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手と道具と指導と

2011-06-25 14:56:37 | 子ども・子育て・保育
 昨年は保育園に見学に行っていた。4月からは、定期的に2つの幼稚園に行っている。子どもの活気ある声と活動を見るのが、自分の生活に張りが生じるし、何よりもわたしへの学びと研究を提供してくれる、ありがたい場であるのだ。保育内容と先生の指導、そして園舎についてさまざま思いをめぐらすのは、わたしにとっては楽しいことである。

 5歳児が、木工作でゴムの動力をつけて動く船を作る活動をしていた。ゴムの動力で船を進めるためには、船体を軽くしなければいけない。しかし一方にはのこぎりで木を切る、玄翁で木と木を接合する(打ち付ける)という活動も大事にする。そのため船が重たくなり、ゴムの動力では進まない。この兼ね合いを上手いく設計にするのは、難しい。

 ちょうどのこぎりで木を切る作業をしていた。柔らかい杉板のコマイ(木舞)を切っていた。
 万力で木を押さえていて、両手でのこぎりを持って作業をしていた。立ち姿の作業の足は、両足はそろっていた。しかものこぎりの角度が70度ぐらいに立てていた。力は入るがスムースに切れない。子どもはあせっているようによみとれた。作業をしている子どもが少人数になったので、その気持ちはわかる。

 それを見て、部外者であるわたしが介入してはいけないことは自明であるが、やってもよさそうに状況を読み取れたので、子どもに声をかけたのだった。

「あなたこっちの手が得意なの。右利きなんだね。それならね、こっちの左手で木を押さえてのこぎりは右手だけで持てばいいんだよ」
「足もこっちの左足を前にして、右足を後ろにしてごらん」
「のこぎりで木をなでるようにしてごらん。力は入れなくていいんだよ」
(と言いながらわたしは、子どものがのこぎりを握っている手を覆ってのこぎりを持ち、引くとき柄を握って、おす時緩めるという感じをつかませるようにした。)
 その間「なでるように」という言葉を何回もかけて、「力を入れすぎないで同じことをやっていると切れるんだよ」とも言った。
 子どもは作業が途絶えることなく楽に進めることが出来たので、やがて切り終えた。子どもの表情は、当初の作業時よりは穏やかな表情になっていた。
 この際の「なでるように」という言葉が指導語である。指導語とは、その状況を的確に把握し、必要な行動に導くための言葉である。「なでるように」という言葉かけによって、子どもが無用な力を入れることなく、のこぎりを板に対して並行に引く動作を繰り返すと切れる、ということが理解できる。
 「ていねいに」という言葉も子どもにかける言葉として大事だが、意欲的に活動をしているのを、落ち着いて活動の質を高めさせようと言う時に、力を持つ言葉である。指導語は保育者にとって宝であり、子どもにとっては活動に動因させてくれ学びを喜びにしてくれる魔法の言葉なのである。

 当初の作業フォームは、両手そろえてのこぎりを持ち、足をそろえていた。わたしが同じフォームで木を切ろうとしたが、のこぎりを扱うことは無理であった。子どもはもっとも作業のしづらい不自然なフォームでやっていたのだった。 
 人間の手足の使用の基本は、利き手で道具を持ち、もう一方の手は添えるのが原則である。両手一緒に使うのは、特殊な状態である。たとえば車のハンドル操作では、両手を使っているようだが、どちらかの手を重点にして、もう一方の手は添えているのである。状況によって左右の重点とする手を代えている。また、釘を打つときは、玄翁を持つ手ともう一方の釘を持つ手は、それぞれ違う動作をする。
 このように手は、常に片方が主でもう一方が添える。またはある目的のため、に片方ずつ独立して動かして作業をするのである。
 足は両方並ぶということは特殊な時で、スポーツでは相撲や柔道は両足そろったら劣勢になる。野球の投げるとバッティングでも両足の時はなく、片足ずつで体重異動をしてプレーをする。
 作業も同じでことで、重いものを持ち上げる時でも両足そろえるのではなく、前後にしたほうがよいのである。多くの作業は、片足ずつ体重を移動させながらするものである。

 担任に作業をするとき腕と足の使い方を、野球の例をとって説明したら、野球体験がある男性保育者は、よく理解できたようだ。人間の腕と足は左右一緒に使うことは、例外的なことなのだ、ということ。
 5歳児の木工作は、程よい抵抗があり道具使い加工するという、子どもにとって作業過程は難しいが完成したときの喜びは大きいものがある。
 それゆえに保育者が、道具の扱い方など指導内容と子どもに分かりやすい指導方法の探究が求められる。子どもにつまずきではなく、抵抗をともなう作業過程を経て達成していく喜び体験をさせるために。

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