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お子様業界の保育園

2011-05-28 08:43:36 | 子ども・子育て・保育
 NHKの「仕事ハッケン伝」(26日・木)は、株式会社保育業界最大手経営の横浜市の保育園が舞台だった。

 横浜市は、70年代から多くの大都市が保育園増設した時に対応が不十分だったことも影響し、今日も保育園の絶対数が足りない。そのため保育園の設置基準を緩めて小規模の個人経営で補ってきたが、待機児が最大数であり続けてきた。待機児解消のため保育園を必要としているため、会社経営の認可保育園が増えている。
 会社経営の保育園といえばかつての大手は、無認可保育園であり公的補助がなく、かつ長時間保育等親のニーズ応えていたので、それに必要な園舎や人材が整っているといいがたい無理があった。そのしわ寄せが原因と思われる事故が連年続き、廃業した。
 児童福祉法改定後、保育園が社会福祉法人以外の会社やNPO等でも認可園になる、いわば保育園に市場原理が導入されているのだ。この制度的変更が、徐々に保育園や保育士の専門性や保育活動に変化をもらしていくだろう。
 都市では待機児解消のために、今のところ会社経営の保育園を認可して量的に補って行くのが、スピードが求められるがゆえに有効なのだろう。認可されて補助金があるのであれば、保育園経営の収益もあがり、十分経営ができるはずである。
 今回保育園の株式会社「JPホールディングス」は、今年度だけで18園を新規開園したというから、急激な規模拡大だ。保育は、お子様産業のひとつになっているのでもある。市場としては需要があるのだが、日本の保育が40年余り蓄積してきた保育の専門性を踏まえた保育の質を提供するのは、まじめに考えた場合無理があるのではないだろうか。

 この番組は、さまざまな仕事と職場を紹介するもので、3回目である。第1回が飲食(餃子、ラーメンなど中華)、第2回がITのソフト作りであった。
 NHKは、これまで企画内容を変えながら職業案内の番組をやっている。わたしの記憶では資格ガイドで、たしか15分ぐらいだった。ある時期まで多くの人が視聴できる時間帯だったが、だんだん早朝時間帯に追いやられた。
 その前は若者が仕事を実体験するもので、仕事に参画していく過程に焦点を当てたドキュメンタリーであり、わたしは興味深く見ていた。職業の実際を見ながら現代社会がわかる面があり、わたしは漁業、ゴミ回収など今でも印象に残っている。時間帯は23時台だったと記憶しているが、わたしは午後からの再放送を見ていた。

 今回の番組の舞台となった保育園は、3階までを保育室としており、36人のスタッフである。自己査定というシステムをつくり、自己評価と幹部による評価で待遇と昇進がされている。いわば人事考課制度を採用しているのである。
 園長の「命を預かっているんですよ」ということの強調は、保育園としての大前提なのだが、それを合えて強調するということは、会社の毀損をさせないためにリスク管理をまずやるということなのだろう。
 それに園児のことを「お子様」と言っていたが、保育園が子どもと親へのサービス産業、いわばお子様業界になってきていることを象徴する言葉として、わたしには聞こえた。もっともある市の公立保育園の保育士が、クラスの子どもを「お子様」といっていたので、そう言うようになっているのかもしれない。わたしには、保育園のあり方にかかわることとして違和感がある。

 さてこの番組は、お笑い芸人を1週間職場体験させその過程で仕事の一部を覚え、達成感を持って終了するという企画である。
 お笑い芸人のキャラクターゆえに、本来苦悩であるはずのつまずき失敗が絵になる、というのがミソである。わたし流に言えば、ドキュメンタリーバラェテー(こんな言い方はないが)の性格を持たせている。
 そんな企画の性格から、お笑い芸人の体験者が失敗しつまずき涙して、それを乗り越えて達成して終わるという筋立てである。このパターンを、あらかじめ打ち合わせをしていると思われる。とくに体験者の受け入れ側には打ち合わせ段階でしていると思われる。受け入れ側が、お笑い芸人に密着し一体化して進行することからも、それがうかがえる。
 お笑い芸人があふれている時世でもあり、ぼろぼろの体験が絵になるので、こういった企画が可能であるのだ。

 今回保育士体験したのは、安田大サーカスのトリオの中のクロちゃんである。保育士養成の短大卒というからまったくの素人ではない。当人は「子ども大好き」といっていた。
 クロちゃんは子どもに親しみをもって接近したが、現在の職業であるお笑い的アピールをしていた。子どもとの垣根をとるために面白さでピールした。それは子どもの側を配慮して自分を表現するというよりは、自分のペースに持ち込むためであった。これでは保育で重要な相互応答的関係はできない。
 クロちゃんは、初期にこの園の保育とは異質の物を振りまいていたので、園長松本(58歳)がドカンとクロちゃんを叱った。それでクロちゃんはしょげる。苦悩といいたいところだが、自分の思い通り行かないという浅いものである。
 状況が必要としていることと、それに近づこうとする自分という葛藤が保育という職業に必要なのだが、それとは程遠い。これはクロちゃんだけの問題ではなく、園長が少しは予見をしてオリエンテーションをしていないことにも起因している。保育や教育というのは、終了したことに注意を与えるには、あらかじめ持ってる仮説との関係であった方がよいのだ。

 クロちゃんは途中つまずいた時、「苦しい。勉強ばかりだ。好きなこと何もできない」と泣き出した。これは番組の企画の筋書きである途中のつまずきなのだが、その表現があまりにも幼く、苦悩でなく駄々っ子のようだった。クロちゃんの声が本当の声とは違うのではないかと思われる高い声であること、子どもに必要なことをするというよりは楽しませようとしたといいつつ自分が戯れていることなど、わたしは保育士のあり方としては気になった。もっともクロちゃんのように子どもとのふれあいを、自己確認にしていると思われる保育士もいないわけではない。
 大人は子ども性を内に持っていて、必要な時にそれを引き出しから取り出してくるのだ。いくつもの引き出しを持てっていて、必要な時にそれを使える人が大人なのだが、そう意味では大人になっているのか、と考えさせられた。もっとも今の時代はそういう意味での大人にならなくとも暮らせるようで、そのような人間が多いのかもしれない。
 それにしてもクロちゃんという芸人は、笑いを作るのではなく、笑われ芸人ではないのか、と考えさせられた。だとするとそれは芸ではなく、人間の素でお笑いをしているということだ。
 芸は自分でない自分をキャラクターとしてつくり、それを強く表現することではないのか。そして素人とも日常とも違う域に達しているものを、表現するものではないだろうか。
 お笑い芸人が大量に作られ消費されていく時代なので、芸か素か境界がはっきりしない芸人が多いから、「仕事ハッケン伝」という企画も成り立つということか。

 VTRを職場で見てゲストも加わってのトークもあるが、番組づくりのため相当カットされていると思われる。短期間で仕事の一部を獲得するのはドラマがあって番組を面白くしているが、その辺を差し引いて見なければ、その業界や職業の専門性について期待をしてみると誤解が生まれるだろう。今回の場合わたしは、保育園への企業進出による「お子様産業化」を見た思いをしている。

 この番組で企業の保育園の保育を体験させたが、必ずしも保育の一般的姿といえないだろう。日本の保育全体は保育内容や発達について考えられており、保育士の専門的水準が高い。
 今回は、あくまでも企画にふさわしい舞台と体験した人によって番組にしたと、とらえた方がよいだろう。保育を知らない人が接近しやすいように、笑いと涙を交えて番組を作っているのである。あくまでも保育への入り口としてヒントになるが、保育そのものを語った番組ではないだろう。

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