世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

憲法改正だ~、国民投票だ~、と一口に語る人々がいるが、その道は険しく長い

2013年01月14日 | 日記
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憲法改正だ~、国民投票だ~、と一口に語る人々がいるが、その道は険しく長い

 多くの論者の知ったかぶり論によると、安倍晋三は参議院選まで経済浮揚内閣の姿勢を崩さず、選挙後に衆参両院の2/3を持って憲法改正に関する“国民投票”に関する発議が可能と云う条項を、過半数で発議可能にすると云う条項に変えようとしている等々の推測が一部で盛り上がっている。筆者は護憲派でも改憲派でもないのだが、言えることは憲法改正等と云う代物は容易に実現しないと云う事だと思っている。改正のプロセスを考えてみても、気の遠くなるような手続きが待ち受けているのだ。

 一足飛びに右翼が望むような好戦的な憲法に現憲法を変えたいのなら、憲法改正では限界があるだろう。当然本気なら、破棄が主張として正しい。石原慎太郎のように、憲法破棄論に立つことによってのみ、現憲法の天皇の地位や主権者の地位の変更や国家による所有権への制約、交戦権、核保有など認められる事になるだろうから、憲法改正では基本的憲法の精神から逸脱したものは許さないと云う主たる学説がある以上、右翼的憲法を望むなら、憲法の破棄と新憲法の制定と云う明確な革命(クーデター)を起こす必要がある。

 憲法改正の限界説が通説だとすれば、現憲法の基本である国民主権、基本的人権を捻じ曲げることは出来そうもない。平和主義に関しては解釈一つで集団的自衛権行使も可能と云う考えもあるので、この平和主義も憲法の基本原則だと言うのには無理がある。ただ、いずれにせよ、改正では右翼にとって窮屈な憲法下に置かれ続けるのだから、“破棄”を明確に主張すべきだと思う。右翼であれば、新たな精神で、新たな言葉で、完璧に自分達の憲法をつくるのが、真正右翼の矜持だと思う。先ずは、憲法破棄に運動に邁進して貰いたい。安倍や橋下程度の改正では、仏作って魂入れずになってしまう。

 こんなことを書くと、筆者も憲法破棄論者かと勘違いされるかもしれないが、そう云うわけではない。政治と経済と国民の間に、これ程までの大きな乖離が現れている以上、憲法云々で国家運営がどうなるものでもない。筆者の夢である“鎖国準拠主義国家”を目指すなら、勿論現憲法は当然破棄となるが、右翼の人々が考えている方向とは、殆ど逆向きの破棄の動機であり、地球規模で破壊と略奪と詐取が行われる世界から二歩程度離れようと云うのだから、逆方向の動機によるものだ。まぁ筆者のことはさておこう。

 安倍自民は憲法第96条の改正から着手と言われているので、当然改憲論に立っている。石原の破棄論に同調する気配はない。石原が真の破棄論者かどうかも怪しいわけで、戦勝国アメリカから押し付けられた憲法破棄だと言いながら、ヘリテージのようなアメリカ戦争屋の館で、尖閣列島買うぞ~と吠えたように、隷米者の憲法破棄論と云うのはあまりにも怪しい。日本の右翼の重大な弱点を象徴しているのが、石原慎太郎だと言えるだろう。米国依存を支柱にして、日本の独立を声高に叫ぶと云うのだから、冷静に考えればとてもとても可笑しな主張である。ヤクザを引き連れて商取引をしている舎弟企業のようで胡散くさい。

 ところで、現実の政治の世界に戻るが、安倍自民が憲法の改正を行おうとするだけでも、驚くほど多くの難関が待ち受けている。多くの論者が言うように、参議院選後に、維新の力も借りながら、衆参両院2/3を持って憲法を改正しようとしても、幾重ものハードルを越えなければならない。先ずは第96条2/3を両院の過半数にしようと云う話の時点で、憲法改正に長い道のりが存在すると白状している。

 なぜ憲法改正の為の“国民投票”に至るまでの手続きを2/3から過半数で良いようにしようと思うのは、憲法改正の為の両院における決議が、幾つにも別けて決議しなければならない点にある。つまり、憲法の一つの条文を変える為に、原則、その都度一つの決議が必要である。或る程度、その条文改正に伴う関連ある条文を一緒に決議できるが、そこで一旦改正作業は一段落となる。その決議だけを持って、“国民投票”は行わなければならないから、大変な暇と労力が必要になる。おそらく憲法改正の為の両院の決議と“国民投票”は数年に亘り行われる事となる。そう云う意味では、途中で政権交代もあり得るわけだから、手術を始めたは良いが、途中で考えが違う外科医と交替するわけで、滅茶苦茶になる。

 この辺、現実に一度も憲法改正が行われていないので、その手続は不明の点も多い。安易に改正を可能にする考えが、逆に、異なる政権による差し戻しも容易になるので、それこそ“憲法がコロコロ変わる”異常事態にもなりかねない。また、“国民投票”には多くの縛り、つまり制約があるので、現実にそれを行おうとすると、その方法論だけでも国家を二分するような議論になる筈である。だからといって、永遠に憲法が改正出来ないと云うのも変なわけで、相当本気で憲法を改正する場合の議論が、国民的議論になる必要があるのだろう。

 筆者自身、憲法を改正するには?と思いながら、初めてその手続きの困難さを知ったまでのことだが、まだ充分な知識とは言い難い。そもそも、単純に「まとめて、ドンと改正憲法を出されても、条文如何で、賛成もあり反対もあるけど、どうするの?」の疑問から調べたのだが、これは現時点で知る限り、気の遠くなるような作業である。正直、憲法を変えたい意志の強い人達が“破棄”を選択したくなる気持ちもわかる。“国民投票”では、その手続きで気が滅入ってしまうし、政権交代によっては、逆行も起こるわけで、我が国が永遠に憲法改正作業を繰り返す国家にならないとも限らない。だからと言って、憲法破棄でガラガラポンの憲法をつくりたがる人々に賛同したら、トンデモナイ憲法にされるのも困るのである(笑)。

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