[108] 23 エスカレータを、大阪が左側を空ける訳は (2003年11月16日 (日) 13時38分)
<NHKラジオで今年の7月頃、なぜ大阪は左空けなのだろうと話題になっていました。これは02年9月に書いて他のHPの掲示板に掲載したものですが、今後も話題になり続けそうなので、このコラムにも残すことにしました。>
大阪が左側を空ける訳の、回答とおぼしき記事を見つけました。かの有名な齋藤孝氏(明大)が連載しているエッセイの「コロンブスの卵焼き」(週刊文春02年8月29日号)でです。それによると氏も「東京とは全く逆。大阪は別な国なんだろうか、…」と驚くと、「出迎えに来てくださった富田林市教育委員会の方が教えてくれました。国際的には大阪流が主流(略)東京がローカルルール(略)」とのこと。その訳は、「(略)70年のあの万博で身につけた財産なんだ(略)」とクリアーな回答、としています。
私はこのクリアーな回答としている万博説は、怪しいと見ています。エスカレーターが左右どちらか空ける必要があるのは、2人ぐらい利用幅のものです。首都圏の場合、駅のエスカレーターが普及しだしたのは、バリアフリーの考え方が広がりと共に80年代半ばぐらいからでしょうか。今日のように都市部のほぼ全ての駅に設置され、人込みの街にも普及したのは90年半ばからでしょう。この状況が、交通バリアフリー法(00年年策定 高齢者、身体障害者等の公共交通機関を利用した移動の円滑化促進に関する法律)施行の誘い水になったと思われます。
70年の万博の会場に、たくさんのエスカレーターがあったかは、私は分かりません。それに国際基準が必要なほど外国人が来たのでしょうか。外国人の来訪に関係なく左側を空けるとしたかもしれません。それよりもその頃左を空けるという行動様式が、成立したを問うてみなければなりません。
70年のエスカレータの普及と使用状況を、考えてみます。当時は駅や街にはなく、あったのは空港やデパートぐらいです。一般市民の利用するデパートのそれは、幅の広いものでどちらかを空けるといった利用はしませんでした。なにしろ80年代までは、構造上の問題もあってデパートのエスカレーターに衣類をはさんむなどで事故が起きていた状況です。
このように考えていくと、万博に仮にたくさんのエスカレーターが設置されていたとしても、エスカレーターに乗りながら歩くという行動を、一般市民がとったかどうかです。私の想像では、危険なこととして戒められていたのではないか、ということになります。
ところで首都圏の右空けの行動様式が定着したのは、どんな経過をたどっていつ頃から定着したかを考えると、大阪のそれの謎が解けるのではないでしょうか。
私は首都圏の駅はあまり利用しませんが、ヨーロッパで体験したようにどちらかを空けるようにしたらどうかという思いはずっと持っていました。私の実感では、右側を空けることが定着したのは数年前から(98年、99年頃)です。私の想像としては、右空けが定着したのは右側通行の慣行にならったからではないでしょうか。定着した過程が大事なのですが、これも想像ですが自然な定着は困難なので、ある会社のある駅でアナウンスしたことが定着に導いたかもしれません。 危険がまったくないと言えないものを、一斉に全域に奨励したとは考えにくいからです。
とすると大阪の左空けは、駅だけによくある左側通行に準じたのではないか、と推理するのです。この辺のことは、大勢の人の体験を出し合って集約すると明らかにできます。
行動様式は、地域の文化であり物的条件の変化や時代と共に変化します。たとえば食事開始の「いただきます」の合掌は大方中部以西で、東と北日本ではしないのではないでしょうか。これとて学校給食を通して全国的に普及し始めています。もっとも規則を反映しているはずの車の運転でさえ、関東、名古屋、大阪のそれは大変な違いがあります。国際的なこととしては、イエスの場合顔を横に振るしぐさをするのが、アルバニアとインドの一部にあります。私たちの挨拶はお辞儀ですが、交わりにふさわしくないために日常的にはすたれています。新しい現象としては、久しぶりに会った場合など抱き合うことが、90年半ば頃から現れ始めました。これは国際化と共に、サッカーでゴールをした時の喜び表現の影響ではないか、と私はみています。
