絵本と児童文学

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夏休みの宿題など

2008-08-23 10:17:54 | 子どもからの発見
 海(2年生)は後1週間で夏やすみが終わる。旅行、合宿など体験したが、日常的には都市の住宅街がゆえに友だちと遊ぶことは少ない。親と行動する以外は妹と遊ぶ。友達どうしの関係が多くなるのは、3、4年生ぐらいからだろうか。これとて生活圏に遠い、5分ぐらい離れたところにしかいない。
 都市の住宅街の場合は、土地をぎりぎりに使い大人が生活することを中心に作られているので、本来必要な物的ゆとりがとれない。プライバシーに介入しないために、声を抑制的に話さざるを得ない、常時部屋はレースのカーテン等で覆う、といったことになる。それに挨拶はするが、それ以外はまったく交流しない関係である。
 その枠で子どもが生活するのだから、子どもとしてありがちなワイルドな行動が抑制される。車があまり通らない道路だが、遊びは公園まで出かけていく。5分前後のところに3つほどあるので、そこへ出かけることになる。

 夏休みに宿題は付き物だが、ドリル類は早々に済ませたようだ。制作も最近終えたみたいだ。本を読むまたは読んでもらうというテーマもあり、本には関心が向いている。
 図鑑をそろえてほしいという希望があったのでそろえたら、時間があれば様々な分野に興味を広げ知識を得ている。それにクレヨンで図鑑の写真を描く作業をして、ファイルに描きためている。これまでの動物と昆虫だけではなく、そうとうな広がりを見せている。図鑑は長年利用されている小学館、学研のものもあるが、子どもへの導入に工夫があるフレーベル館のものを、子どもは好んでいる。

 これまでの縄跳びをやることはあったが、気乗りしなかった。ところがこのところ急にやる気になって、数日やったらとべるようになった。
 2年生なので見て気づいて習得する部分が多くなる。それに技術的ポイントを言うと、やってマスターしようとする。海の場合は、縄のまわし、縄の回しと足と合わせることを先にわかり、一定の拍で跳ぶ感覚を身につけることが後になった。
 縄跳びは一定の拍で跳ぶことを腕から繰り出す縄と連動させる運動(供応性)である。精神的には、一定の法則(拍)にそって自分で自分を制御するということであろう。 

 春から自転車で10分あまりの遠くだが、親が畑を借りて野菜を作っている。7月下旬から様々なものを収穫している。ナスやキュウリは取れたてがおいしい。最近はトマトを収穫してきて、得意げに持ってくる。
 取れたてのナスを生で食べるとおいしいので、そのことを言ったら「買ったものでなく、作ったものだから」という言葉が返ってきた。なにやら価値観の萌芽を感じさせる。都市での暮らしという条件の中で、ささやかながら自然と人間の営みの貴重な体験である。


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