アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

新年明けましておめでとうございます。

2020年01月01日 22時41分30秒 | 当ブログと私の生い立ち
 
 
2020年(令和2年、皇紀2680年w)、新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。

私も元旦は休みですが、これは別に正月だからではありません。単に勤務シフトの関係で、今年は元旦が固定公休日の水曜日に当たったから、休みになっただけです。明日からまた通常通り仕事です。私にとっては普段と何も変わりません。むしろ、年末年始は普段以上に忙しく、なかなか休めないので有難迷惑なぐらいです。それに、今年は新年早々、引越しの予定もあるので、年賀状は出しませんでした。代わりに、この投稿を以って新年の挨拶とさせて貰います。

とは言っても、そこは折角の元旦正月休みなので、近くの住吉大社に初詣に出かける事にしました。住吉大社へは阪堺線で行く事にしました。

どうせ今日もガラガラに空いているだろうと駅に行ったら、いつもと違い大勢の客がホームにたむろしていました。やがて電車が来て乗ろうとしたら更にビックリ。南海やJR以上の大混雑で、下手すれば積み残しになる恐れも。

帰りは阪堺線で帰るのは諦め、上町線で天王寺まで出て、そこから地下鉄御堂筋線で帰る事にしました。それで正解でした。上町線は立ち客がチラホラいる程度で、座って帰る事が出来ました。

それも当然。上町線と阪堺線(住吉以北)では、電車の運転間隔が天地ほども違うのですから。上町線が6分間隔なのに対し、阪堺線の方は20〜40分間隔にもなるのです。夜9時台ともなると、もう1時間間隔です。せめて正月三が日の間ぐらいは、普段はガラガラの阪堺線でも10分間隔ぐらいで走らせなければ、あふれる乗客をさばく事は出来ません。
 
  
左:安倍退陣の絵馬、中央:小吉のおみくじ、右:ショウガたっぷりの甘酒。

初詣の絵馬には「今年こそ安倍退陣!」と書いてやりましたw。ついでにおみくじも引きました。引いたおみくじは「小吉」でした。やはり「小吉」だけあって、ささやかな「ご利益」を手に入れる事が出来ました。まず帰りの境内で、ショウガのたっぷり入った甘酒をいただきました。風邪気味の体には、これが一番です。

そして、ホテルに帰ったら、元旦という事で、ホテルでささやかなプレゼントを用意してくれていました。お酒やジュース、お茶をアテのお菓子と一緒に、ビニール袋に入れて配っていました。

その後、あいりん地区の通称・三角公園(正式名称:萩之茶屋南公園)で毎年冬に行われている越冬闘争を観に行きました。「越冬闘争」と言うのは、毎年、年末から年始にかけて、大阪・西成あいりん地区(旧称:釜ヶ崎)で行われる野宿者支援のイベントです。行き倒れ防止の見回り活動や炊き出し、ライブコンサート等が主な内容です。盆の夏祭りと並ぶ二大イベントです。なぜ「越冬闘争」と呼ぶかと言うと、野宿者にとっては、行政窓口や夜営用のシェルターも閉まる年末年始を路上で生き抜く事自体が、一つの「闘争」だからです。
 
 
左:ホテルのプレゼント、右:ココルーム。

その三角公園に行く途中にある「ココルーム」というカフェ兼リサイクルショップで、産経新聞の今年のミニカレンダーをわずか100円で手に入れる事が出来ました。他のカレンダーにはない「皇紀」入りのレア物カレンダーです。

「皇紀」と言うのは、初代の神武天皇が橿原神宮で即位した年を元年とする数え方です。それで数えると今年は2680年になるそうです。邪馬台国の時代(大体3世紀頃)でも今から1800年前です。それより更に880年もさかのぼるのですから、日本ではまだ石器時代です。そんな時代に天皇が橿原神宮で即位やなんて…w。どんな「神話」を信仰しようと個人の自由ですが、そんなものを何故、国民が無条件に受け入れなければならないのか?それを神社の暦ではなく一般のカレンダーにも載せるという事は、将来の強制使用に向けた下慣らしではないでしょうか。「野党百害」等のナチスばりの見出しを掲げた安倍御用雑誌の最近の増長ぶりからも、その可能性は充分あると思います。

それでなくても、私の嫌いな右寄りの産経新聞。しかも「皇紀」まで入ったカレンダーに、最初は買おうかどうか迷いました。でも、他に手頃なサイズのカレンダーが他になかったので、仕方なく買う事にしました。

カレンダーは棚に吊るして使うので、「皇紀」入りの表紙はどのみち隠れてしまって目に入る事はありません。それでも、やはり気になるので、「皇紀」の部分は「第50回釜ヶ崎越冬闘争」にちなんで「釜ヶ崎解放50年」に書き換えて使う事にしました。
 
左:「野党百害」等のナチスばりの見出しを掲げた安倍御用雑誌、右:産経新聞の皇紀2680年カレンダー。

その「釜ヶ崎越冬闘争」も、看板ラッパーのSHINGO★西成が出なくなってからは、少し盛り上がりに欠けるようになってしまいました。

「越冬闘争」を後にする頃には、もうすっかり辺りは暗くなっていました。もうそろそろ夕飯の時間ですが、今日は元旦なので、営業している店なんてありません。いつも買いに行く弁当屋も正月3日まで休みです。

