世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●日本の憂鬱 本質的に相反する安倍政権と天皇の良識

2015年04月07日 | 日記
「衝動」に支配される世界---我慢しない消費者が社会を食いつくす
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●日本の憂鬱 本質的に相反する安倍政権と天皇の良識

昨日のコラムでも書いたのだが、最近の皇室をキャッチアップするマスメディアや出版社の動きは不気味である。天皇皇后や皇太子ご一家をスルーして、秋篠宮家に異様なほど光を当てている。ひとつには、今上天皇が過去の歴史を踏まえて、日本の良識(サイレントマジョリティ)を代弁する欧米諸国よりはむしろアジアに目を向けた“国際社会全体”に配慮した談話に対し、挑戦的な特集や報道がなされている。マスメディア連中が、自主的に、このような行為に出ることはあり得ないので、何らかの意図が隠されていると推論しておくことは重要だ。

たしかに、天皇皇后や皇太子ご一家のリベラルな民主主義への尊重の心や、近隣諸国との友好平和姿勢、国民の安寧こそ、最も大切だと云うお考えが、現政権の方向性に異を唱えているように感じるのは事実だろう。しかし、昭和天皇の晩年、及び今上天皇においては、一貫して、現在と同じことを語っているわけで、何ひとつ、そのお考えやお言葉を変えてはいない。しかし、そのお言葉が、自分たちの耳には、皮肉や批判に聞こえてしまう輩が、少なからず存在することを指し示している。

安倍や菅は、都合の悪い事で、世が世であれば内閣総辞職に追い込まれるような振舞いを、日常的に行っている政権だけに、「問題ない」「粛々と」を連発せざるを得ない日々を送っている。菅は「粛々」を封印するそうだが、腹の中は、更に企てを複雑にして「粛々」から「黙々」に肝に銘ずることになるのだろう。普天間移設騒動で、国民目線が沖縄だけに向けられているが、天皇、皇后様の何十年来の念願であった「パラオ諸島」のご訪問への報道姿勢が疎かにされている。本来であれば、パラオ諸島の終戦直前の日本軍が、どのような軍事作戦を選択したのか、NHKなどは、率先して国民に歴史の事実を報道する義務がある。

終戦直前の沖縄において、同じくパラオ諸島において、日本軍、延いては日本政府や、それを実質的に動かしていた官僚組織と云うものが、どのような価値観で、国民の生命財産を扱ってきたか、それを知るには、今こそ絶好の機会ではないかと思う。目の前で、沖縄辺野古の海を重機で蹂躙し、カヌーで平和に抗議する人々に船舶ごと体当たりに近い蛮行をするのだから、呆れてものが言えない。道路の白線を越えたと言っては、抗議運動のリーダーを米軍に引き渡すなど、同国人とは思えない恥ずべき行為を行う。挙句に、県民の民意と真逆な政策を、お国の為だと言い募り、金の力で何とかしようと、守銭奴のような目つきで迫る。

そんな折、沖縄戦における棄民作戦同様に、当時植民地化していたパラオ諸島においても、同じことがなされていた。そのことに心を痛めていた今上天皇が、風邪をおしても、パラオを訪問すると云うことは、“日本の良心は、本当はこう云うものです”と世界、特にアジアの国々に明示する最高の機会なのである。天皇には、国事行為の制限が設けられているが、天皇が象徴として、日本の良心の象徴的行為をなさることは、極めてシンボリックだが、有効なメッセージである。

このニュースを、どこまで重要に報じるかどうかは、世界の報道機関の注目の的になっている。おそらく、この天皇のパラオ諸島訪問のニュースを矮小化させる為に、官邸は死に物狂いで、メディアコントロールをしているに違いない。古賀の反撃も、こう云う面を含めて考えると、“むべなるかな”である。しかし、親安倍な人々は、右翼だと聞き及んでいるが、今上天皇の言葉や行動を、好ましくないと思っている節があり、非常に奇異な右翼連中である。一昔前に、日本の天皇はマッカーサーに代替えしたと言われたようだが、その事実を目の当たりにしているようだ(笑)君たちの天皇は、いつ、アメリカ様になったのかな?

冒頭で危惧するような動きが、安倍を取り巻く連中の中にいるようだ。それは、部外者が知ることは現時点で不可能だ。しかし、沖縄と政府のガチンコや、今上天皇や皇后の存在を蔑ろにせんと云う試みは、アメリカ天皇と云う鵺を戴く勢力によって、着々と画策されている傍証は散見する。つまり、昭和天皇、今上天皇、皇太子と云う流れに異議申し立てしようと云う輩が動いている痕跡だ。権力的であることを好む皇室も、探せばそれなりに存在するのも事実だろうから、国民は、余程注意深く、その辺を観察しておく必要はあるだろう。

