アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

パラサイト 釜ヶ崎のプレカリアート

2020年02月12日 23時35分37秒 | 当ブログと私の生い立ち

今、話題の韓国映画「パラサイト 半地下の家族」を観て来た。韓国には北朝鮮から飛来するミサイルに備え、半地下の防空壕が各地に点在する。その防空壕に貧困家庭が住み着き、下町のスラム街を形成している。窓は半分地中に埋もれ、部屋の中は日中でも薄暗い。窓には酔客の立小便が降り注ぎ、室内には散布中の消毒液の煙が充満する。雨が降れば室内は大洪水となる。

他方で高台には金持ちが豪邸を構え、家政婦を雇って何不自由ない暮らしを続けている。韓国は北朝鮮と今もにらみ合っている。軍事政権こそ打倒されたが、今も財閥が政治の実権を握り、左翼や労働組合の運動は抑えつけられている。そんな中では格差も広がる一方だ。韓国は日本以上の格差社会なのだ。

その韓国の半地下の防空壕に住むキム一家の元に、高台に住むIT企業社長パク一家の家庭教師の仕事が舞い込む。浪人生のキム・ギウが、友人の留学期間中だけ、高校生の娘パク・ダヘの家庭教師をする事になったのだ。最初は浪人生だから無理と尻込みしていたギウだったが、高額の報酬に釣られて、経歴を偽り名門大学の学生としてダヘの家庭教師をする事になった。

ギウからその話を聞いたキム一家の他の家族も、絵画の先生や家政婦、送迎ドライバーとして、まるで寄生虫(パラサイト)のように、赤の他人を装い次々とパク一家に群がるようになる。パク一家に長年仕えた前家政婦ムングァンも計略を使って追い出し、見事パク一家乗っ取りに成功したかのように思えたキム一家。パク家全員がキャンプ旅行に出かけると、羽目を外して飲むや食うやのどんちゃん騒ぎを繰り広げる。しかし、雨の日の夜に忘れ物を取りに戻ってきたムングァンを家の中に招き入れた事で、事態はあらぬ方向に進んでいく。

登場人物が一杯出てくるので、頭の中がこんがらがらないように、一旦、箇条書きにまとめると下記のようになる。

・キム・ギテク(父親):パク社長の専属ドライバー。
・キム・ギウ(息子):高校生の娘パク・ダヘの家庭教師。
・キム・ギジョン(娘):多動性障害を抱える息子パク・ダソンの絵画の先生。
・チュンスク(ギテクの妻):パク家の前家政婦ムングァンを追い出し家政婦に収まる。

実は、このムングァンという前の家政婦も、パク家の地下室に夫のグンゼをかくまい、食料をくすねてグンゼに分け与えていたのだ。パク家の豪邸は、昔は別の建築家が所有していて、そこに秘密の地下室があったのだ。その地下室の存在はパク社長も知らない。建築家がいた頃からこの家に仕えていたムングァンだけが、この家に秘密の地下室がある事を知っていて、夫のグンゼをかくまい養っていたのだ。

ムングァンは最初、夫をかくまっていた事をキム一家に知られ、追い詰められるが、キム一家も、赤の他人を装いパク家に寄生していた事を知られ、逆にムングァン夫婦に脅される羽目に。しかし、ムングァン夫婦2人に対しキム一家4人では、多勢に無勢で、とうとう夫婦は捕らわれの身に。そこに、大雨でキャンプ旅行を早めに切り上げて戻ってきたパク一家が加わり、とてつもない修羅場に。

これ以上はネタバレになるので書けない。しかし、ここまで書いただけでも、波乱万丈の筋書きである事が分かるだろう。物語の筋書きそのものは、是枝監督の映画「万引き家族」に似ているが、テンポの速さはとてもその非ではない。しかも、あらすじが込み入っているにも関わらず、ぐいぐい観客を引き付けて飽きさせない。それがこの映画の最大の魅力だ。

人さらいを生業としてきた偽装家族が、次第に家族の絆を深めていって、本当の家族に近づいていく。その「家族の絆」が「万引き家族」の主題だったように思う。では、この「半地下の家族」の主題は一体何なのだろうか?色々考えた末に、「家族のしたたかさ」ではないかと思うようになった。キム一家もムングァン夫婦も、ともに金持ちのパク一家に寄生する貧乏人だ。その貧乏人同士が、金持ちの一家を騙し、寄生しながら、獲物を自分達だけで独占しようと、血を血で洗う争いを繰り広げている。最後には本当に殺し合いの場面も出て来る。ムングァンもギジョンもパク社長も亡くなり、生き残ったギウが父親のギテクを救い出そうと誓う場面で終わる。

この終わり方では、お世辞にもハッピーエンドとは言えない。しかしバッドエンドでもない。少なくとも、忠臣蔵や「永遠の0(ゼロ)」みたいに「皆、華々しく散って逝きました」という終わり方ではないのだから。恐らく「どんなに惨めで無様であろうとも、とにかく生き抜け」と言うのが、監督が最も言いたかった事ではないだろうか。

この映画は同時に、韓国における壮絶なまでの格差社会の実態を暴き出している。金持ちのパク一家にとってはキャンプ旅行を早めに切り上げるだけで済んだ大雨も、貧乏なキム一家にとっては、半地下の部屋が水に浸かり、溺れかけた末に、体育館での雑魚寝の避難生活を余儀なくされるほどの水害になった。最後の殺し合いの場面で、ギテクがパク社長を殺してしまったのも、パク社長がギテクの事を「臭い」と言ったのに激高したからだ。これなぞも、昨年の台風・水害被災者に対する政府の冷淡な仕打ちや釜ヶ崎の野宿者排除の動きと、一体どこが違うのか?

先日、大阪・西成のあいりん地区(釜ヶ崎)で、民家と旅館が焼ける火事があった。どちらも空き家だったので死傷者は出なかったが、消防車が何台も出動する騒ぎだったのに、ニュースでは一切報道されなかった。それほどの火事であったにも関わらず、火元となった民家のすぐ隣にある賃貸マンションは無傷だった。間にある非常階段が防火壁となり延焼を食い止めたからだ。一枚の壁の有無が生死を分かつ境となる。それでも防火壁のないドヤに住まなければならない現実がある。釜ヶ崎自体も上町台地の崖下にあり、天王寺の高台にある文教地区から見たら「半地下」と同じだ。たとえ、そんな中でも「黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ」というのが、この映画の最も言いたかった事ではないだろうか。


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