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福田村事件の犠牲者は決して少数派ではなかった

2023年09月09日 16時34分51秒 | 映画・文化批評
 
今、話題の映画「福田村事件」を観て来ました。1922年(大正12年)9月1日に起こった関東大震災の直後に、多数の朝鮮人や社会主義者が、震災のどさくさに紛れて、警察や自警団の手で殺された事は、私も歴史的事実としては知っていました。ネトウヨ(ネット右翼)や小池都知事が、その事実を無かった事にしょうとしている事も含めて。しかし、実は殺されたのは朝鮮人や社会主義者だけではありませんでした。日本人の地方出身者も、都会で孤立する中で、方言を理解してもらえず、朝鮮人やテロリストと間違われて、殺されたりしていたのです。
 
千葉県福田村(今の野田市の一部)で殺されたのは、香川県の行商人たちです。全員が被差別部落の出身者で、小作農だけでは食べていけないから、全国各地を渡り歩き、薬売りの行商を行っていたのです。その彼らが、震災からわずか6日後に、福田村郊外の利根川の渡しにさしかかったところで、讃岐弁が分からない船頭たちによって、朝鮮人と間違われて、15人中9人も殺されてしまったのです。
 
勿論、行商人たちは自分たちが日本人である事を必死になって説明しました。行商の鑑札も見せて、求められるまま君が代や歴代天皇の名前もそらんじて見せました。それでも「その鑑札は偽物だ」と言われ、警官が鑑札の真偽を確かめに本署に一旦戻った隙に、皆殺しにされてしまったのです。警官が再び現場に到着した時には、もはや手が付けられないほど殺戮(さつりく)は進行していました。村の自警団が10人目に手を付けようとしたところで、鑑札が正規のものである事が証明され、そこでようやく殺戮を食い止める事が出来たのです。
 
ところが、隣村の住民も含めて、数百人もの村人が虐殺に加わったにも関わらず、起訴されたのはわずか数名。その数名に対し、村当局は弁護士費用を立て替え、見舞金まで支給しています。数名には実刑が下されるも、後の昭和天皇即位に伴う恩赦で、全員が釈放されています。加害者の中には戦後、地元の市会議員になった人間もいます。
 
それに対して、殺害された行商人の方たちには、謝罪も補償も一切ありませんでした。ようやく香川県に戻る事の出来た生存者も、後難を恐れて固く口を閉ざしてしまいました。その為に、この事件は長い間、日の目を見る事がありませんでした。最近になってようやく、地元の教師や歴史家の尽力によって、事件の全貌が明るみになりつつあります。これが1923年9月6日に実際に起こった福田村事件のあらましです。
 
 
それを踏まえた上で、映画「福田村事件」のストーリーを解説します。大事な事なのでネタバレになるのも承知で書きます。まず最初に、朝鮮から故郷の福田村に舞い戻って来た教師とその妻が登場します。教師の名は澤田智一(役者は井浦新、以下同じ)で妻の名は静子(田中麗奈)。智一は朝鮮にほれ込み朝鮮語もマスターしながら、堤岩里事件(1919年に、日本軍が3.1独立運動掃討作戦を進める中で、朝鮮人の村人が教会の中に閉じ込められ焼き殺された事件)に遭遇してしまったショックで性的不能に。
 
村に戻った智一は、幼なじみの村長や在郷軍人会分会長による教員復職の薦めも断り、慣れない手つきで農業を始めます。そんな夫に我慢できなくなった妻の静子は、利根川の渡し守の船頭、田中倉蔵(東出昌大)と船の中で肉体関係を持ってしまいます。静子がそこまで追い詰められても、夫の智一は川べりの木陰から見つめるだけ。
 
次に映画は福田村の村人の日常生活の場面に変わります。村では軍服姿の在郷軍人会が威張っています。軍人会分会長の長谷川(水道橋博士)はことあるごとに村長をこきおろします。村の青年の出征祝いの席でも、大正デモクラシーにかぶれた田向村長(豊原功補)を「腰抜け」と非難し、「忠君愛国」の教えを盛んに説きます。
 