ただ、直近の統一地方選の流れを観察していると、国民全体に、政治離れが加速しているようだ。現時点を見る限り、無駄な抵抗はやめておこう、“命あっての物種”という傾向が顕著になっている。このままだと、政治的無風状況が継続し、「心棒が抜けた全体主義」が加速することで、更なる国民の政治離れが生まれるかもしれない。参議院選が間近になれば、またネジも巻かれると考えるのは安易すぎる。いやしくも民主主義国家を標榜し、主権を得ていながら、象徴である天皇陛下や皇后陛下の言動に期待するのか忸怩たるものもあるが、現実的には、それが最も合理的に見えると云うのは、あまりにも逆説的でもある。

≪ 攻めた翁長氏「政治の堕落ではないか」 菅長官と応酬
 ようやく実現した菅義偉官房長官と沖縄県の翁長雄志(おながたけし)知事による5日の会談は、厳しい空気に包まれた。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の辺野古移設への理解を求める菅氏に、翁長氏は口を極めて反論。辺野古移設をめぐる対立は収まりそうにない。
 「30分で、何か言い尽くしたような感じがしました」。那覇市のホテルでの会談後、翁長氏は満足そうに報道陣に語った。
 事務方も同席しない2人きりの会談は1時間。冒頭から10分間程度を報道陣に公開する予定だったが、菅氏、翁長氏の順に約15分ずつ持論を述べ、30分余りが公開された。
 翁長氏は辺野古移設を「唯一の解決策」とする菅氏に徹底的に反論した。
 菅氏が辺野古移設の根拠とした「普天間の危険性の除去」については、「普天間も含めて基地は全て強制接収された。普天間は危険だから、危険除去のために沖縄が(辺野古で)負担しろと。こういう話がされること自体が、日本の政治の堕落ではないか」。70年前の沖縄戦で奪われた土地を返してもらうために、なぜ沖縄が基地を提供するのか、と問いかけた。
 強い姿勢で臨んだ翁長氏の胸の内を、周辺は「知事は菅氏の向こうに本土の国民を見ている」と解説する。翁長氏は基地問題をめぐる沖縄と本土の温度差を嘆いてきた。最近、周囲にこう語った。「本土に何を言ってもすぐ忘れる。ならば石を投げた方がましかも知れない。痛みは忘れないから。ウチナーンチュ (沖縄の人)は、ずっとその痛みに耐えてきた」
 それだけに翁長氏は今回の会談に、挑発的とも取れる発言で政権に「石を投げる」思惑を込めた。会談用の原稿には「このまま政府が埋め立てを強行するなら、県は今後いかなる行政手続きにも応じられない、と申し上げる」という一文すらあった。
 ただ、ここにはペンで大きく「×」。翁長氏が冒頭発言で行政手続きに触れることはなく、政治的な議論に持ち込む策をとった。背景には、移設阻止に向けた戦略の変化がある。これまでの行政手続きによる対抗策が「やや無理筋になっている」(県幹部)という認識があるからだ。
 知事就任後、翁長氏は辺野古の海底ボーリング調査の「停止指示」など、行政手続きを駆使して作業を止める道を探ってきた。だが3月末、国に指示の効力をいったん止められた。県の最大権限である辺野古の埋め立て承認の取り消しや撤回に踏み切るかの判断は早くても7月となるため、移設阻止へ向けた成果をすぐには出しにくい状況にある。
 そうした中、菅氏は1日に沖縄訪問を宣言。翁長氏側もすぐに会談に応じる意向を表明した。4日には翁長氏側近の安慶田光男副知事が菅氏と非公式に協議。翁長氏によると、会談の段取りを調整したという。
 「行政手続き面で手詰まり感のある翁長氏にとって、会談はちょうどいいタイミングだった」。県関係国会議員の一人は翁長氏の胸中をこう読む。
 会談後、翁長氏は報道陣にこう語った。「(移設問題の)原点をお話ししたから、これから沖縄の主張は話しやすくなった」(山岸一生)

