絵本と児童文学

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絵本作品の類似性と著作権のこと

2007-04-26 16:22:32 | 絵本と児童文学
 絵本を見ていると、似ているなと思うものに出合うことがある。
 『かいじゅうたちのいるところ』モーリス・センダック作 神宮輝夫訳(75年12月 冨山房)と『おふろだいすき』松岡享子作 林明子絵(82年4月 福音館書店発行)は、ストリーにそった絵の全体構成が類似しているようにも見える。
 ストリーは『かいじゅうたちのいるところ』がお仕置きされた子どもが空想でかいじゅうのいる島に出かけそこで遊んで、やがて帰るということで現実に戻ることで、お仕置きが解かれるのである。
 『おふろだいすき』は、一人で風呂へ入ったら様々な動物が出てきて遊んで、やがてお母さんに声をかけられ、現実に戻る。
 このストリーの展開にそった絵の構成の仕方が、かいじゅうと遊ぶ、動物と遊ぶ高揚にともなって絵が大きくなる、という技法を使っているのが類似している。
 推測するに『おふろだいすき』はストリーも絵の全体構成技法も、もしかしたら『かいじゅうたちのいるところ』に触発を受けたかも知れない。厳密にみるとストリーとそれにともなう絵の構成が、類似していると見えないわけではないが、活動とキャラクターも違うので、それぞれ独立している作品と見るのが妥当であろう。
 
 さて、わたしの手元に新美南吉の『ごんぎつね』の絵本が3点ある。
黒井健絵『ごんぎつね』   (1986年9月 偕成社発行) 06年133刷
箕田源二郎絵『ごんぎつね』 (1969年3月 ポフラ社   06年100刷余
いもとようこ絵『ごんぎつね』 (2005年5月 金の星社   06年6刷 
   *いもとようこの作品は、1985年に白泉社で出版されたものを再出版したのである。
 黒井健の作品は、ぼかしを効果的に使った独特の世界を作り出している。箕田源二郎は、基本的デッサンを崩さないリアリズムにとんだ画風である。いもとようこは、画風が典型的ないわゆる童画であり、絵本作家としては地歩を築いたと思われるぐらい人気がある。

 名作『ごんぎつね』を絵本にするのだから、絵を独自に描くというのは当たり前のことだが、既成のものを見てしまうと、それを払拭して作品にすることは大変なのかもしれない。発行年から見て、箕田源二郎は、『ごんぎつね』を絵本にする道をつけたのかもしれない。
 ところで画風としてはおよそ似ても似つかわないはずの、箕田源二郎といもとようこの作品が類似しているのである。
 このことについてわたしはポプラ社に問い合わせをしたところ、ていねいな返事をもらった。結論的には、類似性や著作権侵害は認められないとのことであった。
 箕田源二郎の後にいもとようこが出版されているので、ポプラ社に問い合わせをしたのだが、ポプラ社がいもとようこの作品をたくさん出版しているし、今後とも出版を期待できるから、結論は予想できた。
 ポプラ社の回答は、この種の問題を次の3点で見るということであった。
①絵本全体の構成を流用していないか。
②1枚の絵の構成に類似性がないか。
③絵そのものを盗作していないか。

 わたしはいもとようこの作品は箕田源二郎の作品との類似性があり、場合によっては著作権問題も内包しているのではないかと考えた。
 ポプラ社の指摘した3点にそってみると、①の全体構成はページ数が違う等から、作品は独自であると理解することにしよう。というのも、いもと作品が2枚絵を多く構成しているが、場面の切り取り方の類似性はあるのである。
 ②の1枚の絵の構成は、ポプラ社も「一見似たような構図の絵があることは確認した」とあった。わたしがページごとに見て、次のように分析した。
箕田作品    いもと作品
P9~10    P12~13 絵の構成の類似 左に家 右に釜戸 井戸の位置を変え
               ている
P11~12   P14~15 絵は異なるが、きつねが見ている葬式の視点が同じ
P15~16   P18~19 絵は異なるが、井戸、へいじゅうが米を研ぐ、きつね
               がおり、同じ場の構成である
P17~18   P20~21 にぐるまからきつねが魚を盗むが、ほぼ同じ構図だが左
               右を変えている
P23~24   P28~29 同じ構図
P31~32   P36~37 同じ構図
P33~34   P38~39 同じ構図
 他にも物語の場面の切り取り方、箕田源二郎のイメージと似通っている絵はいくつか見られる。同じ構図としているのは、酷似しており(あえて盗作とはいわない)一見いもとようこの絵とは思えないようでもある。
 さらに重要な点は、へいじゅうという主人公であるおじさんの顔と風貌が酷似している。これは絵本の、いわばキャラクターであり、重要な点である。

 ポプラ社は「もっとも重要な絵のきつね、人物、背景を見ていったときに、それぞれ、作者の表現手法が異なるため、一般の読者が見ても明らかに制作者が違うことが分かる作品になっており・・・」という見解である。
 出版社としては著作権問題になったら、狭い絵本の世界のこと、会社どうしの摩擦を起こしたくないだろうし、箕田源二郎側からの指摘がない限り、人気作家の作品を多く出版したいという事情から問題にしたくないだろう。そんなこともあってか、わたしの指摘を「杞憂」であるとのことであった。
 わたしがこの問題に気づいたのは、たまたまいもとようこの『ごんぎつね』を見て、いつもと違った絵を描くと思いながら進んだら、最後方になったらどこかで見たことある作品だと思って、何十年ぶりかにしまい込んでいた箕田源二郎を見たら、同じ絵であると驚いたのだった。それから見比べたら類似しているし、箕田作品なくしていもと作品なしではないか、と考えたのだった。
 しかし今回は、ポフラ社がわたしの質問にていねいな返事をもらうことができたし、その内容には学ぶ点が多かった。

 ついでに数年前の、絵本の著作権問題を紹介しておこう。童心社の『いないいないばあ』(松谷みよ子作 瀬川康男絵)を、学研が出版した『いないいないばあ』が絵はまったく違うが、全体構成が同じで著作権を侵したとして、童心社が提訴した。これは『毎日新聞』に大きく報道されたが、その後どのように裁判が展開されたか定かではない。

 また、きむらゆういちの「あかちゃんのあそびえほ」のシリーズで使っているしかけは、意匠登録(?)をして、他の人がその手法をつかえなくしていると聞いている。絵本業界は子どもの文化財をどう作り出すかということと同時に、熾烈な市場競争の環境になったていることの象徴的なことである。
 ちなみに熾烈なしかけ絵本のアイディア競争の観を呈しているなかで、福音館書店はその出版をしていない。絵本に対する出版哲学の崇高さをわたしには読み取ることができる。しかけ絵本がよくないとは、一概に言えないのだが。

 絵本は、昨年1500点ほど出版されるに至っている。作家はアイディアを出すために苦悩し、他の作品をヒントにしたりすることは誰もがやっていることであろう。その行為そのものがオリジナルなものをつくりだす場合もあるし、バリエーションぐらいの2次的作品なるのは時々見かけるものである。

*絵を問題にしつつもそれを紹介できないので、これを読んでもよく分からないであろう。絵を扱う場合は、出版社および作者の承諾が必要なので、今回は文章だけにとどめた。関心のある人は、図書館で見比べてほしい。

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