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民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「大田植」 宮本 常一

2013年09月21日 00時35分45秒 | 民話の背景(民俗)
 「大田植(おおたうえ)」 歳時習俗事典  宮本 常一  八坂書房 2011年発行

 いまは労働といえば、ただ働くだけのことになっており、労働が激しいとか、楽であるとか、
賃金が高いとか、低いとかいうだけが問題になていますが、昔は労働は神とともにあって、
神に仕える動作の一つだと考えられたものが少なくなかったのです。

 田植えなどもその一つでした。
そしていまでも、はなやかな田植えをしている例が中国地方の山中にあります。
まず早乙女たちはかすりの着物に、未婚の娘なら赤いたすき、人妻ならば紺のたすき、
老女ならば白というように服装にも少しずつ区別をつけ、花がさをかぶり、手甲脚絆をつけて、
何十人というほどで田におります。

 この女たちのうしろには大きな太鼓を胸にかけ、美しい女の着物など着て、
すげがさをかぶった男の太鼓打ちがならびます。
 さらにそのあとに音頭をとる人や、小さい太鼓をもったもの、笛を吹くものなどが立って、
音頭とりが音頭をとると、笛や太鼓がこれにあわせて拍子をとり、早乙女たちは音頭につれて
歌をうたいつつ苗を植えていきます。

 よい声がよくそろい、太鼓打ちの太鼓のばちについた紅白の房が、
ばちさばきによって美しくひるがえり、また太鼓打ちたちは腰をひねり、ばち投げあげなどして、
はなやかに打ちこみますので、実にうらやましい風景なのです。
ですからこの田植えのあるときは、たくさんの人が見物にきます。

 後略

「越後毒消し売りの女たち」 桑野 淳一

2013年06月08日 00時45分46秒 | 民話の背景(民俗)
 「越後毒消し売りの女たち」角海浜(かくみはま) 消えた美人村を追う旅   桑野 淳一 著

 坂口安吾の見た村

 「あの坂口安吾も角海浜にやって来たようですが?」
「いや、彼は角田浜に入ったんだ。少し村を回って記事を書いたんだ。」

 なるほどそうだろう。坂口安吾の文章は明るいタッチで書かれている。
その情景は、この目の前にある斉藤さんの写真の情景とは一致しない。
安吾は、「現代日本紀行文学全集 中部日本編」の中で、

 『煎じ詰めて言えば、富裕というものは全てを明るく照らす。
従って角田は北国には珍しく明るさを持つ集落となっている。
いかに、北国の雪とふぶきが強烈で暗鬱としたものであっても、
いかに冬の日本海が悲しみの色に塗り込められていようとも、瀟洒な邸宅はそのことを忘れさせて、
明るい南国のイメージへと見る者を導いてくれる。
しかし、当然のことであるが、最初はそのような邸宅があった訳ではない。
やはり砂丘は悲しい貧困の旋律を刻み、女達は毒消しの行商に出ねばならなかったのだった。
米を買うために。

 事の起こりは、この一行だった。
米が作れない貧しき農家が米を買うために、村の女は毒消しの行商に出たのだった。

 どうだろう、年齢は16、17から45、6までの妙齢の女をかき集めるだけ集めれば、
ざっと千人をこえるであろうか。
これだけの女が打ち揃って、小さな集落を出て日本全国に毒消しの行商に出たのだった。
当時、毒消し売りの歌がはやった。
流行歌である。
全国の各地で子供から大人までこの歌を唄って毒消しを迎えた。
迎えたというより、子供たちはこの歌を唄って女のうしろに続いた。
また大人は大人で、
「歌を唄ってくれたら、買うけど」
などとからかった。
女はお金のためにじっと我慢して、時に歌を唄い、毒消し売りに専念した。
彼女らの心には、
「故郷に帰れば土蔵に石の塀、立派な門構えの邸宅。
なんだお前らのあばら家は。
私はお金と友達だから我慢しているが、貧弱な家にしか住めない者が威張るんじゃないよ」
という思いが沸々と湧いていたことだったろう。

 ともあれ越後の西蒲原という地は小作争議発祥の地で日本一の貧農地帯であった。
その貧農地帯の中でもとりわけ交通の便の悪い村に堂々たる蔵が建ち並んでいるのである。
他の日本のどの裕福な農村も敵わないであろう邸宅の居並ぶ村なのだ。

