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早春の飛騨へ

2005-03-09 17:11:57 | 旅行
[222] 早春の飛騨へ 投稿者:秋野勝紀 (2005年03月09日 (水) 17時11分)

 高速道路の車窓から目に入るのは、瓦屋根で太い木材の柱と白壁や土壁でおおわれた、堅牢な大きな家の点在している風景が印象的である。バスの走行とともに残雪が多くなり、北へ向かっているのを実感できた。
 休憩で途中下車したときは、日差しの柔らかい明るさとほほを通る冷たい風のコントラストだった。ゼミ旅行で、学生とともに早春の飛騨へ向かっていたのだった。

 終着は高山だ。JRの駅前で下車したが、目に入ったものは最近のどこにでもある駅前の景観とは違っていた。この規模の市では全国どこでも駅前にある、消費者金融の看板がなかったのだった。それがむしろ当たり前のことなのだが、街並みを観光資源にしている倉敷市の駅前が、その業界の赤い看板が目立って、わたしはがっかりした記憶が甦っていた。駅前にコンビニが2つあったが、それも目立たなかった。
 昼食は、少し歩いたそば屋さんとし、わたしは多種のそばを食べられる品にした。食からも高山へ着いたことを実感したのだった。
 古い町並みを歩いたが、町に伝統的職人や産業が点在していた。一休みに入った喫茶店は、畳に座ってくつろいだ。格子戸ごしに向かいを見たら、道路沿いの建物の中央から入る昔の建物のままの産院であった。その風情は遠い昔の世界にわたしをいざなってくれた。喫茶店の建物も、太い柱をしっかり組み立てているのが見えるものだった。階段の幅や傾斜からも100年を有に超える時間を感じ取ることができた。わたしは、町そのものがある種の日本を知りうる、テーマパークと思ったのだった。
 わたしは美術館や民芸館等に関心があり、じっくり見たいと思ったが機会を改めることとし、学生とともに行動した。都市では体験できない、この地域の伝統文化と昔の暮らしを想像するのに十分であり、満足したのだった。

 ホテルの温泉では、しばし日常性を排したゆったりした時が流れるのを味わった。日暮れ時の街の明かりを一望し、遠くに目を転じては雪をいただいた乗鞍などの稜線は柔らかかった。この異質の2つの世界は、想像力をかきたて、ゆっくり時間が過ぎるのに十分な条件であった。
 夕食をおいしくいただき、わたしは眠りについた。学生たちは、それから語り合いが始まったのだった。

 起きたら一風呂浴びて朝刊を読むという、旅でのわたしの朝の儀式を終えて部屋に戻ったら、学生たちは熟睡中であった。ハイクラスの設備とサービスのホテルであり、一晩のぜいたくな旅の気分を堪能して、朝市へ向かったのだった。



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