行動様式の定着過程のことで、「フォーク並び」の例でみることにします。私は80年代にロンドンで体験して、合理的な様式なので日本にも取り入れられないものかと思っていました。90年代半ばから、銀行と駅の券売でロープを使って採用し始めました。多くはいまだロープなくしては成立しませんが、ある地域と女性トイレに並ぶのははロープなしでおこなわれているとのことです。
首都圏の人は、とかくその行動様式は日本標準と考えがちだが、大阪の人は上方としての誇りから、東京はローカルといいいたいのです。ジャイアンツやスワローズが優勝しても神田川には飛び込まないことからしても、文化は相対化してみる必要があると考えています。
<今回の補足>
NHKラジオでは、東京と大阪が逆なので名古屋はどうなっている、という話題でした。東西のまんなかだから中央を空ける、というのは私のちっぽけな冗談で、名古屋は右空けです。学生にこのことを話題にしたら、名古屋エリアのテレビでやったことがあって、エスカレーターはそもそも歩くべきではない、という結論を導き出していたとのことでした。このような番組づくりは分かるな…。
通常の駅階段の場合、エスカレータに乗っている時間は30秒前後です。歩くことによって短縮するのはせいぜい5~10秒です。このようなことからしてエスカレータで歩くのは、時間短縮という実利ではなく、急ぐという心理的なことを満たすのとその人の行動リズムをかなえるためではないでしょうか。
安全性のことでは、あるデパートではいまだに「つかまって…、巻き込まれないように…」とアナウンスしています。駅のエスカレータで事故が起きなくなたのは、乗り降りの際の1㍍弱が平らであり動きがなめらかなになったためです。それに加えて利用者がなれたことによることも大きいでしょう。
<NHKラジオで今年の7月頃、なぜ大阪は左空けなのだろうと話題になっていました。これは02年9月に書いて他のHPの掲示板に掲載したものですが、今後も話題になり続けそうなので、このコラムにも残すことにしました。>
大阪が左側を空ける訳の、回答とおぼしき記事を見つけました。かの有名な齋藤孝氏(明大)が連載しているエッセイの「コロンブスの卵焼き」(週刊文春02年8月29日号)でです。それによると氏も「東京とは全く逆。大阪は別な国なんだろうか、…」と驚くと、「出迎えに来てくださった富田林市教育委員会の方が教えてくれました。国際的には大阪流が主流(略)東京がローカルルール(略)」とのこと。その訳は、「(略)70年のあの万博で身につけた財産なんだ(略)」とクリアーな回答、としています。
私はこのクリアーな回答としている万博説は、怪しいと見ています。エスカレーターが左右どちらか空ける必要があるのは、2人ぐらい利用幅のものです。首都圏の場合、駅のエスカレーターが普及しだしたのは、バリアフリーの考え方が広がりと共に80年代半ばぐらいからでしょうか。今日のように都市部のほぼ全ての駅に設置され、人込みの街にも普及したのは90年半ばからでしょう。この状況が、交通バリアフリー法(00年年策定 高齢者、身体障害者等の公共交通機関を利用した移動の円滑化促進に関する法律)施行の誘い水になったと思われます。
70年の万博の会場に、たくさんのエスカレーターがあったかは、私は分かりません。それに国際基準が必要なほど外国人が来たのでしょうか。外国人の来訪に関係なく左側を空けるとしたかもしれません。それよりもその頃左を空けるという行動様式が、成立したを問うてみなければなりません。
70年のエスカレータの普及と使用状況を、考えてみます。当時は駅や街にはなく、あったのは空港やデパートぐらいです。一般市民の利用するデパートのそれは、幅の広いものでどちらかを空けるといった利用はしませんでした。なにしろ80年代までは、構造上の問題もあってデパートのエスカレーターに衣類をはさんむなどで事故が起きていた状況です。
