今日はアメリカで起こった、民間機が乗っ取られ超高層ビルに激突し、多くの犠牲者が出た、いわゆる「9.11」の日です。
前にも書きましたが、私の中学の後輩も犠牲になりました。彼は一旦ビルの一階に降りたのですが、部下を案じてまた階段を上っていき、帰らぬ人となったと聞いています。
大地震や津波、台風や事故、あるいは病気でも、失われた命への悲しみや口惜しさはそう簡単に忘れるものではありません。何十年経っても。
存命していた時の姿や様子を想い出すと同時に、明日への命を絶たれた絶望は深い。
まったく身近な方ではなかったけれど、この方が亡くなるということが想像できなかったのが
イギリスのエリザベス女王です。
国葬にされるということでそりゃ当然だわ、と思いました。
こうなると何故か、元総理大臣の安倍晋三さんの国葬が、やけに(こんな言い方をしたらとても失礼ですが)薄っぺらく響くのは、私だけでしょうか。
友人の中には、親御さんの葬儀を「この時期なので」と家族のみで行った、という人が複数おります。家族葬でも心を込めて亡き家族を送ったのです。
安倍晋三さんの葬儀も、心を込めて自民党葬あたりにしたらどうでしょう。
国民の半数以上が反対している国葬を無理やり行うよりも、心からお悔やみ申し上げたい方たちで送るほうが、安倍さんもよいのでは?と思います。
国葬にして、森友問題、加計問題、桜を見る会も、まとめて葬ろうとしているのではと、思ってしまう国民が大勢いると思います。私もそう考えてしまう。
以前、安倍さんが森友学園の色々な疑惑が出た時に、「私の妻が関係しているのなら、私は議員を辞める云々」と発言しましたね。
あの発言から、あらゆる隠蔽工作が始まったのではないでしょうか。次から次へと。
私は、その時と同じように、岸田総理が冷静な判断もしないうちに「国葬にする」と発言してしまったことから、あらゆる言い訳と横車が始まったのではと思っています。
これでは下手をすると、統一教会と国会議員の根深い繋がりさえもまとめて葬ろうとしているのでは、とも考えてしまう。
なんて恐ろしい・・。清き一票の価値はどこに行ったのか。
悲惨な状況で落命されたことは大変残念に思いますが、まだまだ安倍さんの存命中の事どもは追及していかなければ、更に政治不信が膨らんでいくと、私は感じています。