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ヒロシマ2019平和の旅

2019年08月07日 23時51分25秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
  
 
会社の休みを利用して8月6日・7日とヒロシマに行って来ました。原爆慰霊式典当日の6日午前8時には会場の平和公園に着きましたが、既に公園は参列者で一杯でした。やがて雨が降って来ました。会場のテントには来賓などの招待された人しか入れません。私は周囲の方の好意で、何とか傘の下に入れてもらえる事になりました。
 
今年の広島原爆慰霊式典で、広島の松井市長は、平和宣言の中で以下のように述べました。

「世界中の為政者は核兵器のない世界への一里塚となる核兵器禁止条約の発効を求める市民社会の思いに応えていただきたい」

その中でもとりわけ「日本政府には唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いをしっかりと受け止めていただきたい。その上で、日本国憲法の平和主義を体現するためにも、核兵器のない世界の実現に更に一歩踏み込んでリーダーシップを発揮していただきたい」
 
それに対し、日本国総理大臣の安倍晋三は何と応えたか?以下、総理のあいさつから引用します。

「世界的に安全保障環境は巌しさを増し、核軍縮をめぐっては各国の立場の隔たりが拡大しています」

「核兵器国と非核兵器国の橋渡しに努め、双方の協力を得ながら対話を粘り強く促し、国際社会の取り組みを主導していく決意です」

言葉尻を捉えられないように、非常に遠回しな言い方をしていますが、前項については「安全保障環境は厳しさを増しているから核兵器のない世界なぞ実現不可能」と、単なる言い訳に終始しているだけです。

後者についても、「核保有国と非核保有国の橋渡しに努める」と言いながら、単なる「橋渡し=仲介」に努めるだけで、核兵器禁止条約の批准は迫らず。これでは「核保有国の肩を持ち、いたずらに時間稼ぎを図ろうとしているだけだ」と言われても仕方ないでしょう。

松井市長が、同じ平和宣言の中で、インド独立の父ガンジーの言葉を引いて、「不寛容はそれ自体が暴力の一形態であり、真の民主的成長を妨げるもの」であり、「立場や主張の違いを互いに乗り越え、理想を目指し共に努力する寛容の心を持たなければならない」と言ったにも関わらず、安倍は理想を投げ捨て、ひたすら現実に安住するばかりでした。

昨年までのような使い回し原稿棒読みの手抜き、コピペ弔辞は、今年はさすがに影を潜めたものの、その内容においては、昨年からちっとも変わりませんでした。これが果たして「唯一の被爆国」の首相として相応しい態度でしょうか?(広島市長の平和宣言と安倍の内閣総理大臣あいさつ、両方の全文を次の記事に掲載しました。両者をじっくり読み比べてみて下さい)
 


平和記念資料館の展示の中で一番印象に残った物があります。それは被爆者の目玉が飛び出た絵でもなければ、一面ケロイドで覆われた背中の写真でもありません。兵士の左手薬指の先から死ぬまで伸び続けた黒い異形の爪の姿です。

その兵士の証言によれば、被爆時にたまたま窓の外に出していた左手の中指と薬指に大火傷を負いました。そこから黒い爪がどんどん伸び始めたのだそうです。しかも、その爪には血管が通っていたのだそうです。

幾ら大火傷を負っても、そこから血管が通う黒い爪が生えてくる事なぞ、普通はあり得ません。何故こんな事になったのか?原爆の放射線によるものとしか思えません。

放射線にはα(アルファ)線、β(ベータ)線、γ(ガンマー)線、中性子線の4種類があります。細胞の破壊力は最大だが粒子が大きいα線は一枚の紙でも遮る事が出来ます。しかし、それよりも破壊力は劣るが粒子の細かいβ線やγ線、中性子線は、どんな遮蔽物でも透過して体内に侵入して来ます。たまたま窓の外に出していて遮る物の無かった左手の中指、薬指には、原爆の熱線と共に、放射線の中でも破壊力が最大のα線が直接降り注いだのです。

だから、体内組織が遺伝子レベルに至るまで破壊され、傷の修復機能が損なわれた為に、染色体に異常が起こり、このような異形の爪が生えて来たのです。数か所割れただけの陶器なら、まだつなぎ合わせて修復する事は可能ですが、粉々になった陶器をつなぎ合わせる事は不可能に近いです。無理に破片をつなぎ合わせようとしても、元の陶器とは似ても似つかぬ物が生まれるだけです。人間の体もそれと同じです。

