世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

国民世論が“景気浮揚”だと云う話は本当なのか 新聞テレビの受け売り?

2013年01月01日 | 日記
日本教は日本を救えるか ユダヤ教・キリスト教と日本人の精神構造
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国民世論が“景気浮揚”だと云う話は本当なのか 新聞テレビの受け売り?

 2012年が暮れ、2013年が幕を開けた。まずは“新年あけましておめでとうございます” 本年もコラムの更新に精を出すつもりですが、自分の中で燃えていた火種が消えたような感じで、今ひとつ強い信念に突き動かされている実感がありません。正直、何ひとつわだかまりを消化できずに年を跨いでしまった感があります。2012年という年が、地球上からリベラルの火が消えた記念すべき年になったような気もしています。特に、社会主義や共産主義支持ではないので、特に痛痒はないのですが、一定の観念が消えてしまうと云う事は、一抹の寂しさと、あらたな何かの始まりを感じさせるものですが、どうもその辺が曖昧なのです。

 世界の政治の全体像を眺めていると、これが世界の潮流だと言い切れるものがないのです。国家自体の主張の腰が定まっていないのです。中道左派的政党が中心になる国もあれば、核廃絶を標榜しながら、自由と民主主義の為に軍事戦略を練っている国もあります。民主主義風を装い、実は政敵を本当に抹殺する国もあるし、司法組織を繰り出して、政敵の政治活動を妨害する国もあります。その妨害行為に途中からタダ乗りして、権力闘争に利用する国もあります。年がら年中抗争に明け暮れ、何時になったら機関銃の音が聞こえなくなるか判らない国もあります。

 一つだけたしかに新しい胎動ではないかと思われるのが、極右的思想を持つ政治勢力が一定の力をつけ、国民から支持を得ている点だと思います。フランスにおけるルペン候補に一定の支持が集まっていたし、アメリカのティーパーティーも右派的ですし、日本の安倍首相も右派的です。イスラエルや中東諸国の場合は年中無休で戦闘的であり、なにがどのようになっているのかさえ判らないのが現状です。判っている事は、東西冷戦構造と云う判りやすい二項対立構図が崩れ、予想通りのカオスな世界が訪れたと云う事でしょう。或る意味で、世界中を巻き込むような大戦争の結果生まれた東西冷戦構造と云う副産物が世界の平和を保っていたのは皮肉なものです。

 善かれ悪しかれ、先の冷戦構造は社会主義(共産主義)と自由主義(資本主義)イデオロギー的対立軸が安定していたわけですが、社会主義、共産主義が経済的繁栄を齎さないイデオロギーであったことから、徐々にその力を失っていったわけです。そして一時、自由主義、資本主義が束の間の栄華を誇ったわけですが、対立軸を失ったイデオロギーなんてものは、虚ろなものです。今度は、その仲間内で競争をするようになりますが、同じ土俵で争うわけですから、睨みあいの冷戦という構図ではなく、喰うか食われるかと云う構図に変化してしまいます。

 この喰うか食われるかの同根な土俵で戦うのに有利な戦法は、徹頭徹尾に資本主義を貫くと云う事です。それが金融資本主義なのでしょう。チンタラチンタラもの作りなんて遣っていられるか、ノーベル経済学賞をとった多くの学者を擁するアメリカこそ有利な市場が、金融資本主義だった。しかし、金が金を産む金融資本主義には、重大な欠点があった。後で考えれば呆れるほど単純なマルチ商法に過ぎないもので、実態があるようなないような虚構の世界だったのである。しかし、そのゲームに夢中になっている間は、誰も気づかず指摘すらしなかったのである。

 この実態のない虚構のマネーゲーム(金融資本主義)は、栄華を誇った自由主義、資本主義までも落伍者に貶めるところだった。どうにか土俵際で持ちこたえ、場外に転落せずに済んだが、世界中に負の遺産をバラまいた。必ずしも直接的原因とは言えないが、その負の遺産は脆弱な経済基盤に置かれていた国々の国家経済を直撃した。特にEU諸国において顕著に現れ、現在の欧州危機に至っている。病原菌をバラ撒いた米国は、それこそ再び金融資本主義的理論で、基軸通貨を持っている強みを生かし、再生の体裁を整えた。しかし、その体裁も虚構なものだろうから、バレないうちに実体経済の態勢を立ち直らせようとしているようだ。

