スポニチ9月29日記事より
ハリル監督「脱ポゼッション」宣言 代表発表前に異例の演説
日本協会は28日、親善試合ニュージーランド戦(10月6日、豊田)、ハイチ戦(同10日、日産)に臨む日本代表24人を発表した。バヒド・ハリルホジッチ監督(65)はメンバー発表前にポゼッション(ボール支配率)にこだわる日本サッカー界に異を唱える異例の演説を敢行。来年6月14日に開幕するW杯ロシア大会で結果を出すため「脱ポゼッション」の重要性を説いた。
異例の演説は約18分にも及んだ。ハリルホジッチ監督は会見の冒頭で「メンバー発表の前に少し話をしたい」と切り出し、ポゼッション偏重の日本サッカー界に疑問を呈した。
「日本に来てから皆さんや指導者の方々と話をするが、ポゼッションという言葉をよく耳にする。日本サッカーの教育はポゼッションをベースにつくられているが、相手よりボールを持ったからといって勝てるわけではない」
(中略)
過去のW杯とも整合性は取れている。日本は10年南アフリカ大会の1次リーグ3試合のボール支配率は42・3%だったが、16強入りを果たした。一方、14年ブラジル大会は同55・7%と高い数字を残しながら1次リーグで敗退した。ハリルホジッチ監督は「サッカーは不確実な科学。唯一の真実は結果です。ここからはまったく別世界に踏み込む」と言った。「脱ポゼッション」宣言は、W杯仕様のスタイルへ転換する意思表示。9カ月後の本番に向け、現実路線を突き進む。
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代表監督が日本サッカー界のポゼッション志向に一石を投じたという内容の記事。
個人的にハリル監督の考えは良くわかるし支持したいと思うが…
勘違いしないように断わっておきたいのは、この議論は「正解」か?「不正解」か?「○」か?「×」か?という話ではないという事。
ポゼッションサッカーが正しくて、カウンターサッカーが間違いなんてことは無いし、その逆も無い。
この議論は、「和食が正しくて、洋食は間違い」と言っているようなもので、そもそも正解なんて存在しない。
最近は、スペインのサッカーを手本にポゼッション志向のチームが増えているけれど、それが必ず正しいとは限らないし、今の日本サッカー界はポゼッション志向に偏りすぎているという印象は以前から感じていた。
自分はサッカーをよく料理に例えるけれど、今の日本サッカー界は、TVの影響で「繊細なスペイン料理」にこだわる料理人ばかりが異常に増えてしまっている状態。その為「ガツンとくるアジア料理」に対する耐性が無くなってきている。
スペイン料理にこだわる料理人が多い事はもちろん良い事だけれど、他の料理に対する研鑽を行う料理人が非常に少ないという事が現状の一番の問題。ハリル監督が一番気にしているのはその部分だと思う。
チームが出来上がった料理なら、監督は料理人、選手が素材という事になる。監督は様々な素材が最も美味しくなる調理法で料理すれば良いのだけれど、今はどの料理人もスペイン料理の技法しか持っていないという状態。本来は和食や中華、イタリアンなど様々な技法で個性ある素材の長所が活きるように調理するべきだがなかなかそれが出来る状況ではない。
1つのじゃがいもを調理する時、和食の技法で法理する人もいれば、洋食の技法で調理する人もいる。イタリア料理にする人もいる。様々な選択肢に分かれるが、結果的にジャガイモが美味しくなれば良い訳で、その方法は決して1つではない。
今の偏った状態が日本のサッカー界の将来を考えた時に良いかと問われれば、とても良いとは答えられない。
なぜこのように偏ってしまうのかと言えば、日本人は自分で判断することがどちらかと言うと苦手で、お上の判断に身を任せる傾向が強い。お上が「右向け右」と言えば皆何も考えず右を向くし、マスコミが「左向け左」と言えば左を向く。(最近はインターネットの出現でマスコミの「左向け左」)が機能しなくなってきたがそれはまた別の話)
現在は、モノの価値を自分で判断できる少数派の人は「オタク」と呼ばれて蔑まれる社会。日本人が自分で判断していくのはなかなか難しいかもしれない。
最後にまとめ
話をひっくり返してしまうけれど、お上の判断に全員が同調し一糸乱れぬ行動がとれることが日本人の強みだとしたら、それを徹底することで日本人らしい強みのあるモノが出来上がるのではないかと思う。
海外の文化を日本に取り入れ、それを日本で発展させオリジナルを越えるものを作ってしまう所が世界の他国と比較した日本の長所。
それならスペインサッカーを日本流に進化させてスペインのオリジナルを越えるものを作ってしまえば良い。ガラパゴス化(独自の進化)は日本のお家芸だ。
そう考えると、現在の代表監督をハリル監督に任せているのは、日本サッカー界にとって進化の時計の針を止めている行為という事になってしまう。