しかし、その「忠君愛国」の教えとは裏腹に、村人の性生活の奔放ぶりが次々に登場します。例えば、戦争未亡人の島村咲江(コムアイ)も、夫を戦争で亡くした寂しさから、倉蔵と不倫関係に。井草家の妻マス(向里祐香)も夫の茂次(松浦祐也)をさておいて祖父の貞次(柄本明)とセックスにふける日々。貞次が亡くなった時も自分の乳房で貞次を抱きしめ。
 
ただ、この村人の描写については、私はむしろ省いた方が良かったのではないかと思います。福田村事件を、被害者だけでなく加害者の視点からも描きたかったという映画監督の森達也さんの意向で、この場面が挿入されたらしいのですが。これがある為に、話のストーリーがやたら煩雑になり、私は映画を観ていて訳が分からなくなりました。後でネットで調べて、ようやく理解できるようになりましたが。その為に、朝鮮人や部落民に対する差別を告発するという、映画本来の主題がぼやけてしまっては、本末転倒ではないでしょうか。
 
やがて映画は後半のクライマックスに向かいます。震災後、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」との流言蜚語(りゅうげんひご=根も葉もない噂)が、福田村の中にも流れるようになります。左翼劇作家の平澤計七(映画に登場する唯一の実在の人物)も、そのどさくさの中で、亀戸警察署に連行され、署内で拷問の末に虐殺されてしまいます(亀戸事件)。内務省の通達に沿って、村にも自警団が組織されます。在郷軍人会は今までにも増して勢い付きます。
 
しかし、3日後からは次第に形勢逆転。諸外国の目を恐れた政府は、今度は一転して噂の火消しに転じます。「通行人をやたら不審者扱いしてはいけない。勝手に武器を持ち歩いてはいけない。自警団は解散しろ」との通達で、はしごを外された在郷軍人会は意気消沈。しかし、村人の中に深く根を下ろした朝鮮人やよそ者に対する警戒心が、この程度の事で鎮静化するはずがありません。
 
その中に、香川県の被差別部落を旅立った行商人の一行がやって来ます。彼らも村人と同様に千差万別です。まず行商人のリーダー、沼部新助(永山瑛太)にしてからが、矛盾だらけの人物です。「わしら貧乏人は、自分よりさらに貧しい奴らを騙して、金をむしり取らなければ生きていけないんだ」と、怪しげな薬を道端で皆に売りつけます。醬油工場のストライキの場面に出くわしても、「お上に楯突いたらろくなことがない」と眉をしかめます。この辺の描写は、まるで「闇金ウシジマくん」そっくりで。その一方で、貧しい朝鮮人の飴売り少女に同情して、飴を一杯買ってやり、お礼に少女から朝鮮の扇子をプレゼントされます。しかし、これが後に災いの元になります。
 
矛盾だらけと言う点では、行商人の他のメンバーも同じです。「わしら部落の人間は差別されても朝鮮人よりは上なんだ」と、「下見て暮らせ傘の下」よろしくヘイトスピーチを公言する輩もおれば、前年に結成された水平社(部落解放運動団体)の創立宣言をそらで暗唱し、それを他のメンバーに広めようとする秀才少年がいたり。この辺はもう完全に映画の作り話なのでしょうが。
 
これも作り話なのでしょうが、映画にはもう一つの重要なキャラクターも登場します。地元紙の編集長と女性新聞記者です。編集長の砂田伸次朗(ピエール瀧)は政府の意向に沿って「朝鮮人が暴れている」という記事を新聞記者に書かそうとしますが、女性記者の恩田楓(木竜麻生)はそれを決然と拒否します。「真実を報道してこそ新聞の値打ちが決まる」と。そして福田村の中でも、朝鮮人の飴売りの少女を何とか自警団の魔手から守ろうとします。この奮闘も空しく、少女は自警団に竹槍で突き殺されてしまいますが。
 