それでも、正月ぐらいはコンビニ飯なんかではなく、あったかいご飯を食べたいです。思案していたら…ありました!すぐ近くに開いている定食屋が。そこで650円の塩サバ定食を注文しました。安い値段の割には美味しかったです。やはり「小吉」だけの事はありました。
 
左:第50回釜ヶ崎越冬闘争ライブコンサート、右:塩サバ定食。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 赤字健保のツケを患者に押し... | トップ | 古くからのブログ友達がやっ... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
少しく引っ掛かる点があります・・ (伊藤亮典)
2020-01-11 22:21:16
プレカリアートさん、こんにちは。ひとつ気になることがあるんですが、住吉大社って、日本会議・神社本庁勢力との関係はないんですか。プレカリアートさんのことですから、そうした重大な問題は事前によく調べ、関係がないからこそ、敢えて行かれたと信じますが。

その件もですが、それ以前の問題として、日頃のプレカリアートさんの生き方・言動から見て、どういう名目にせよ(「初詣」なる代物にも大いに問題がありますが)「神社参拝」という行為(あえて言わせてもらえば「愚行」)をされると言う事が、どうしても信じられず、まことに不可解に感じている次第です。私は、貴方(の生き方)を尊敬しているのですが・・

私自身について言えば、自身が偶像崇拝をしないクリスチャンの端くれということもありますが、何より、例えば「植民地朝鮮」で、日帝の不法・卑劣な植民地支配の強圧の中で、例えば朱基徹牧師たちのように、朝鮮人民の良心を踏みにじる「神社参拝の強制」に抵抗し、断固拒否し、厳しい弾圧・迫害により、命までも犠牲にした数多の方々のことをよく知っておりますので(無論こうした事例は、朝鮮だけではありませんが)、自らの信念と良心にかけても、神社参拝などは、どんな理由があろうと、いかに迫られようとも、絶対するつもりはありません。失礼な言い方かもしれませんが、そうした「人間として一本筋の通った真の誇り・信念」といったものをぜひ持っていただきたいと願います。

プレカリアートさんの、今後の日々の歩みの上に、天来の祝福と恵みが豊かにありますよう。
今年2020年(民國109年)は、この国にとっても、世界にとっても尋常ならざる激動の一年になる予感がしますが、その中にあっても、自らの心に恥じない生き方をしていきましょう。
返信する
Unknown (afghan_iraq_nk)
2020-01-12 21:37:19
伊藤亮典さん、初めまして。ブログ執筆者のプレカリアートです。以後宜しくお願いします。

申し訳ありません。住吉大社が神社本庁に属するか否かなんて、全然調べてませんでした。

まず初詣に行った理由ですが、新年の挨拶をブログに載せるに当たって、何か絵になる風景が欲しかったからです。私も以前はマメに年賀状を出していましたが、段々出すのがバカらしくなって来ました。何故なら、私達、非正規労働者は盆も正月も関係なく働かなければならず、逆に普段よりも忙しい位なのに、何故そんな忙しい時に、わざわざ無理して何枚も年賀状を書かなければならないのか?年賀状なんて、盆も正月も休める、書く余裕のある人だけが書けば良いのだと。次第にそう思うようになりました。

しかし、それでは余りにも愛想が無いので、年賀状の代わりに、ブログで新年の挨拶を書く事にしました。だから、題材は別に初詣でなくても何でも良かったのです。当初は初詣には行かずに、地元の西成あいりん地区の三角公園で毎年この時期にやっている越冬闘争ライブを題材に取り上げるつもりでした。私には正社員の様な年末年始の連休はありませんが、通常の公休日はあります。今年は元旦がその公休日に当たっていたので、その日の越冬ライブに出かけました。でも、元旦の越冬ライブは、メインキャストのSHINGO★西成も来ず、餅つき大会などの主要行事も翌日2日がメインだった為に、盛り上がりに欠けていました。

そこで、阪堺電車で直ぐに行ける住吉大社に初詣に行って、奉納の絵馬を年賀状代わりにする事にしました。絵馬なら年賀状代わりになるし、ブログの写真にも使えます。初詣自体も、正月の風物詩として、ブログの格好の話題になりますからね。

そんな軽い気持ちで行った初詣なので、日本会議や神社本庁との関係性なんて全然考えていませんでした。でも、戦前から神社が果たして来た国家神道としての役割を考えると、とてもそんな能天気な事は言えませんよね。かつて地鎮祭が政教分離に反すると問題になった事を考えると。

そこで、神社本庁に属さない神社が大阪にあるかどうか調べましたが、よく分かりませんでした。それどころか、あの悪名高い靖国神社も、神社本庁には属さない事が分かり、もう訳が分からなくなってしまいました。京都の伏見稲荷なら国家神道とは無縁だと思いますが、あそこも大阪からは遠いし、初詣に行っても外国人観光客でごった返していて、これでは疲れに行く様な物です。なので、来年は神社ではなく、近くのお寺に初詣に出かけようと思います。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

当ブログと私の生い立ち」カテゴリの最新記事