 富山の薬売りが田舎周りをしながら、「田舎の者は薬を飲まない」と言って敬遠して、
町場の人々を相手にしている。
これに対して、越後の毒消し売りは、富山のように薬だけを商うのではなく、日用品全般を扱って歩く。
化粧品の類から、鋏(はさみ)、ナイフ、ヘアピンは言うに及ばず、果ては反物、シャツなどを売り歩く。
まさに歩く百貨店であり、事実彼女らもそれを自認していた。
従って、商いの地は物の揃わない農村地帯となる。
たいていは町場に部屋を(あるいは家一軒まるごと)借りていて、そこに一団となって泊まり、
そこから農村部へ散開して入る。
富山の薬売りは商人宿に泊まるが、毒消しはそういう無駄はしない。

 毒消しは年配の女を親方として、その下に子供と呼ばれる売り子が属して一団を形成している。
このことが、つまり旅館に泊まらずに極力必要経費を抑えることができるのは、女のこまやかさであり、
蔵が建つ一番の要因であろう。
彼女らは男のように仕事しながら遊ばないのである。

 昔は一年のうち半年ほど行商に出ていたのであるが、近年は正月とお盆、
それに春秋の村祭りに帰るだけで一年のほとんどを旅空の下で過ごす。
常に一団を組んで合宿しているのだから個人行動はできず、従って身持ちも固い。
しかし年のうち十ヶ月も旅をしていれば中には男ができるケースがあっても不思議ではない。
たいていは既婚の女がそうなることが多いようであるが、
亭主はそれが解っても女の収入が多いのでじっと我慢するしかない。
家庭不和が生じる例はほとんどないのである。
その甲斐あって、村には蔵が建つのであるから。

 このことでも解るように男が遊興に散財して、女が我慢するのはどこにでも破産のパターンである。
これに反して、男がじっと我慢するパターンは蔵が建つ。

 女は金のために村を出て、金を稼いで村に戻って来る。
彼女らにとって本当の男は自分の村の男だけなのだ。
蔵を背後にした邸宅で悠々たる生活を送る無能ぶりこそお大尽の品格なのである。』

 と、安吾は毒消し最盛期の模様を書いている。

「百姓女 たよ」 木下 順二

2013年03月08日 00時27分38秒 | 民話の背景(民俗)
 「百姓女 たよ」 木下 順二 1954年 ラジオの朗読台本 (朗読者 山本 安英)

          木下 順二集 11巻 岩波書店 1988年

 「女工哀史」は一度、リメイクしたいと思ってる作品。
それで調べていたら、木下 順二が「女工哀史」という作品を書いているので、
図書館で借りてきた。

「絵姿女房」「女工哀史」「百姓女 たよ」の三つの作品が朗読台本として書かれたようだ。
「女工哀史」はその中のひとつの作品。
意外と短い作品(8ページ)なので驚いた。

 他に、「女工哀史」細井 和喜蔵、「わたしの女工哀史」高井 としを、
の二冊も借りてきて、その分厚さに、なかなか読む気力が起きないでいた。

 借りてきて10日くらいして、やっと手にしたのが木下 順二だった。
そして見つけたのが、「百姓女 たよ」の中の、以下に紹介する文章。
 書き出しから、少ししたところに書いてある。 

 「縁切寺というお寺の話を聞いたのは、たよが まだ少女の頃のことだった。
村一番の物知りのじっさがその話をしてくれた。
その物知りのじっさというのは、顔中一杯切りこんだような深いしわのある、
しかし、てらてら禿げの大入道で、たよたち村の娘が集まっているところへやってきて、
娘たちのもっともはずかしがりそうな話をしては、
キャッキャッと、娘たちを笑わせるのが、何よりの楽しみであるらしかった。
縁切寺の話も、顔をまっかにしてキャッキャッと笑いながら、たよたちは聞いた。


  ― ― ―ええか、何でも若え時に仕込んどいて、これが無駄だというもんはねえだ。
よう聞いて、ようおぼえとけ。


 というのが、そのじっさの決まり文句だった。
そして、さもさも 尤(もっと)もらしく、一大事をこれからうちあけるといったようす(様子)で
話し出すじっさの調子に、たよたちはいつもすぐ乗せられてじっさの顔に目を集めた。」