そして映画は遂にクライマックスを迎えます。まず利根川の渡しで、行商人の一行が、間男の船頭と船賃の交渉をする中で、讃岐弁が分からない船頭や他の乗客から、朝鮮人ではないかと疑われ始めます。村の半鐘が打ち鳴らされ、行商人一行は自警団や村人に取り囲まれます。後は先述の事件の経過と同じです。但し、その中で、行商人のリーダー沼部が、それまでの矛盾だらけの姿とは打って変わって、「朝鮮人やったら殺してもええんか!」と村人に凄む姿には、私も鬼気迫る迫力を感じました。しかし、その行いも空しく、朝鮮人の飴売りの少女からもらった扇子が見つかった事で、事態はさらに悪化していきます。この辺のくだりは、完全に映画のフィクションなのでしょうが。
 
そこに、先述の澤田夫妻が登場します。船頭との不倫を機に、一旦家を出た澤田静子も、震災の混乱の中で、再び夫の智一の元に戻ります。そして紆余曲折を経る中で、偶然、虐殺の現場に遭遇した二人は、必死になって殺戮を食い止めようとします。ここでは夫の智一も、最初の不能の場面とは打って変わって、虐殺を食い止める側に回ります。この場面は映画のクライマックスの一つです。でも、私からすれば、いくら作り話にしても、いかにも話が出来過ぎているようで、幾分興ざめしてしまいましたが。
 
次のクライマックスは警官と警部が本署から再び舞い戻って来た時です。行商の鑑札が正規のものであり、行商人一行は日本人である事がここで初めて証明されますが、時すでに遅し。もう15人の行商人一行のうち9人までもが撲殺されてしまっていました。先の水平社創立宣言をそらんじてみせた秀才少年も、その餌食となります。警部たちが必死になって殺戮を食い止める事で、残りの6人だけがかろいじて殺戮を免れる事が出来ました。その時に、はしごを外された在郷軍人会の長谷川が、「朝鮮人をやっつけろと、最初に言ったのはアンタだろうが!」と、警部をにらみつける場面が、何やら今のネトウヨ(ネット右翼)の行く末をも暗示しているようで、「皮肉」感たっぷり。
 
最後のクライマックスが、現場に到達した新聞社の恩田記者が、大正デモクラシーかぶれの田所村長に、「朝鮮人暴動は根も葉もない噂であった事を、村長自ら証言してほしい」と頼んだ時です。「そんな事したら今度は自分が村八分にあってしまう」と、証言を拒否します。普段はリベラルっぽい事言っている人士も、一皮むけば在郷軍人くずれのネトウヨと、ほとんど大差がなかった事が、ここで余すところなくさらけ出されます。
 
以上が、私の感想も交えての映画のストーリーです。私がここで一番感じたのが、「虐殺の犠牲となった朝鮮人や部落民も、客観的に見れば、決して少数派ではなかった」という点です。勿論、映画はフィクションですよ。現実の場面はもっと凄惨であったであろう事は、十分想像が付きます。しかし、それでも、澤田夫妻に恩田記者と、真実に目覚めた人物が当時も既に3人もいたのです。その周囲には、「朝鮮人やったら殺してもええんか!」と凄んだ行商人リーダーや、水平社宣言をそらで暗唱できる行商人の少年も存在します。
 
その他の村人も、朝鮮人憎しの宣伝に踊らされてはいるものの、その内実は、不倫に明け暮れ、政府の宣伝する「忠君愛国」のかけらすらない。その中で、虐殺を扇動した在郷軍人会の分会長や警部は、時の権力の威光を嵩に着て「我が世の春」を謳歌してはいるものの、村の中ではむしろ少数派だったのではないか?だからこそ、形勢不利となった途端に、時の権力からはしごを外される目に遭うのです。
 
「この映画には希望も何もない、ただひたすら日本の闇を暴くだけだ」と言うのが、映画を観た人の大方の感想のようですが、私は逆です。澤田夫妻や恩田記者のような人がもっと増えれば、虐殺を食い止める事も出来たのではないかと思います。そこにこそ、この映画に「一筋の光」と言うか、希望を見出す事が出来るのではないでしょうか。
 
ほら、昔の中国の革命作家、魯迅(ろじん)も言っているじゃない。「最初から道がある訳ではない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」と。

