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外弁慶の子どもでは困る

2003-12-25 20:05:53 | 子ども・子育て・保育
外弁慶の子どもでは困る (2003年12月25日 (木) 20時05分)

 朝日新聞(名古屋本社発行)の12月4日の声欄に、「家庭の放任が外弁慶を増やす」と題して中学の教員による投書が載っていた。家庭で強いが学校等大勢の前で自分を出せずにいる子どもを、ふるくから内弁慶といったので、その逆の子どもが多くなっていることを外弁慶と称したのだ。原文の一部からその主旨を紹介しよう。
 「(略)ところで昨今、学校でだけ強い『外弁慶』とでもいう子供が増え始めている。羽を伸ばせるだけ伸ばすばかりか、羽目をはずしてエゴ丸出しの学校生活を送る子供たちだ。物おじしないどころか、厚かましくてなれなれしい。そんな子供たちの保護者に限って『家では普通です』と言うことが珍しくない」
 「(略)本来あるべき家族間の対話が不足しているため、精神的に満たされないものを学校生活に求めたり、あるいは学校内で爆発させたりしているのではないか。学校は集団生活の場である。集団と個人の兼ね合いは、他の社会集団と同様に避けられない。しかし、外弁慶の子供たには兼ね合いが自覚できない」
 外弁慶の子どもが増えており、その原因は家族間の対話の不足ととらえ、学校の諸問題の根このようなところにあるとしている。中学生が、学校生活に必要な秩序が維持できないことに手を焼いている、教員の嘆きが聞こえてくる。
 外弁慶と称するタイプの子どもを家庭教育の視点で見るならば、ほんらい幼いときにパブリックマナー獲得に尽くし、その力によって中学生だと自立的であり、親は干渉しないぐらいに育っていることが望ましい。ところが日本の子育ては、幼いときパブリックマナーに必要な判断力育てるなどの教育をしないで、小学校高学年ぐらいからむしろ子どもに干渉する場合場が多い。
 この場合の外弁慶の子どもは自立的でないがゆえに、幼く依存的だから状況を見極めたり出来ずに、自分の欲望にそった行動をする。教員としては勉強を中心とした学校の秩序を崩されることは、疲労をともなうもの。問題は家族の対話で解決するとは到底思ない。それまでの育ち、メディアなどの文化環境、今日の学校の性格など多面的な考えなければなるまい。
 また大変なことであるが、そのような子どもも受容できる学校の器の大きさを用意できればよいのだが、今日の学校にそれは望むのは無理というものだろう。

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