 以下 略

「機転を利かす」  藤田 浩子

2013年03月02日 00時16分01秒 | 民話の背景(民俗)
 昔話に学ぶ生きる知恵 2 「機転を利かす」  藤田 浩子 編著 2006年

 頓智・機転は人づきあいの潤滑油

 人と人がかかわるとき、それが他人であろうと、家族であろうと、ギスギスしそうなときがあります。
潤滑油が必要なときです。
誠意を込めてコトにあたれば必ずうまくいくというものでもありません。

 誠意は必要ですけれど、直球しか持ち玉がなければ一面的で、すぐ底をついてしまいます。
フォークありカーブあり、相手により時と場合によって投げる玉を変えていくのが
人づきあいのおもしろいところですが、ときにはピンチになることもあるでしょう。

 そんなときに役に立つ魔球が頓智です。
相手を煙に巻きながらなんとなくこちらのペースに引き込みます。
しかも相手との関係がギスギスしないように、潤滑油の役割をも果たすのが頓智です。

 私が子どもだったころの悪口言葉に「頓痴気野郎」というのがありました。
頓智の利かない、気の利かないヤツという意味合いの悪口です。
「トンチキヤロウのスットコドッコイ」と言われたら、
ダブルパンチを食らったぐらいのダメージを受けました。
頓智の利かないヤツはそれだけで、悪口の対象になったのです。

 機転を利かせ、頓智を働かせることで、いさかいをせずにすませたり、命拾いをしたり、
上役をぎゃふんと言わせたり、現代人に足りないのはこの機転を利かすことや、
頓智を働かすことではないかと思えるのです。

 機転を利かせ、頓智を働かせれば、あとあとまでしこりを残さずに、問題が解決できます。
まわりに波風を立てずに、こちらの思いを伝えられます。

「化かす 騙す」 藤田 浩子

2013年02月28日 00時13分35秒 | 民話の背景(民俗)
 昔話に学ぶ生きる知恵 1 「化かす 騙す」  藤田 浩子 編著 2006年

 「騙す」「化かす」昔話に学ぶつきあいの知恵

 相手を傷つけないように、相手にいやな思いをさせないようにしながら、
こちらの言い分をしっかり通すには「騙(だま)す」のが一番です。
とくに相手が自分より強い立場の人であればあるほど、騙すことが大事です。

 小僧が和尚に、嫁が姑に、病人が医者に、農民が役人や殿様に、
動物(のようにあしらわれていた民衆)が人間に、とにかく弱い立場の者がもの申すには、
強い者を騙すための知恵が必要だったのです。

 相手の言い分をまず聞いて、相手を受け入れ、それを踏襲しながら、
相手をギャフンと言わせる。
そんな知恵が昔話にはたくさんあります。

 「騙す」というと聞こえが悪いのですが、人づきあいの上での騙しは
「相手をいい気持ちにさせる」と言いかえることもできます。
相手をいい気持ちにさせながら、こちらの言い分も通すのです。

 昔、下層階級の人たちは、今よりもっと言いたいことも言えず、
道理に合わないことも我慢して呑みこまなければならなかったでしょう。
それでも上手に人とつきあい、したたかに生きてきたのです。
その「知恵」が昔話の中にたくさん隠されています。

 人間界で「化ける」といえばまず思い浮かぶのは「化粧」です。
よそおいも新たに変身すれば、人の目をごまかせます。

 中略

 化けるというのは本来の自分を隠して、なりたい者に変身することですが、
完全に変身するのではなく、なりたい者をよそおったり、なりたい者のふりをすること、
本来の醜い自分を隠して「美人をよそおい」「美人のふり」をするのでしょうか。

 意味としてはそういうことかもしれませんが、
お化粧をしている人たちはそういう思いでお化粧をしているのではなく、
これから自分に出会う人たちが心地よく感じてくれるようにとの心遣いでしょう。

 男の人だってひげを剃ってスーツに着替えて出かけます。
人とのおつきあいには、まず相手が嫌な感じをもたない程度の身だしなみが必要なのです。

 そう考えると「化ける」というのは相手に対する思いやりでもありますね。

 中略

 人と人がつきあうとき、一直線ではうまくいかないことが多いのです。
子どもならともかく、大人になって「素直」だの「正直」だのと言われたら、
「人づきあいが下手」の代名詞かもしれません。

 自分の要求を通したいとき、相手を思いやって、自分を少しでも感じよくするために、
「化け」たり、相手が気持ちよくこちらの言い分を聞いてくれるように「騙し」たり、
する「知恵」を、ここに載せた話から汲み取っていただければ、きっとお役にたちます。