このように考えていくと、万博に仮にたくさんのエスカレーターが設置されていたとしても、エスカレーターに乗りながら歩くという行動を、一般市民がとったかどうかです。私の想像では、危険なこととして戒められていたのではないか、ということになります。
ところで首都圏の右空けの行動様式が定着したのは、どんな経過をたどっていつ頃から定着したかを考えると、大阪のそれの謎が解けるのではないでしょうか。
私は首都圏の駅はあまり利用しませんが、ヨーロッパで体験したようにどちらかを空けるようにしたらどうかという思いはずっと持っていました。私の実感では、右側を空けることが定着したのは数年前から(98年、99年頃)です。私の想像としては、右空けが定着したのは右側通行の慣行にならったからではないでしょうか。定着した過程が大事なのですが、これも想像ですが自然な定着は困難なので、ある会社のある駅でアナウンスしたことが定着に導いたかもしれません。 危険がまったくないと言えないものを、一斉に全域に奨励したとは考えにくいからです。
とすると大阪の左空けは、駅だけによくある左側通行に準じたのではないか、と推理するのです。この辺のことは、大勢の人の体験を出し合って集約すると明らかにできます。
行動様式は、地域の文化であり物的条件の変化や時代と共に変化します。たとえば食事開始の「いただきます」の合掌は大方中部以西で、東と北日本ではしないのではないでしょうか。これとて学校給食を通して全国的に普及し始めています。もっとも規則を反映しているはずの車の運転でさえ、関東、名古屋、大阪のそれは大変な違いがあります。国際的なこととしては、イエスの場合顔を横に振るしぐさをするのが、アルバニアとインドの一部にあります。私たちの挨拶はお辞儀ですが、交わりにふさわしくないために日常的にはすたれています。新しい現象としては、久しぶりに会った場合など抱き合うことが、90年半ば頃から現れ始めました。これは国際化と共に、サッカーでゴールをした時の喜び表現の影響ではないか、と私はみています。
行動様式の定着過程のことで、「フォーク並び」の例でみることにします。私は80年代にロンドンで体験して、合理的な様式なので日本にも取り入れられないものかと思っていました。90年代半ばから、銀行と駅の券売でロープを使って採用し始めました。多くはいまだロープなくしては成立しませんが、ある地域と女性トイレに並ぶのははロープなしでおこなわれているとのことです。
首都圏の人は、とかくその行動様式は日本標準と考えがちだが、大阪の人は上方としての誇りから、東京はローカルといいいたいのです。ジャイアンツやスワローズが優勝しても神田川には飛び込まないことからしても、文化は相対化してみる必要があると考えています。
<今回の補足>
NHKラジオでは、東京と大阪が逆なので名古屋はどうなっている、という話題でした。東西のまんなかだから中央を空ける、というのは私のちっぽけな冗談で、名古屋は右空けです。学生にこのことを話題にしたら、名古屋エリアのテレビでやったことがあって、エスカレーターはそもそも歩くべきではない、という結論を導き出していたとのことでした。このような番組づくりは分かるな…。
通常の駅階段の場合、エスカレータに乗っている時間は30秒前後です。歩くことによって短縮するのはせいぜい5~10秒です。このようなことからしてエスカレータで歩くのは、時間短縮という実利ではなく、急ぐという心理的なことを満たすのとその人の行動リズムをかなえるためではないでしょうか。
安全性のことでは、あるデパートではいまだに「つかまって…、巻き込まれないように…」とアナウンスしています。駅のエスカレータで事故が起きなくなたのは、乗り降りの際の1㍍弱が平らであり動きがなめらかなになったためです。それに加えて利用者がなれたことによることも大きいでしょう。
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