ている。題材の背景や、もちろん著者の存在など知らなくても、そこに描かれたものたちが語りかけてくる声を、聞き取ることができるのだ。
 では、どの絵を選ぶか。生前プレゼントしていただいた画集をめくり、私は大いに迷った。ラッパ吹きやパントマイムや田舎劇場を描いたヨーロッパのシリーズも好きだし、メリーゴーランドの絵も思い出深い。いや、むしろ宇宙というキーワードからすれば、ブリキの幻灯機やランプやアコーディオンを描いた静物画の方が、いいかもしれない・・・。などとあれこれ考えながら、幸せなひとときを過ごした。
 しかし、やはり、瞽女さんを選ぶべきだろう。ジプシーを追ってヨーロッパを放浪し、言葉も血液も違う彼らの心をつかむのに、どうしても観念の中から抜け出せないもどかしさを感じた斎藤氏は、帰国の翌年、盲目の旅芸人である瞽女さんの存在を知る。以来、十余年にわたって瞽女宿を巡り、生活に直(じか)に触れ、同じ越後の山を歩いて、ほとんど社会から忘れ去られようとしていた彼女らの存在を、丹念に掘り起こしていった。越後高田で瞽女杉本キクエさんに会った時、『はじめて人間に出会えた感動にとらえられてしまった』と、斎藤氏は記している。
 つまり斎藤氏は、瞽女さんを描くことによって初めて、本当の人間を表現できたのである。

 中略 『星になった瞽女(みさお瞽女の悲しみ)』倉敷市美術館蔵 絵の説明

 瞽女さんは目が見えないのに、星の持っている本当の姿を見ることができる。
 最後に、正直に書いてしまおう。私が斎藤氏を取り上げた一番の理由は、あれほど素敵な紳士に、出会ったことがないからだ。お洒落で、話題が豊富で、女性を敬って、瞳が美少年・・・。
 久しぶりに『星になった瞽女(みさお瞽女の悲しみ)』をしみじみと眺め、もう二度とあの瞳に出会う機会はないのだと思い知らされ、胸が苦しくなった。