■菅氏「話し合い、第一歩」
 局面を打開しようと沖縄に自ら乗り込んだ菅氏だったが、待っていたのは翁長氏の「上から目線」という激しい言葉だった。
 菅氏は米軍の新型輸送機オスプレイの訓練の本土受け入れや嘉手納以南の米軍基地返還への取り組みのほか、3千億円台の沖縄振興予算を確保していることを訴え、辺野古への基地移設について理解を求めたが、翁長氏は「絶対に建設することができない」と譲らなかった。想定を超える翁長氏の強硬さに、官邸幹部は「日本と米国の約束は、辺野古への移転と引き換えの普天間返還だ。辺野古移設ができなければ、米国が普天間を返すわけがない」と不快感を隠さなかった。
 唐突な方針転換にも見えた菅氏の沖縄入りだったが、菅氏は3月上旬から、水面下で訪問に向けた準備を進めていた。
 翁長氏は昨年12月に沖縄県知事に就任して以来、たびたび菅氏との会談を求めた。だが、菅氏は選挙後の内閣改造や国会審議などを理由に一貫して拒否。記者会見では、「粛々と工事を進める」「この期に及んで」という言葉を繰り返した。官邸の強硬姿勢には、野党だけでなく自民党内からも「『この期に及んで』と問答無用な感じで発言するのは非常に心配だ」(山本幸三衆院議員)などと懸念する声が上がり始めた。
 こうした世論を感じ取った菅氏は沖縄行きを決意。3月中に数度、沖縄と関係の深い衆院議員と面会し、沖縄訪問の意思を伝えた。選んだのは4月4日の西普天間住宅地区返還式典。米軍が接収していた土地の返還式ならば、埋め立て工事で注目されがちな辺野古から、菅氏が「問題の原点」とする普天間の現状に世間の関心を移すことができると計算した。
 菅氏は、普天間の危険性除去と基地負担の軽減、沖縄の経済振興を「政府の最重要課題」に掲げる。目に見える形で世論に訴えることができる返還式典に出席し、翁長知事との会談に臨むという日程は「最高のタイミング」(官邸幹部)のはずだった。
 しかし、安倍政権は予想を超える翁長氏の国に対する強い不信感を目の当たりにすることになった。菅氏は今回の会談について「話し合いを進めていく第一歩になった」と評したが、安倍晋三首相と翁長氏の会談の見通しは立たないままだ。沖縄県選出の野党議員の1人はこう突き放す。「首相訪米をにらんだパフォーマンスに過ぎないと県民は分かっている」(星野典久)

■国と県の攻防、今後は…
 普天間飛行場の移設計画をめぐる国と県の攻防は、今後も続く。
 翁長氏が設けた、仲井真弘多(ひろかず)前知事による埋め立て承認の経緯を検証する第三者委員会は7月に結果をまとめる予定だ。翁長氏はこれを受け、承認の取り消しや撤回が可能かどうか判断する。夏ごろをめどに訪米し、米政府に直接、辺野古移設阻止を訴えることも検討している。
 また、移設阻止をめざし抗議行動を続ける人たちは今月9日、活動を支える全国的な基金を設け、翁長氏の側面支援を続ける。
 一方の国は、現在進めている辺野古の海底ボーリング調査関連の作業を6月までに終え、夏にも埋め立て工事を始めたい意向。6月23日の沖縄「慰霊の日」の式典には例年、首相が参加しており、翁長氏はこの頃までには安倍晋三首相との会談を実現したい考えだ。 ≫(朝日新聞)


≪パラオご訪問を検討 天皇、皇后両陛下 戦後70年で戦没者慰霊へ
 
天皇陛下が戦後70年となる2015年に、戦没者慰霊のため先の戦争で激戦地となったパラオなど太平洋諸島の国々を訪問される希望を示されており、天皇、皇后両陛下の訪問について宮内庁などが検討していることが6月2日、分かった。NHKニュースなどが報じた。
 両陛下は、戦後60年にあたる平成17年、天皇陛下の強い希望で太平洋の激戦地サイパンを訪問されましたが、当時も検討されたパラオなどへの訪問は、相手国の受け入れ態勢が整わないなどとして見送られました。
 天皇陛下は、その後も、太平洋諸島で亡くなった人たちへの思いを抱き続け、パラオなどでの戦没者の慰霊について再び強く希望されたということで、宮内庁がパラオを含む太平洋諸島の国々への両陛下の訪問について検討を進めているということです。(NHKニュース「戦後70年 両陛下のパラオなど訪問を検討」より 2014/06/02 19:32)

 訪問の日程は、戦後70年の節目にあたる2015年の8月15日より前の時期で検討されているという。

 今回の訪問の検討は、両陛下の強い気持ちを受けたものとみられる。天皇陛下は、海外での戦没者やその遺族にも心を寄せ続けていた。
 両陛下は長年、国内はもとより、遠く海外で命を落とした戦没者への慰霊のお気持ちを、強く持ち続けられている。通常、両陛下の海外ご訪問は、相手国からの招請を受けて国際親善などを目的に行われており、戦没者慰霊のためだけにサイパンを訪問されたのは、前例のないことだった。今回の検討も、こうした両陛下の強いお気持ちを受けたものとみられる。
 陛下は、昨年12月の80歳のお誕生日を前にした記者会見で、80年で特に印象に残っている出来事について「先の戦争のことです」と語り、「前途にさまざまな夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、本当に痛ましい限りです」と悼まれていた。(MSN産経ニュース「両陛下、パラオご訪問検討 戦後70年の来年、戦没者慰霊へ」より 2014/06/03 07:41)

パラオは日本の3000キロ南にある群島。第一次世界大戦後のパリ講和会議によって、日本の委任統治領になり、多くの日本人が移住していたが、太平洋戦争では激戦地となった。アメリカの統治を経て、1994年に独立。 ≫(ハフィントンポスト)

空から見る戦後の東京 60年のおもかげ
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