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己未独立宣言書の現代口語訳 (プレカリアート)
2023-09-10 08:59:40
わたしたちは、わたしたちの国である朝鮮国が独立国であること、また朝鮮人が自由な民であることを宣言する。このことを世界の人びとに伝え、人類が平等であるということの大切さを明らかにし、後々までこのことを教え、民族が自分たちで自分のことを決めていくという当たり前の権利を持ち続けようとする。

 5000年の歴史を持つわたしたちは、このことを宣言し、2000万人の一人ひとりがこころを一つにして、これから永遠に続いていくであろう、わたしたち民族の自由な発展のために、そのことを訴える。そのことは、いま、世界の人びとが、正しいと考えていることに向けて世の中を変えようとしている動きのなかで、いっしょにそれを進めるための訴えでもある。

 このことは、天の命令であり、時代の動きにしたがうものである。また、すべての人類がともに生きていく権利のための活動でもある。たとえ神であっても、これをやめさせることはできない。

 わたしたち朝鮮人は、もう遅れた思想となっていたはずの侵略主義や強権主義の犠牲となって、初めて異民族の支配を受けることとなった。自由が認められない苦しみを味わい、10年が過ぎた。支配者たちはわたしたちの生きる権利をさまざまな形で奪った。そのことは、わたしたちのこころを苦しめ、文化や芸術の発展をたいへん妨げた。民族として誇りに思い大切にしていたこと、栄えある輝きを徹底して破壊し、痛めつけた。そのようななかで、わたしたちは世界の文化に貢献することもできないようになってしまった。

 これまで押さえつけられて表に出せなかったこの思いを世界の人びとに知らせ、現在の苦しみから脱して、これからの危険や恐れを取り除くためには、押しつぶされて消えてしまった、民族として大切にして来た心と、国家としての正しいあり方を再びふるい起こし、一人ひとりがそれぞれ人間として正しく成長していかなければならない。

 次世代を担う若者に、いまの状況をそのままとしていくことはできないものであり、わたしたちの子どもや孫たちが幸せに暮らせるようにするためには、まず、民族の独立をしっかりとしたものにしなければならない。2000万人が固い決意を相手と闘う道具とし、人類がみな正しいと考え大切にしていること、そして、時代を進めようとするこころをもって正義の軍隊とし、人道を武器として、身を守り、進んでいけば、強大な権力に負けることはないし、どんな難しい目標であってもなしとげられないわけはない。

 日本は、朝鮮との開国の条約を丙子年・1876年に結び、その後も様々な条約を結んだが、〔朝鮮を自主独立の国にするという約束は守られず〕そこに書かれた約束を破ってきた。

 しかし、そのことをわたしたちは、いま非難しようとは思わない。日本の学者たちは学校の授業で、政治家は会議や交渉の際に、わたしたちが先祖代々受け継ぎ行なってきた仕事や生活を遅れたものとみなして、わたしたちのことを、文化を持たない民族のように扱おうとしている。彼ら日本人は征服者の位置にいることを楽しみ喜んでいる。

 わたしたちは、わたしたちが作り上げてきた社会の基礎と、引き継いできた民族の大切な歴史や文化の財産とを、彼ら日本人が馬鹿にして見下しているからといって、そのことを責めようとはしない。わたしたちは、自分たち自身をはげまし、立派にしていこうとしていて、そのことを急いでいるので、ほかの人のことをあれこれ恨む暇はない。いまこの時を大切にして急いでいるわたしたちは、かつての過ちをあれこれ問題にして批判する暇はない。

 いま、わたしたちが行なわなければならないのは、よりよい自分を作り上げていくことだけである。他人を怖がらせたり、攻撃したりするのではなしに、自ら信じるところにしたがって、わたしたちは自分たち自身の新しい運命を切り開こうとするのである。決して昔の恨みや、一時的な感情で、ほかの人のことをねたんだり、追い出そうとしたりするわけではない。

 古い考え方を持つ古い人びとが力を握って、そのもとで手柄を立てようとした日本の政治家たちのために、犠牲となってしまった、現在の不自然で道理にかなっていないあり方をもとにもどして、自然で合理的な政治のあり方にしようとするということである。

