日本はなぜ約2000年間にわたり世界一の長寿国として、ずっと日本であり続ける事が出来たのか?
日本の歴史を勉強すると、いつも疑問に思う事があった。
なぜ、天皇家は滅亡しなかったのか?
平安時代に摂関政治で一時代を築いた藤原氏も、天下統一した豊臣秀吉も、江戸幕府を開いた徳川家康も、天皇家の上に立とうとはせず、政治の実権を握ればそれで満足していた。
中国の歴史を見ると、国を倒して新しい国が出来上がるという繰り返し。それに比べると天皇家が頂点に立つ日本という国が滅びることなく、政治の実権を握った権力者が入れ替わるだけの歴史を繰り返していた日本の歴史は、他国から見たらかなり異常な国だったと思う。
日本の歴史を勉強するたびになぜ、「天皇家を倒して俺が日本で一番だ」という人物が出てこなかったのか?疑問に感じていた。
例えば平安時代に摂関政治で政治の実権を握っていた藤原氏。
天皇に自分の子供を嫁がせ、天皇の外戚となることで摂政と関白の役職を牛耳り、日本の政治の実権を掌握していた。
だが、嫁がせた嫁に男の子が出来なかったことで藤原氏の孫にあたる天皇が生まれず、摂関政治を続けることが出来なくなり、天皇のOBが上皇として政治の実権を握る院政が始まって、藤原氏の摂関政治は終わりを告げた。
なぜ、藤原氏は天皇に子供を嫁がせ摂関政治を行うという面倒な事をしていたのか?天皇を滅ぼして自分が日本で一番になれば良かったのではないか?
例えば、天下統一した豊臣秀吉。
農民出身ということで、最初は足利将軍家の養子になって征夷大将軍になろうとしたけれど、足利義昭にそれを断られて征夷大将軍は断念し、藤原氏の養子になることで摂関家の人間になり、それから関白になって政治の実権を握った。(※あまり知られていないが正確には、羽柴→藤原→豊臣)
なぜそんなめんどくさいことをしたのか?武力で天皇家を滅ぼして名実ともに天下統一すれば良かったんじゃないの?
例えば源頼朝や徳川家康。
清和源氏の流れを組む武家の棟梁という肩書を活かして、征夷大将軍となり幕府を開いて政治の実権を握った。
因みに「幕府」とは元々中国の言葉で、軍部が戦地を統治する為に与えられた決定権を持った組織の事。戦地では、いちいち国のトップに承諾を得る時間が無いので、現場での裁量が認められていたのが幕府。鎌倉時代から江戸時代にかけて武士がその幕府という言葉をうまく利用して、武士が日本の政治の実権を握っていた。
いちいち、中国の幕府という制度を利用して政治の実権を握るような面倒な事をしないで、武力で日本を制圧してしまえば良かったのではないか?
なぜ、時の権力者は政治の実権を握ったらそれで満足してしまうのか?天皇家を滅ぼして名実ともに自分が日本のトップになろうとしなかったのか?
それが不思議でならなかった。
つづく
日本の歴史を勉強すると、いつも疑問に思う事があった。
なぜ、天皇家は滅亡しなかったのか?
平安時代に摂関政治で一時代を築いた藤原氏も、天下統一した豊臣秀吉も、江戸幕府を開いた徳川家康も、天皇家の上に立とうとはせず、政治の実権を握ればそれで満足していた。
中国の歴史を見ると、国を倒して新しい国が出来上がるという繰り返し。それに比べると天皇家が頂点に立つ日本という国が滅びることなく、政治の実権を握った権力者が入れ替わるだけの歴史を繰り返していた日本の歴史は、他国から見たらかなり異常な国だったと思う。
日本の歴史を勉強するたびになぜ、「天皇家を倒して俺が日本で一番だ」という人物が出てこなかったのか?疑問に感じていた。
例えば平安時代に摂関政治で政治の実権を握っていた藤原氏。
天皇に自分の子供を嫁がせ、天皇の外戚となることで摂政と関白の役職を牛耳り、日本の政治の実権を掌握していた。
だが、嫁がせた嫁に男の子が出来なかったことで藤原氏の孫にあたる天皇が生まれず、摂関政治を続けることが出来なくなり、天皇のOBが上皇として政治の実権を握る院政が始まって、藤原氏の摂関政治は終わりを告げた。
なぜ、藤原氏は天皇に子供を嫁がせ摂関政治を行うという面倒な事をしていたのか?天皇を滅ぼして自分が日本で一番になれば良かったのではないか?
例えば、天下統一した豊臣秀吉。
農民出身ということで、最初は足利将軍家の養子になって征夷大将軍になろうとしたけれど、足利義昭にそれを断られて征夷大将軍は断念し、藤原氏の養子になることで摂関家の人間になり、それから関白になって政治の実権を握った。(※あまり知られていないが正確には、羽柴→藤原→豊臣)
なぜそんなめんどくさいことをしたのか?武力で天皇家を滅ぼして名実ともに天下統一すれば良かったんじゃないの?
例えば源頼朝や徳川家康。
清和源氏の流れを組む武家の棟梁という肩書を活かして、征夷大将軍となり幕府を開いて政治の実権を握った。
因みに「幕府」とは元々中国の言葉で、軍部が戦地を統治する為に与えられた決定権を持った組織の事。戦地では、いちいち国のトップに承諾を得る時間が無いので、現場での裁量が認められていたのが幕府。鎌倉時代から江戸時代にかけて武士がその幕府という言葉をうまく利用して、武士が日本の政治の実権を握っていた。
いちいち、中国の幕府という制度を利用して政治の実権を握るような面倒な事をしないで、武力で日本を制圧してしまえば良かったのではないか?
なぜ、時の権力者は政治の実権を握ったらそれで満足してしまうのか?天皇家を滅ぼして名実ともに自分が日本のトップになろうとしなかったのか?
それが不思議でならなかった。
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