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民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「女の底力」 藤田 浩子

2013年02月22日 00時10分21秒 | 民話の背景(民俗)
 昔話に学ぶ生きる知恵 4 「女の底力」  藤田 浩子 編著 2006年

 姑は嫁の教育係だった

 昔話には、やさしい姑の話ももちろんありますが、いじわるな姑の話の方がたくさんあります。

 なぜ、昔の姑は、嫁につらくあたったのでしょう。
それは姑が嫁の教育係だったからです。

 嫁を次代の「主婦」に育てる教育係です。
子どもから娘に育ててくれるのは実家の親だとしても、
嫁いでから先の教育係は、嫁ぎ先の姑だったのです。

 「嫁」というのは、夫の連れ合いという意味合いより、
その「家」に入ってきた新しい家族ということでしたから、
その新しい家族に、飯の炊き方から漬け物の漬け方、掃除洗濯の仕方や子どもの育て方、
祖先の祀り方に行事の催し方、そして財布(経済)の管理まで、
その家のやり方をあれこれ嫁に伝えるのが姑の役でした。

 新しい家族である嫁が、その家に馴染み、一人前の「主婦」になるまで、
自分の配下において、あれもこれも教え、最終的に「主婦の座」を譲って、
自分が隠居できるようにしていくのが姑のつとめだったのです。

 となれば、他家で育った娘を、その家の家風に合わせて教育し直すというのは、
されるほうもつらかったかもしれませんが、教育するほうだって生半可な気持ちではできません。
厳しくなるのも無理からぬことです。

 今は、社会人、職業人として育てられる機会はあるとしても、若い娘を一人前の主婦に、
一人前の母親になるよう、みっちりと仕込んでくれる人がいなくなりました。

 今は、なにもできなくても、結婚すれば、次の日から「主婦」と呼ばれます。
姑に十年十五年みっちり仕込まれてから、やっと「へら渡し」をされて
「主婦」になった時代の方々から見れば、私もふくめて頼りない主婦ばかりなのでしょうね。

 主婦の仕事は「へら加減」

 「へら渡し」というのは、家のやりくりの主導権(主婦の座)を姑から嫁に渡し、
姑は隠居するということです。

 食料が十分でなかった頃、大勢の家族や使用人のための食事の支度は、主婦の大事な仕事でした。
働く人の仕事の量に合わせたり、子どもたちの成長に合わせて食事を用意する、
そのへら加減が主婦の仕事だったのです。

 毎日の食事だけではありません。
秋に穫れた穀類を一年間どうやりくりするか、それも大事な仕事でした。
ですから、その「へら」を渡すということは、主婦権を渡すということだったのです。


「馬鹿の鏡」 藤田 浩子 

2013年02月18日 00時11分00秒 | 民話の背景(民俗)
 昔話に学ぶ生きる知恵 3 「馬鹿の鏡」  藤田 浩子 編著 2006年

 はじめに

 「世間様」の枠が消えて・・・

 私が子供の頃、道徳の規準は「世間様に笑われないように」と
「お天道様に恥じないように」ということでした。

 私は「そんなことをすると世間様に笑われる」とか
「ひと様に笑われないように」と言われ言われ、育ったのです。

 そして、叱られるときは「世間様に顔向けできないだろう」
「お天道様に恥ずかしいと思わないのか」と言って、叱られました。

 馬鹿なことをしては笑われ、笑われながら育てられ、
なんとか、ひと様に笑われなくてもすむ大人になってきたのです。

 お天道様に恥じないということも、結局は世間様に恥じないということで、
人として恥ずかしくない生き方をしろということでした。

 「笑われないように」「恥ずかしくないように」
これは一見、まわりの目ばかり気にして、
自分という存在を軽くしているように思われるかもしれませんが、
そうではありません。

 人とかかわって生きていくには、そこにおのずとルールができ、
枠ができてくることでしょう。
その枠からはずれると、笑われたり、恥をかいたりするのです。

 なにをもって恥とするか、個人的には多少ちがうとしても、
「世間様」という枠を知っておけば生きやすかったのです。

 以下 略

 昔話って、こういうことを、手を変え品を変え、
子供たちにわかりやすく、伝えようとしたのじゃないのかな。(akiraの感想)

「湯西川のざっと昔」 

2013年02月14日 00時06分16秒 | 民話の背景(民俗)
 「湯西川のざっと昔」 湯西川の生活と昔話  中本 勝則

 伴 ハツさんの話

 「それで、背負ってきた杓子、よおーく、サメの皮で磨くんだわ。
きれいに磨くの。
磨けなんって、小っちゃい時だから、眠ったくて、ごめんだ。
けんど、夜っぱらからやったよ。
誰も夜の仕事だから。
だから、わしら、勉強ってしないんだ。
そういうことばっかしてて、バカみたいな話しだ。
本当にやだったよ。」

 「小っちゃい時から、仕事なんだよ。
おっかさまの後ついて、木いこりって、木拾って、背負わされるんだよ。
遊んでられねぇんだ。」

 