 もともと、日本と韓国(注・大韓帝国)との併合は、民族が望むものとして行なわれたわけではない。その結果、威圧的で、差別・不平等な政治が行なわれている。支配者はいいかげんなごまかしの統計数字を持ち出して自分たちが行なう支配が立派であるかのようにいっている。

 しかしそれらのことは、二つの民族の間に深い溝を作ってしまい、互いに反発を強めて、仲良く付き合うことができないようにしている、というのが現在の状況である。きっぱりと、これまでの間違った政治をやめ、正しい理解と心の触れあいに基づいた、新しい友好の関係を作り出していくことが、わたしたちと彼らとの不幸な関係をなくし、幸せをつかむ近道であるということを、はっきり認めなければならない。

 また、怒りと不満をもっている、2000万の人びとを、力でおどして押さえつけることでは、東アジアの永遠の平和は保証されないし、それどころか、東アジアを安定させる際に中心になるはずの中国人の間で、日本人への恐れや疑いをますます強めるであろう。

 その結果、東アジアの国々は共倒れとなり、滅亡してしまうという悲しい運命をたどることになろう。いま、わが朝鮮を独立させることは、朝鮮人が当然、得られるはずの繁栄を得るというだけではなく、そうしてはならないはずの政治を行ない、道義を見失った日本を正しい道に戻して、東アジアをささえるために役割を果たさせようとするものであり、同時に、そのことで中国が感じている不安や恐怖をなくさせようとするためのものである。つまり、朝鮮の独立はつまらない感情の問題として求めているわけではないのである。

 ああ、いま目の前には、新たな世界が開かれようとしている。武力をもって人びとを押さえつける時代はもう終わりである。過去のすべての歴史のなかで、磨かれ、大切に育てられてきた人間を大切にする精神は、まさに新しい文明の希望の光として、人類の歴史を照らすことになる。

 新しい春が世界にめぐってきたのであり、すべてのものがよみがえるのである。酷く寒いなかで、息もせずに土の中に閉じこもるという時期もあるが、再び暖かな春風が、お互いをつなげていく時期がくることもある。いま、世の中は再び、そうした時代を開きつつある。

 そのような世界の変化の動きに合わせて進んでいこうとしているわたしたちは、そうであるからこそ、ためらうことなく自由のための権利を守り、生きる楽しみを受け入れよう。そして、われわれがすでにもっている、知恵や工夫の力を発揮して、広い世界にわたしたちの優れた民族的な個性を花開かせよう。

 わたしたちはここに奮い立つ。良心はわれわれとともに進んでいる。老人も若者も男も女も、暗い気持ちを捨てて、この世の中に生きているすべてのものとともに、喜びを再びよみがえらせそう。

 先祖たちの魂はわたしたちのことを密かに助けてくれているし、全世界の動きはわたしたちを外側で守っている。実行することはもうすでに成功なのである。わたしたちは、ただひたすら前に見える光に向かって、進むだけでよいのである。

公約三章

一、今日われわれのこの拳は、正義、人道、生存、身分が保障され、栄えていくための民族的要求、すなわち自由の精神を発揮するものであって、決して排他的感情にそれてはならない。

一、最後の一人まで、最後の一刻まで、民族の正当なる意志をこころよく主張せよ。

一、一切の行動はもっとも秩序を尊重し、われわれの主張と態度をしてあくまで公明正大にせよ。

 朝鮮建国四千二百五十二年三月一日

  朝鮮民族代表

孫秉煕 吉全宙 李弼柱 白龍城 金完圭 金秉祚 金昌俊 權東鎮 權秉悳 羅龍煥 羅仁協 梁甸伯 梁漢默 劉如大 李甲成 李明龍 李昇薰 李鍾勳 李鍾一 林礼煥 朴準承 朴煕道 朴東完 申洪植 申錫九 呉世昌 呉華英 鄭春洙 崔聖模 崔麟 韓龍雲 洪秉箕 洪基兆

https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%B7%B1%E6%9C%AA%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E5%AE%A3%E8%A8%80%E6%9B%B8#%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3

