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労働組合卒業宣言

2020年09月01日 20時55分55秒 | 当ブログと私の生い立ち
 
私事ですが、私の所属しているユニオン(労働組合)とようやく連絡が付き、今まで滞納していた8ヶ月分の組合費9600円の支払いと引き換えに、正式に組合を脱退する事になりました。
 
私がこの組合に加入したのは2010年の春。当時勤めていた某スーパーマーケットの物流センターでは、スーパーによる委託人件費カットと、それをバイトにしわ寄せして延命を図ろうとする請負企業の我が社によって、バイトは時給890円の低賃金で、昼休みも満足に取れない状況に追い込まれていました。
 
その上、当該スーパーが備品のドーリー(運搬用の台車)購入をケチり、下請けの我が社もスーパーに何も言えなかった為に、バイトは重い荷物を、背の低いドーリーから背の高いカゴ車(別の種類の台車)に積み替える、危険で不要な作業を強いられていました。
 
それに対し、当時既に腰痛の持病を抱えていた私は、「もうこれ以上の労働強化には耐えられない」と、組合の無い職場のバイトでも一人から入れる労働組合に加盟し、同年秋にはオバちゃんの組合委員長とたった2人で、4人の会社幹部を相手に団体交渉しました。
 
団体交渉そのものは散々な結果に終わりましたが、これを機に、周囲の私の見る目が変わって来ました。今までは、どちらかというと目立たないタイプで、「何を考えているか分からない」と私の事を見ていたバイトも、次第に一目置いてみてくれるようになりました。
 
いずれも今となっては懐かしい思い出です。組合には、それ以降も、会社の労災揉み消しと闘い、労災認定を勝ち取る上で、大変お世話になりました。
 
でも、所詮は、職種も勤め先も勤務時間もバラバラなバイトが寄り集まった弱小組合のユニオンです。その後は組合活動に参加する機会もなく、組合費だけを万一の保険代わりに支払う日々が続いていました。
 
それでも当初は組合のレクレーション行事には参加していましたが、久しぶりに出席した秋の芋掘り大会で、古株の組合員から「お前、一体誰やねん?」みたいな言い方をされたのに嫌気が差し、もう組合のレクレーション行事にも一切参加しなくなりました。
 
やがて月日が流れ、最初はパワハラが横行していた我が社内でも、次第に私の業績が認められ(仕事上でも職場内の組合活動面でも)、もはや組合に頼らなくても、充分やっていけるだけの自信が着きました。
 
そこで、今年2月からは組合費も払わない事にしました。月額僅か1200円の組合費でも、何も活動していないのに無駄金払うのはバカらしいので。
 
でも、何度も届く組合費の支払請求書を見て、「いつまでもこんな宙ぶらりんな形を続けていてはいけない」と思い、正式に脱退する事にしました。
 
今でも労働組合の意義はちゃんと認めています。しかし、今の様な組合の活動スタイルでは、組合員の参加はその場限りに止まってしまうでしょう。それに一区切りを付ける為に、労働組合を脱退する事にしました。
 
かつて勤めていた生協もそうでしたが、幾ら口では民主的な事を言っていても、実際はパワハラが横行している職場は幾らでもあります。その一方で、今の我が社もそうですが、最初はパワハラが横行していたブラック企業でも、労働者の出方如何によっては、たった1人でもここまで変える事が出来るのです。
 
労働組合は確かに大切ですが、組合にさえ入ればそれで救われるものでもありません。最後の決め手になるのは、やはり個人一人一人の気構えだと思います。
 
これは決して労働組合の存在意義を否定している訳ではありません。労働組合の存在意義はちゃんと認めた上で、「いつまでもそれに寄り掛かってばかりではいけない」「いつまでも他力本願ではいけない」という、いわば私のささやかな「労働組合卒業」宣言です。
 
 
だからこそ、いきなりの安倍総理辞任で、肩透かしを食らって意気消沈している人にも言いたいのです。確かに、安倍総理の辞任そのものは持病の悪化によるものであり、国民の力によるものではないかも知れません。でも、総理の持病が悪化した背景には、それまでの森友・加計問題や「桜を見る会」、河井夫妻の贈収賄疑惑や、秘密保護法、安保法制、共謀罪法案の強行採決、相次ぐ公文書や統計データの改ざんに見られるような、国政私物化、縁故政治、強権政治、分断統治のほころびがあると思います。それが回りまわって、持病の悪化となって現れたのだと思います。
 
そういう意味では、この持病の悪化も、国民の勝利であると言えなくもありません。こんな事を言うと、「何もそこまで安倍総理の事を悪しざまに言う事ないじゃないか」と思う人もおられると思います。しかし、現に、安倍政権の下で、公文書改ざんに手を染めざるを得なかった公務員が、それを苦に自殺しているのですから、悪しざまに言われても仕方ないと思います。
 
むしろ、これだけの事をしでかしてもなお、いまだに安倍政権の支持率が3割もあり、嘘か本当か分からない持病の噂を流されただけで、更に支持率が20ポイントもアップする方が、よっぽど異常なのです。こんな調子では、「日本人は、何されても権力者の言いなりになる奴隷のような民族」として、最後には政府だけでなく、国民まで世界中からバカにされるようになると思います。
 
明治時代に、幸徳秋水という人がいました。時の政府を厳しく批判したために、明治天皇暗殺の濡れ衣を着せられ、一方的に死刑にされた新聞記者です。その人がこんな言葉を残しています。「新しい年が明けても全然おめでたくない。悪政は続き、格差も広がるばかり。でも、社会の底辺では、貧しい人々の怒りが渦巻いている。やがて、その怒りが噴出し、それを機に、世の中も徐々に変わっていくだろう。そう考えると、新しい年が明けるという事は、世の中が一つ進歩するという事であり、確かにおめでたい」と。その上で「でも他力本願ではあってはいけない」という事も、私は付け加えたいと思います。
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