「民俗学の旅」 宮本 常一

2012年11月27日 00時15分20秒 | 民話の背景(民俗)
 「民俗学の旅」 宮本 常一 旅立ちの日に 父から授けられた 十か条

 1、汽車へ乗ったら 窓から外をよく見よ、田や畑に 何が植えられているか、育ちがよいかわるいか、
村の家が大きいか小さいか、瓦屋根が草葺きか、そういうことを よく見ることだ。
駅へついたら 人の乗り降りに注意せよ、そして どういう服装をしているかに気をつけよ。
また、駅の荷置き場に どういう荷がおかれているかをよく見よ。
そういうことで その土地が富んでいるか貧しいか、よく働くところかそうでないところかよくわかる。

 2、村でも町でも 新しくたずねていったところは かならず高いところへ上って見よ。
峠の上で 村を見下ろすようなことがあったら、お宮の森やお寺や目に付くものをまず見、
家のあり方や田畑のあり方を見、周囲の山々を見ておけ、そして 山の上で 目をひいたものがあったら、
そこへは かならず いって見ることだ。
高いところで よく見ておいたら 道にまようようなことはほとんどない。

 3、金があったら、その土地の名物や料理は たべておくのがよい。
その土地の暮らしの高さがわかるものだ。

 4、時間のゆとりがあったら、できるだけ 歩いてみることだ。
いろいろのことを教えられる。

 5、金というものは もうけるのは そんなにむずかしくない。
しかし、使うのがむずかしい。それだけは忘れぬように。

 6、私はおまえを思うように勉強させてやることができない。
だから おまえには何も注文しない。すきなようにやってくれ。
しかし 身体は大切にせよ。三十才までは おまえを勘当したつもりでいる。
しかし 三十過ぎたら 親のあることを思い出せ。

 7、ただし 病気になったり、自分で解のつかないようなことがあったら、郷里へ戻ってこい、
親はいつでも待っている。

 8、これからさきは 子が親に孝行する時代ではない。親が子に孝行する時代だ。
そうしないと 世の中はよくならぬ。

 9、自分でよいと思ったことはやってみよ、それで 失敗したからといって、親は責めやしない。

 10、人の見のこしたことを見るようにせよ。その中に いつも 大事なものがあるはずだ。
あせることはない。自分の選んだ道をしっかり歩いていくことだ。

「失われた昭和」 宮本 常一の写真に読む 佐野 眞一

2012年11月19日 01時09分56秒 | 民話の背景(民俗)
 「失われた昭和」 宮本 常一の写真に読む 佐野 眞一 平凡社 2004年

 第一章 村里の暮らしを追って

 -----洗濯物-----
 洗濯物を見るとその土地の生活が見えてくるという。
この時代に、布、そして、あらゆる物がいかに貴重なものであったかということが洗濯物から見えてくる。
衣類はほとんどが手縫いで、既製服を見ることは少なかった。

 -----背負う・かつぐ-----
 運搬手段がまだ発達していなかった頃、人々は物を運ぶためにさまざまな工夫を凝らした。
背負うことで、身体のバランスは保たれ、両手は自由になった。
天秤棒で物を運ぶときには、両方の重さを均等にすることでバランスを取った。

 -----田畑の仕事-----
 農家の一年は稲作を中心にいとなまれている。
春の代掻きから、秋の収穫、脱穀、出荷まで、休む暇もなく働く。

 -----運ぶ-----
 自動車が普及する以前には、牛馬が貴重な動力であった。
背に荷をつけた牛馬は、坂道や階段、細い道も平地と同じように行き来できた。

 -----村落の仕事-----
 干した藁を利用しての草履や草鞋作り、縄をなうのは副業として行われた。
穀類や野菜は天日干しすることによって、貴重な保存食となった。

 -----女の世間-----
 暮らしを支えるための基本は水の確保にある。
主婦や子どもの一日は、水汲みに始まり、炊事、洗濯と続く。
主婦たちの集まる井戸の周りでは、文字通りの「井戸端会議」に花が咲いていた。

 -----願いと祈り-----
 村のさまざまな年中行事は、稲作を中心に行われてきた。
五穀豊穣を願い、災いが村や家に入ってこないように祈る真摯な行事は、素朴な形でいまに続くものもある。

 -----草葺きの家-----
 日本の農家では、草葺きの屋根が多かった。
その耐久年数は、茅で30~40年、麦藁で10~15年とされた。
屋根を作ったり、直したりの作業は、村人の協力のもとに行われていた。

 -----橋-----
 川に石を並べたもっとも簡単な橋から鉄骨製の橋まであるが、
日本の古い橋はほとんどが木の桁橋であった。
橋は集落と集落、やがて島と本土、島と島の距離を縮め、人々の暮らしを大きく変えた。

 -----共同の仕事-----
 村人が共同でする作業は、ユイ、モヤイ、スケなどと呼ばれ、
家普請、道普請、山林の管理、用水の保全はもちろんのこと、火災や洪水の非常時にも見られた。
村全戸の平等負担であった。

 -----村の大人たち-----
 田畑の仕事は労働時間が長いので、一休みは「タバコ」ともいわれ、楽しいひとときであった。
農業に定年はなく、寿命が続くまで働いた。

 -----村の子どもたち-----
 乳児はツグラに入れられるなどして育ち、やがて年長の子どもと遊ぶようになる。
その遊びを通して仲間意識を育て、村の担い手になっていく。