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ゆったりとした生活の地域を訪ねて

2003-11-17 12:05:24 | 旅行
[109] ゆったりとした生活の地域を訪ねて (2003年11月17日 (月) 12時05分)

 豊橋から飯田線に乗り継いで、特急が出たのは9時13分だった。電車の本数があまりないと聞いていたので、のんびり行動すればよいのに、逆にぼくは少ない電車に乗り遅れたら大変だ、という気持ちになっていた。発車までの30分あまりの間は「着いたら帰りの電車時間を調べておいて…」といったぬかりのない行動をとらねば、といったことに頭をめぐっていた。
 列車のアナウンスは、飯田線の歴史にふれたうえで
「南アルプスから伊那谷に向かう…」
とした。目的地はそこまでではないが、きれいな紅葉に巡り合えると期待をしながら、車窓から絶えることのない山々の景色を見ていた。植林をした杉林ばかりが続いたが、ところどころにたくさんの実をつけた柿の木が秋を映し出していた。
 目指した駅では、鳳来山へ行くのうだろう人たちも降りた。すぐに帰りの時刻を調べたら、2時間近くの間電車のない時間帯があった。帰りを急がなければならない訳ではないのに、なぜ焦燥感がもたげた。
 次に目的地へのバスの時刻を見たら、1時間半ぐらい待たなけれならない。バスを使うと昼頃到着することになる。帰りの見通しが描けなくなったので、タクシーを利用することにして電話をした。
「駅までお願いします」
「はいはい、すぐに行きます」
車に注目していたら、モミジマークをつける年齢と思われる人の車が駅前を何台か通り過ぎていく。すぐといわれたのに、なかなかそれらしいものが来ない。また電話した。すでに駅へ向かっているとのこと。今度は名前を告げてお願いすると、2~3分でつくとのこと。しかしなかなか来ない。どうも食い違いが起きていると思い、また電話した。やはり私の電話している駅と、タクシー会社の駅との食い違いであった。その間の40分あまりは、ゆっくり時間が過ぎていくその地域の生活様式と、私の中に備わっている1分あるいは5分の時間感覚とのぎゃプが葛藤する時間となっていた。
 タクシーでは、昔は峠だっただろうと思われる道、あるいはところどころに集落や商店も並ぶまちも通過した。山々は杉林ばかりだった。林業が盛んなときは、にぎわいもあったのだろうとの想像は容易に出来た。67年までは私鉄の電車があったとのことだ。線路沿いにあっただろう木々がその歴史を語っていた。
 鳳来山の紅葉を見られると期待していたが、その兆候がわずかに感じられるぐらいの状態であった。天候が温かで例年より遅いとのこと。急な斜面でそびえたつような山の木々から岩肌をところどころに見せている鳳来山だが、紅葉の時期の美しさを想像してみるしかなかった。鳳来山は、歴史的な鳳来寺や徳川家ゆかりの東照宮がある信仰の山でもある。
 さて目的地の保育園は木造平屋でムクの木の廊下であり、なつかしい世界へと誘ってくれた。14人の子どもがゆったりと生活と活動をしていた。都市部のかん高い子どもの声と先生の声がつねに飛び交うそれとは、別世界である。これだけ人を許せる関係で育つ日本の子どもがいることを、私の視野からなくなっていたのを、呼び覚ましてくれた。山の緑と前方の川の流れる音が聞こえる静けさにつつまれていればこそ、であろう。そして帰りの時間を気にしている自分との落差の大きさに、現代の日本の断面を感じたのだった。
 その地域には、歴史的な観音堂がある。毎年2月に地域の人々と子どもたちによる歌舞伎がそこで催されている、とのことであった。人々の紐帯的関係と教養なくしては、今日まで連綿と続かないことである。
 また町にある高校には林業科があると聞いて、改めて杉などの植林された緑の山々を眺めて見た。所々にかれた木があるのをみて、日本の林業の衰退をまざまざと見せつけられる思いだった。林業は輸入材に押されて、生産するだけ赤字を抱えてしまう現実があるのである。
 都市であるわが家の近くが大規模に宅地化されて、目下建築ラッシュである。ハウスメーカーによる建築は、使っている木材は輸入材と集積材とパネルである。あわただしく仕組まれている暮らしで、人口過密がすすむ。
 ゆったり時間が過ぎていく林業地帯は、深刻なぐらいの過疎でもある。そこに暮らしていないがゆえに、ゆったりと時間が流れることに焦燥感を持った都市生活人間となっている自分を、改めて見つめる1日ともなったのだった。
 山間地域の恩恵で都市が成り立っているのに、森林が豊かな海をつくるのに欠かせないし、経済効率だけででいいはずがないのに、近隣の人の顔さえ知らない私の暮らし、スローライフか・・・・・・。

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