家に居ながらにして、お米5キロを頂くことに!
昨日、自宅で仕事(相談事へのお手紙書き)をしておりました。
手紙はよく書きますが、電話や直接会ってという、声の表現が無く文字のみで伝えるので、言葉を選んで書きます。
でも、文字だからこそ、相手の方は、何度もその内容を反芻し理解を深めてくれると思いますので、複雑な相談や慎重な内容の際には手紙という方法をとったりしています。
そんな時。
友人のTさんから電話がかかってきました。
「藤原さんちの電話番号は、下3桁が○○○だよね」
「はい、そうですが」
「今、ラジオでその電話番号の人だけ応募できて、当たると、お米がもらえるよ!」
「え、それは助かる!(もう貰った気分)」
急いでラジオをつける私。車に乗るといつもつけている、あの番組だ。
Tさんは言います。
「ま、なかなか当たらないと思うけどね」
私は極端に<くじ運>というものが無い人間です。
今まで本当に<抽選>で何か当たった、というのはごくわずか。
でも、こうして教えてくれる人がいてくれるので、ダメ元で電話をかけました。
手紙も書き終わり、そろそろ出しに行くかな。いや、待てよ。もしかして当選の電話がくるかも・・・。
その時、電話が・・・!「おめでとうございます。お米券をお送りします」・・・!
持っていた手紙を携帯に持ち替えて 「Tさん! お米、当たりました!」 「ひえ~!ほんと!やったねえ~」
お米5キロも嬉しいけれど、ラジオを聴いていて私に電話をしてくれた、Tさんの行為がうれしいです。
よく、旅行のお土産を頂いたり、何かの集まりで手作りのお菓子とかを頂くことがあります。
美味しかったり可愛かったりで嬉しいのですが、それよりなにより、<その時私のことを思い浮かべてくれる>ということが、嬉しいのです。
あ~、藤原は甘いものが好きで(あるいはお酒が好きで)きっと大口あけてパクパクゴクゴクするだろな、と思ってくれることのありがたさ。
自分は居ても居なくても同じだ。あるいは居ないほうが良いんだ、と思う。思われていると思う。
これはとても、つらい。
どうせ一人ぼっちだ、と思っている人も、歩けば足跡がついて大地は反応する。 肩を丸めて自動販売機でコーヒーを買えば機械に入ったお金が回りまわって誰かの役に立つ。呼吸する息は空気を暖める・・・。
必ず何かに、誰かに、通じていくのです。
私は、思い出してもらって、おまけにお米を貰うことができました。
今、自分の存在が不確かだと思っている人も、どこかで誰かがあなたのことを思い出しているかもしれないと、想像してみて下さい。
いきなり<お米>とはいかなくても、何か変わっていくかもしれません。