 東西冷戦後の世界は主に経済に関わる国家的利益損得が表面立ち、自由主義、資本主義では、本来バックボーンになり得ない軍事力にも力点が置かれるに至っている。早い話が、商人が暴力装置を携えて取引に臨むと云うのだから、これはマフィアの世界と何ら変わりがないと云う事になる。ところが、このようなマフィアのような行為が、昼日中から、堂々と表通りを歩く世界が、現在の世界を支配していると云うのだから、冷静に考えると、相当に狂っている。この条件で取引しないのなら、明日の夜強盗に入られても助けてやらないぞと脅しているのである。

 その説教強盗のような国が米国であること、そして脅かされてばかりでは癪だと黙々と力をつけているのが中国だろう。乱暴な見方だが、上述するような按配で世界は動いている。中東やイスラエルでは幾分異なるニアンスで争いが起きているが、概して欧米日がそれぞれ異なる形態で経済的に苦しんでいるわけで、その解決方法もそれぞれ個性的だ。しかし、根っ子には自由主義、資本主義経済で栄華を誇った国々が苦しむ原因が経済成長の鈍化と云う問題を抱えていると考えるのが妥当だ。なぜ先進諸国の経済が成長しなかったり、鈍化してしまうか、賢者の多くは知っている筈だが、語ろうとしない。語ろうとするどころか、まだまだ成長の糊代は残っていると主張する。

 しかし、その主張は何処か苦し紛れだ。どんな馬鹿にでも理解できるような成長の理屈でない限り、そこには為にする主張が織り交ぜてあるのだ。無理やり作る市場は一過性で、必ず息切れと副作用を伴う。筆者自身、明確な答えは持っていないが、米国や日本で売れているもの等を見るにつけ、手に入れないと多少不便な場合があるが、それがないと直ちに人生に支障をきたす類のものは殆どない。つまり、衣食住と異なり、文化的最低限度の生活を営む為の絶対的必需品ではないものばかりである。つまり、そんなものはいらないのだ。

 生命維持や文化的人間として生きる最低限のものは、既にそれらの国には満杯にあり、それを如何に捨てるかに興味が移ろうとしているくらいなのだ。そのような国々が経済成長しないのは当然の帰結であり、成長している方が奇異なのである。経済学者や識者は、日本だけが経済成長しないのは、どこの何某かの政策が良くないとか、アイツらが貪り食べているとか言うわけだが、実は先進国においては、日本のような姿が自然なのかもしれない。此処に目を向ければ、日本がさして間違った方向に進んでいるとも思えないわけで、成長している米国や韓国や中国の方が悩みは多いのかもしれない。

 筆者などは、昨年一年間、捨てて良いもの探しに、暇な時間を充てていた。書籍の類も半分ほどに減った。衣服も2年袖を通していないものは捨てた。靴も二年履かないものは捨てた。文具コレクターだった筆者の段ボールの山は、もうゴミ以外のなにものでもない。こうしてモノを捨てる事にエネルギーを消費しなければならないほど、現代人はモノに埋もれているのだ。このモノに埋もれている事で、なにか鎧かぶとを身につけた気分でいたが、捨ててみると、そうではない事に気づく。

 自動車も趣味だったが、100馬力程度から始まり、300馬力のガソリン垂れ流し車に至り、ついに一昨年さらばを告げ、180馬力の車に替えた。今度の買い替えは15年後、ちんまいとろとろ走る電気自動車にしようと考えている。本来、自転車だけで充分なのだが、仕事の関係で辺鄙なところに遠出する事が多いので、仕事上の必需品なので致し方ない。家にはテレビがないので、見たい時は車に乗るようにしている(笑)世間は政治に望むことが“景気”だと言っているらしいが、本当なのだろうか?そんな事を口走る人々は経済の原則を知っているのだろうか?無駄に埋もれて、自分を見失っているだけなのではないか?

 勿論、文化的最低限度の生活が維持できない人には、景気浮揚は切実かもしれないが、そう云う人は“景気浮揚”等とは言わないだろう。仕事くれとか、住む家をくれ、何か食わせてくれと言うような気がする(笑)。“景気浮揚”が国民の望みだなんて話、余裕たっぷり、どこかウソ臭い。20数年これといった経済成長していない日本、そろそろ右肩下がり、乃至は横ばいに馴れても良さそうな時である。マスメディアが勝手に作りだした、”恣意的世論”のような気がして仕方がない。景気が政府の力程度で、簡単に上下するなら、苦労などいらないのは国民が一番知っているはずなのだが?


いまだ人間を幸福にしない日本というシステム (角川ソフィア文庫)
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