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今年の初詣は少し遠出して京都の藤森神社に

2024年01月03日 10時51分28秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ

今年の元旦は、まずコスモタワーで初日の出を見た後、自宅に帰ってその様子をブログに書きました。その後、初詣に行く事にしましたが、今年はいつも行っている近くの住吉大社ではなく、今まで行ったことのない所に行こうと、ネットで調べていたら・・・面白い所を見つけました。

京都市伏見区にある藤森(ふじのもり)神社です。絵馬殿に歴代競走馬の絵が掲げられていて、競馬の関係者やファンがよくお参りする神社という事で、私もお参りする事に。最寄り駅は京阪本線の墨染です。大阪・淀屋橋から特急に乗り、丹波橋で普通電車に乗り換えて一つ目の駅です。駅を降りて踏切を渡り、最初の角を左に折れ、藤森小学校の角を右に進んだら神社の看板が見えて来ます。

墨染駅に着いたら12時前だったので、近くのラーメン屋でお昼にしました。京都では割と有名な神社らしく、参拝する人が大勢います。その為に、飲食店も元旦から営業している所がチラホラ。そのうちの一軒「拉麺へんてこ」にお邪魔して、一番人気の「魚介へんてこッラーメン」とミニチャーシュー丼をいただきました。「へんてこ」な名前の店でしたが、味は抜群でした。ラーメンの上に載っている魚の形をしたミニあられが面白かったです。店内の壁に藤森神社のお札が貼られていました。

「勝運 馬の社 藤森神社」と書かれた看板の前を左に折れ、神社の鳥居をくぐると、拝殿まで続く参道には、既に順番待ちの参拝客が大勢並んでいました。駐車場の入口には「車は右、人・馬は左」の案内板(馬も参拝?)、駐車場の中にも「トウカイテイオー」「ウマ娘」のステッカーが貼られた車が。参拝まで約1時間の順番待ちの間も、色々楽しませていただきました。

参拝の後はいよいよ絵馬殿へ。ここに掲げられている歴代優勝馬は、最近の物は余りなく、90年代から2000年代初めにかけて活躍した馬の絵が中心でした。最近競馬をやり始めたファンには余り馴染みのない馬ばかりです。逆に、私の様に競馬歴20年(年数だけは一丁前w)のファンにとっては、ちょうど競馬をやり始めた頃に活躍した馬ばかりで、しばし当時の思い出にひたる事が出来て幸せでした。

絵馬殿に掲げられた歴代GI馬の絵より。左上から右下へ順に、④マチカネフクキタル(1997年菊花賞)、⑫ナリタトップロード(1999年菊花賞)、⑨ファレノプシス(下記参照)、⑮ダイタクヤマト(2000年スプリンターズS)。

その中でも特に印象に残ったのがファレノプシス。1998年の桜花賞優勝馬で、その後、秋華賞や2000年のエリザベス女王杯も勝っています。ファレノプシスとは胡蝶蘭の学名です。翌日のスポーツ紙には「胡蝶蘭咲く」の見出しが躍りました。

私が初めて馬券を買ったのも、この桜花賞でした。レースの数日前に、同僚と飲んだ時に、同僚が楽しそうに競馬を話をしていたので、私も試しに馬券を買ってみる事にしたのです。ところが予想紙を読んでも、数字や競馬用語の意味が分からずチンプンカンプン。同僚や勤務先で荷物を積み込んでいたドライバーに、用語の意味や馬券の買い方を聞き回っていた当時の事を思い出しました。

このレースでは上位数頭に人気が集まっていました。当時はまだ単勝・複勝・枠連・馬連の4種類の馬券しかありませんでした。私は、ファレノプシス・ロンドンブリッジ・ダンツシリウス・(残り1頭不詳)の4頭を馬連ボックスで500円ずつ買い、馬連2010円の配当を手にする事が出来ました。

では何故、この神社が競馬と縁が深いのか?神社のホームページ等によると、西暦203年に神功皇后(じんぐうこうごう)が朝鮮半島征服の戦いから帰って来た時に、ここに勝利の旗を立てたのを記念して、スサノオノミコトなどを祀るようになったのが始まりなのだそうです。旗を立てたとされる台(旗塚)も神社の境内の中にあります。しかし、西暦203年と言えば邪馬台国の卑弥呼が活躍したとされる頃です。当時の日本はまだ弥生時代の後期です。そもそも神功皇后や歴代天皇自体も、第15代の仁徳天皇以前は実在したかどうかも定かではない伝説上の人物です。

でも戦前の日本では、伝説上の神話がまるで歴史上の史実であるかの様に教えられ、「日本には神風が吹く」と煽られ、侵略戦争の道に突き進んで行きました。その中で、競馬も軍馬育成の一環として開催されました。春・秋の天皇賞に天皇が観戦しに来るのも、昔の「帝室御賞典競争」のなごりです。競馬にはそんなきな臭い「負の歴史」もあるのです。もう二度とこんな過ちを繰り返してはいけません。今はもう21世紀です。この国の主権者は国民であって天皇ではありません。それが民主主義と言う物です。競馬も戦後は純粋に庶民の娯楽として定着して行きました。ギャンブル依存症になるリスクはあるものの。お酒も「百薬の長」と呼ばれるように、ほどほどに楽しめば良いのです。

神社では奉納太鼓が披露され、餅つきも始まりました。搗き立てのお餅が参拝者にも振舞われます。私は既に昼食のラーメンでお腹一杯だったので遠慮しましたが。境内にはかつての競走馬もいて、参拝客から与えられた人参を美味そうに食べていました。競走馬の名前は二ホンピロナッシュ(牡馬6歳)。競争成績は正直余りパッとしませんでしたw。多分おとなしい性格なのでしょう。だから、子どもの遊び相手にここに連れて来られたのかも。

境内には神馬の像も建っていました。像を撫でている人の中には「10万馬券が当たるますように」とつぶやいている人も。私はこれを見て例の「ワイド10万男」を思い出しましたw。飲料の自販機にも馬の絵が描かれ、お金を入れると競馬のファンファーレが鳴る仕掛けになっています。私は境内をしばらく散策した後、絵馬を買って帰途に就きました。絵馬に書く願い事は、自宅に帰ってから、絵馬の表面にテープを張り、サインペンのインクがにじまない様にしてから書きました。

藤森神社は競馬以外にも紫陽花(あじさい)の名所としても有名です。また菖蒲の節句(5月5日の端午の節句)発祥の地としても有名です。5月には駆け馬神事、6月には紫陽花祭りが開催されます。境内には「不二の水」という清水も湧き出していて、名水を汲みに来る人が後を絶ちません。次は春になったらまた来ようと思います。


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