上記は1919年3月1日に今の韓国ソウルで発布された朝鮮独立宣言書の現代口語訳による全文です。原文は漢字とハングルで書かれた、日本語には非常に訳しにくい文章で、適切な日本語訳もありませんでした。ようやく分かりやすい訳文がネットに提示されるようになったので、今ここに引用する事が出来るようになりました。

日本で最初の人権宣言とされる水平社宣言(史上初の被差別部落民自身による解放運動宣言)よりさらに3年前に、単なる日本に対する仕返しではなく、朝鮮だけでなく日本をも、自由・平等で平和的・人道的な正義の道に戻させる為に、朝鮮独立を宣言すると表明した画期的な文章です。これを読めば、「韓国人はすぐに火病る(ファビョる=異様に興奮する)」と言った昨今のネトウヨ言説が、いかに皮相でデタラメなものか理解できると思います。

それなのに、日本では朝鮮独立運動を「不逞鮮人」呼ばわりし、関東大震災直後には朝鮮人虐殺まで引き起こしてしまいました。

今、日韓の間では、徴用工や竹島所属問題などの懸案が山積していますが、そのきっかけを作ったのは日本である事を、我々日本人は今こそ肝に銘じなければなりません。
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水平社宣言の現代訳 (プレカリアート)
2023-09-10 09:41:24
全国に散在する吾が特殊部落民よ団結せよ。
長い間虐められて来た兄弟よ、過󠄁去半󠄁世紀︀間に種々なる方法と、多くの人々とによつてなされた吾等(われら)の為の運󠄁動が、何等の有難︀い効果を齎(もたら)さなかった事実は、夫等(それら)のすべてが吾々によって、又他の人々によって每(つね)に人間を冒涜(ぼうとく)されていた罰であったのだ。そしてこれ等の人間を勦(いた)わるかの如き運󠄁動は、かえって多くの兄弟を墮落させた事を想えば、此際(このさい)吾等の中より人間を尊󠄁敬する事によって自ら解放せんとする者の集団運󠄁動を起󠄃こせるは、寧︀(むし)ろ必然である。

兄弟よ、吾々の祖︀先は自由、平󠄁等の渴仰者︀であり、実行者であった。陋劣(ろうれつ)なる階級政策の犧牲者︀であり男らしき産業的殉教者であったのだ。ケモノの皮剝ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剝取られ、ケモノの心臟を裂く代価として、暖󠄁かい人間の心臟を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪われの夜の悪夢のうちにも、なお誇り得る人間の血は、涸かれずにあった。そうだ、そして吾々は、この血を享(う)けて人間が神︀にかわろうとする時代におうたのだ。犧牲者︀がその烙印を投げ返󠄁す時が来たのだ。殉教者が、その荆冠(けいかん=茨の冠)を祝︀福︀される時が来たのだ。

吾々がエタである事を誇り得る時が来たのだ。

吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦(きょうだ)なる行為によって、祖︀先を辱しめ、人間を冒涜してはならぬ。そうして人の世の冷たさが、何(ど)んなに冷たいか、人間を勦(いた)わる事が何(な)んであるかをよく知っている吾々は、心から人生の熱と光を願求礼賛するものである。

水平󠄁社は、かくして生れた。

人の世に熱あれ、人間(注)に光あれ。

大正十一年三月

1922年3月3日、京都市・岡崎公会堂にて宣言

(注)この漢字の読み方については、仏教用語から取ったので本来なら「じんかん」だが、別に意味通り「にんげん」と読んでも良いとされています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E5%B9%B3%E7%A4%BE%E5%AE%A3%E8%A8%80#%E6%9C%AC%E6%96%87

こちらが水平社(今の部落解放同盟の前身)創立宣言の現代仮名遣いによる文章。先の3.1朝鮮独立宣言と比べたら読みやすいものの、それでも漢字には所々ルビを振らなければならない程、今では難解な文章になってしまいました。

でも、今の文章よりもこちらの方が、はるかに格調高く聞こえます。これは蛇足ですが、「鬼滅の刃」のアニメで、小学校もろくに卒業していないはずの伊之助が、「この愉悦に勝る刹那なし」と、現代人には難解な言葉をスラスラと言えたのも、大正時代の人物だったからかも。
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