ハリル監督「脱ポゼッション」宣言 代表発表前に異例の演説
日本協会は28日、親善試合ニュージーランド戦(10月6日、豊田)、ハイチ戦(同10日、日産)に臨む日本代表24人を発表した。バヒド・ハリルホジッチ監督(65)はメンバー発表前にポゼッション(ボール支配率)にこだわる日本サッカー界に異を唱える異例の演説を敢行。来年6月14日に開幕するW杯ロシア大会で結果を出すため「脱ポゼッション」の重要性を説いた。
異例の演説は約18分にも及んだ。ハリルホジッチ監督は会見の冒頭で「メンバー発表の前に少し話をしたい」と切り出し、ポゼッション偏重の日本サッカー界に疑問を呈した。
「日本に来てから皆さんや指導者の方々と話をするが、ポゼッションという言葉をよく耳にする。日本サッカーの教育はポゼッションをベースにつくられているが、相手よりボールを持ったからといって勝てるわけではない」
(中略)
過去のW杯とも整合性は取れている。日本は10年南アフリカ大会の1次リーグ3試合のボール支配率は42・3%だったが、16強入りを果たした。一方、14年ブラジル大会は同55・7%と高い数字を残しながら1次リーグで敗退した。ハリルホジッチ監督は「サッカーは不確実な科学。唯一の真実は結果です。ここからはまったく別世界に踏み込む」と言った。「脱ポゼッション」宣言は、W杯仕様のスタイルへ転換する意思表示。9カ月後の本番に向け、現実路線を突き進む。
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代表監督が日本サッカー界のポゼッション志向に一石を投じたという内容の記事。
個人的にハリル監督の考えは良くわかるし支持したいと思うが…
勘違いしないように断わっておきたいのは、この議論は「正解」か?「不正解」か?「○」か?「×」か?という話ではないという事。
ポゼッションサッカーが正しくて、カウンターサッカーが間違いなんてことは無いし、その逆も無い。
この議論は、「和食が正しくて、洋食は間違い」と言っているようなもので、そもそも正解なんて存在しない。
最近は、スペインのサッカーを手本にポゼッション志向のチームが増えているけれど、それが必ず正しいとは限らないし、今の日本サッカー界はポゼッション志向に偏りすぎているという印象は以前から感じていた。
自分はサッカーをよく料理に例えるけれど、今の日本サッカー界は、TVの影響で「繊細なスペイン料理」にこだわる料理人ばかりが異常に増えてしまっている状態。その為「ガツンとくるアジア料理」に対する耐性が無くなってきている。
スペイン料理にこだわる料理人が多い事はもちろん良い事だけれど、他の料理に対する研鑽を行う料理人が非常に少ないという事が現状の一番の問題。ハリル監督が一番気にしているのはその部分だと思う。
チームが出来上がった料理なら、監督は料理人、選手が素材という事になる。監督は様々な素材が最も美味しくなる調理法で料理すれば良いのだけれど、今はどの料理人もスペイン料理の技法しか持っていないという状態。本来は和食や中華、イタリアンなど様々な技法で個性ある素材の長所が活きるように調理するべきだがなかなかそれが出来る状況ではない。
1つのじゃがいもを調理する時、和食の技法で法理する人もいれば、洋食の技法で調理する人もいる。イタリア料理にする人もいる。様々な選択肢に分かれるが、結果的にジャガイモが美味しくなれば良い訳で、その方法は決して1つではない。
今の偏った状態が日本のサッカー界の将来を考えた時に良いかと問われれば、とても良いとは答えられない。
なぜこのように偏ってしまうのかと言えば、日本人は自分で判断することがどちらかと言うと苦手で、お上の判断に身を任せる傾向が強い。お上が「右向け右」と言えば皆何も考えず右を向くし、マスコミが「左向け左」と言えば左を向く。(最近はインターネットの出現でマスコミの「左向け左」)が機能しなくなってきたがそれはまた別の話)
現在は、モノの価値を自分で判断できる少数派の人は「オタク」と呼ばれて蔑まれる社会。日本人が自分で判断していくのはなかなか難しいかもしれない。
最後にまとめ
話をひっくり返してしまうけれど、お上の判断に全員が同調し一糸乱れぬ行動がとれることが日本人の強みだとしたら、それを徹底することで日本人らしい強みのあるモノが出来上がるのではないかと思う。
海外の文化を日本に取り入れ、それを日本で発展させオリジナルを越えるものを作ってしまう所が世界の他国と比較した日本の長所。
それならスペインサッカーを日本流に進化させてスペインのオリジナルを越えるものを作ってしまえば良い。ガラパゴス化(独自の進化)は日本のお家芸だ。
そう考えると、現在の代表監督をハリル監督に任せているのは、日本サッカー界にとって進化の時計の針を止めている行為という事になってしまう。