藤原愛子の日常茶飯事

前稲城市議・藤原愛子のもろもろな日々

悲しい目にあった人が悲しいままでは悲しい

2023年04月19日 | その他
 毎年五月に咲いていた庭の石楠花(しゃくなげ)が、もう咲いてきました!

 そんなに急いで咲かなくても!と思うけれど止めようがありません。

 本日の朝日新聞朝刊に、四年前に池袋で起きた車の暴走により大切な家族を失ってしまった方の記事がありました。
 一人になってしまい、笑うことを忘れてしまった彼を友人が食事に誘い、そこで笑って話をしていたら、見知らぬ女性から「事故の遺族の方ですよね、意外と笑うもんですね」と言われ、強いショックを受けた。というものです。悪意がない言葉かけのようでしたが、他にもメールなどで「よく笑えますね」などと来たそうです。

 この記事を読んで、瞬時に53年前の事を思い出しました。

 私が短大に入ってすぐの春に父が急逝しました。
忌引きで数日休んだ為、学校に出てきた時にある教授に休んだ訳を聴かれました。

「父が死んだものですから」というような事を答えたと思います。すると教授が
「あんた、お父さんが亡くなったのに笑っているのかね」と言ったのです。

私は自分が「笑っている顔」をしているとは思いませんし、笑う訳がありません。
唖然として「いいえ」と言ったように記憶していますが、後からそう言われた訳がボンヤリわかりました。

 私はきっと、初めて対面する教授の前で初めての経験を報告するため、緊張していて「話しているうちに泣いたりしてはいけない」と口をギュッと結んでなんだか不自然に話していたのだと。

 それにしても、です。

 大学で物事を教える側の大人が、18歳が親の死を報告する時の悲しみと緊張の不安定な心情をいとも軽々しく受け取ることに、後から激しい怒りが湧いたことでした。

 悲しい目にあった人が、それでも生きていかねばならない時、いつまでも悲しみの中に埋没していずに、それこそ「日にち薬」で少しづつすこしづつ自分をなだめたりして、笑う時がある、来る。

 もちろん、涙に暮れてしまうこともあって、でもそれが当たり前。色々な感情の中でも穏やかな日があったり楽しい日があったり、悲しい日があったり。

 悲しい目にあった人が笑っている時、その心の内を考えることなく笑う権利を奪うような発言は、厳に謹んで下さい。

 静かに、笑っているその人を見守ってあげて下さい。
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