原爆の被害が悲惨なのは、放射能による被害が甚大だからです。運良く直接被爆を免れ、無傷で済んだ被爆者や、被災後に救援の為に広島に入った人達も、後に原因不明の高熱やガンで相次いで亡くなっています。そして、チェルノブイリや福島の例を見れば分かる通り、環境も放射能で汚染されてしまう。その修復には何十年かかるか見当もつきません。そんな恐ろしい核兵器は、もはや多少の削減でお茶を濁す事なぞ許されません。核兵器は速やかに全廃する以外にはありません。
 
7日は広島から大阪に帰る途中に大久野島に立ち寄りました。

大久野島は広島県竹原市忠海(ただのうみ)町の沖にある小島で、国民休暇村や海水浴場、キャンプ場があります。今でこそ放し飼いのウサギと出会える癒しの島として観光地になっていますが、戦時中には軍の毒ガス製造秘密工場がありました。今、島にいるウサギの出生には諸説ありますが、その一つに、毒ガス実験用に飼われていたウサギが野生化した物だとする説もあります。島には毒ガス資料館もあります。

戦時中は島の存在自体が地図から抹消されていました。当時の地図には、島の周辺が全て白抜きで表示されています。何故そこまでしてまで抹消されなければならなかったか?単に軍事機密という理由だけではありません。

当時の日本は既にジュネーブ議定書に署名していました。その議定書には、毒ガス兵器を残虐兵器として製造・使用を禁じる規定もありました。第一次世界大戦で、世界で初めて毒ガス兵器が使用され、多くの兵士が残虐な殺され方をしました。それを教訓に、この規定が生まれたのです。

当時、既に毒ガス兵器の使用は国際法違反でした。それを百も承知の上で、当時の日本政府は、本土からも近く、資材や作業員も比較的容易に集める事の出来る、大久野島に軍の毒ガス製造工場を作ったのです。しかも島には、日清戦争時に作られ、実際には使われる事が無かった要塞が、そのまま残されていました。それがそのまま秘密工場に転用されました。
 
 
 
 

ここで上記の毒ガス資料館リーフレットの写真をご覧下さい。そこには防護服を着た作業員の足元に、字がかすれてしまっていますが「装面」と書かれた赤い丸型の板が置かれています。その板が掲げられていた場所では、防護服の着用が義務付けられていました。しかし、その防護服も気休めでしかありませんでした。毒ガスは防護服の隙間からも容赦なく侵入して来ました。

しかも、軍の機密工場として、職場には箝口令(かんこうれい)が敷かれ、作業員は昼夜2交代で1日13時間もの長時間労働に駆り出されました。当時の抜け穴だらけの労働時間規制すら、戦時中という事で適用されませんでした。当時は労災保険もありませんでした。その劣悪な環境の下で、作業員は長年に渡り毒ガスの後遺症に苦しめられる事になります。
 
以下、当時ここで作られていた毒ガス兵器の名称と特徴を、上記のリーフレットから抜き書きします。散布すると出るガスの色で区別されていました。
黄号(きい号とも呼ばれた)は、イペリットやルイサイトなどのびらん性毒剤です。皮膚に付着すると強い痛みを引き起こし、皮膚には水疱(すいほう)が出来ます。黄1号甲・乙・丙、黄2号の4種類が作られました。赤1号はジ・フェニールシアンアルシンという刺激性のくしゃみ剤です。吸い込むと呼吸困難に陥ります。茶1号は中毒性の青酸です。緑1号は塩化アセト・フェノンで、吸い込むと肺水腫を引き起こします。比重が重いので、散布されると窪地や洞穴に滞留しました。

これ、決して昔だけの話じゃないでしょう。今の原発も全く同じじゃないですか。原発も安全だと言われながら、決して都会には作られず、地方の海岸べりや島影に作られました。そして、第一次産業で食べれなくなった地元民に、形ばかりの防護服を着せ、多重下請けの安い給料でこき使い、被曝したら闇から闇に葬って来ました。

これでは、今の「ウサギの島」の観光ブームも、島の暗い過去を隠す為に、わざと演出されたものではないかと、勘ぐりたくなります。ウサギは確かに可愛いですが、表の華やかな光だけに目を奪われ、暗い過去を忘れたままでいると、いつかまた同じ過ちを繰り返す事になります。それを痛感した旅でした。
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