木曜日の夜9時、タクシーで最寄りの羽田行きバス乗り場に向かいます。
当初、私が車出して羽田に行こうと思っていたのですが、
羽田の駐車場代や首都高代など考えるとバスの方が安かった。
それと、羽田辺りの道、めちゃくちゃ複雑で夜中に行くのは不安だったので
バスで気楽に行くことにしました。
普段、夜に出かけることは、ほとんど無い貞淑な妻ふたりなので、夜のバスですでにハイテンション。
しゃべってたらあっという間に羽田到着。
JAL上級会員様のキャンディの後ろにくっついて、赤い絨毯のカウンターでチェックイン。
このタグが付くと、空港で荷物が最初に出てくるのよー。
そして、さらにラウンジでくつろがせて頂きました。
羽田の国際線は夜11時以降がピーク。
10時半ごろ、広いラウンジはほぼ満席でした。
夜ごはん食べてなくて、お腹減っていたので、いろいろいただきました。
カレーとコーンスープ美味しかった。海老蒸し餃子も。
飛行機乗ったらすぐ眠れるように、ちょっとだけビールもいただきました。
11時半すぎると、突然、ラウンジから人がいなくなりました。
さっきまで満席だったのに、誰もいない…。
ホーチミン行きは、深夜1:25発なので、私たちにはまだまだ時間があります。
じゃあ、ちょっとホーチミンのお勉強しなきゃね。
私のガイドブック
さあ、キャンディの新品のガイドブックを貸して!
今から私がこの状態にするから!!
と、ポストイットをペタペタ。
そうこうするうちに搭乗時間です。
深夜1時前。普段、11時過ぎには寝る私、このころ眠さピークであんまり記憶ないんです。
写真撮る気力も無し。
よろよろと搭乗し、席に座って、寝るぞ~~~~!!!
眠れない…
眠いけど、眠れない…
うとうとするけど、眠れない…
この5時間、寝ておかないといけないのはわかってるんだけど、眠れない…
朦朧としていたら、機内が明るくなり、到着前の朝食がサーブされました。
エッグベネディクト。
お腹全く減ってないんだけど、ちょっと食べてみたら、全体的に美味しかった!!
窓の外には、早朝のホーチミンの街灯りが見えてきました。
いよいよホーチミン到着です。
という、叶う予定のまずない夢のひとつです^^;
いいわー、出発前にこんなラウンジでのんびりとくつろげるなんてっ!
ガイド本にインデックス!
おなじよーなコトやります、やりますっ^^
似てる~!なんかうれしー!
日航ジャンボ123便ソ連自衛隊核攻撃惨事における たくさんのJAL123便の元気な生存者及び、ご搭乗の昭和天皇が、日本の埼玉県警察本部交通課の警察官らの襲撃(日本語で おまわりさん?らの手により)により焼かれる等の手口で
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/ainugakuin/e0011938_16494167[1].jpg
といった惨憺たる虐殺死体と化した
一方、救助に奔走したのは米国のみであった
なお、米国機関で改めて調査を行ったところ、生存者の一部は、伊豆の達磨山の地下にヘリで連れていかれ、少なくとも十数年は生存していたことが新たに判明した。
また、藤岡公民館の日航機石碑は、米軍で救助に入って日本の埼玉県警らに殺害された米兵50名の墓となっていることが新たに判明した