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2014W杯日本代表メンバー紹介(GK,DF編)

2014年06月09日 21時56分21秒 | A代表
2014W杯日本代表メンバー紹介(GK、DF編)

1川島永嗣 
浦和のセレクションに落ちて大宮に入団。大宮入団後にはパルマに短期留学しパルマから移籍の打診を受けたことがある。
ワールドユースなど、常に年代別代表の正GKであり、国際大会での活躍も目覚ましいものがあったため、かなり早い時期からA代表に招集されると思っていたが、大宮から名古屋に移籍して楢崎の控えGKとなり出場機会を失ったところから出世コースから少し外れた回り道をすることになった。
「楢崎と同じチームで練習できたことで自身のレベルアップにつながった」というコメントを聞いたことがある。確かにそうかもしれないけれど、大宮からの移籍先が名古屋でなければもっと早くA代表に選ばれていて、A代表GKの楢崎・川口時代はもっと早く終わっていたと思う。

12西川周作
川島の代の次のワールドユースで正GKをつとめた選手。アジア予選の時は松井(当時磐田Y)と熾烈な正GK争いをしていたが、この西川がU-20代表の正GKの座をゲット。本大会で活躍し、その後は大分から広島・浦和と渡り歩きここまではとんとん拍子という感じ。1世代上の川島の存在は越えなければいけない高い壁。
西川が川島より勝っているところはキックの精度だろう。大分Y時代はFKのキッカーを務めていたこともありマスコミからは元パラグアイ代表GKのチラベルトとよく表現されていた。

23権田修一
世代別代表に選ばれ続けてきたエリート。セービング能力の高い本格派GKというイメージが強い。当然のように世代別代表の守護神をつとめていたが、U-19アジア予選で敗退。連続出場していたワールドユースの出場権を自身がキャプテンをしていたチームで逃すという苦渋を味わった。A代表には呼ばれ続けているけれど第3GKでなかなか出番が無く、未だ代表キャップ数は2。リアルにピッチから一番遠い選手。

2内田篤人
前回大会は控えとなり出場試合数0。大会直前の守備的な戦術への方針転換のあおりを受けた形になったが、その先発から外された原因が直前のテストマッチで、ハイボールの競り合いに負けて失点に絡んだシーンで監督の信頼を無くしたこと。(個人的憶測)先日のザンビア戦でも似たようなシーンが…と言って不安を煽ってみる。2010W杯大会時ソニーのTVCMのキャッチコピーが「魅せてくれ内田」だったが、きっとソニーの本音は「(試合に)出てきてくれ内田」だったんだろうなと思っている。

3酒井高徳
ドイツ人とのハーフ。シュツットガルトでの活躍に注目したドイツマスコミが「ドイツに帰化させるべきだ」という報道をしたというキャプテン翼の若林君のような逸話を持つ。弟2人もサッカー選手で3人兄弟と思われがちだが、実は4人兄弟で高徳は二男、長男は柔道家。高徳が新潟Yに在籍していた時にSBS杯のU-19代表に飛び級で選出されプレーしていたのを見て、非常に良いプレーをしていたのでU-19のアジア最終予選のメンバー入りは間違いないだろうと思ったが、なぜかメンバーからは外れ、そのチームはその数か月後のアジア最終予選で予選敗退となった。左右どちらも高いレベルでプレーでき、運動量が豊富な貴重な選手。

5長友佑人
愛媛FCの下部組織のセレクションに落ち、東福岡ではボランチ、明治大学では応援席で「太鼓を叩かせたら日本一」と言われていた選手が、右SBへのコンバートを機に一気に世界のトップレベルにまで上り詰めた。前回大会は相手のエースを封じ込める守備力で日本代表を支えた。攻撃的に行くと監督が公言している今大会でどれだけ攻撃面で存在感を出すことが出来るか。

6森重真人
広島皆実時代はボランチ。プロ入り後もしばらくの間はボランチを務めていたので個人的には未だにボランチの選手という印象が強い。因みに中学時代(広島JY)はFWで槙野智章(浦和)と2トップを組んでいた。広島JYから広島Yに上がることが出来ず、高校サッカーで頑張って這い上がってきた選手でもある。チームの守備力に「高さ・強さ」を求めるならCBは今野ではなく森重だろう。高校時代はつぶし役兼攻撃の起点になれるタイプのボランチだったこともあり、ただデカいだけのCBではなく足元の技術も高い。

15今野泰幸
ザックジャパン不動のCBも森重の台頭でスタメンの座が危うくなっている。それでも危機察知能力とカバーリング能力はチーム随一。森重同様に元々はボランチの選手。東北高校からJFLのソニー仙台への入団が内定していたが、当時コンサドーレ札幌の岡田監督の目に留まりプロ入り。その後はワールドユース、五輪、2010W杯と日本代表に選ばれ続けている。ワールドユースの頃は中盤の潰し屋というイメージが強かったが、ユーティリティープレーヤーが日本のディフェンスリーダーに出世した。前回大会は守備的戦術のため内田に代わり右SBでの出場が濃厚だったが怪我により出場はデンマーク戦の途中出場だけだった。

19伊野波雅彦
森重・今野と同様に元々はボランチの選手で、今も現役の守備のユーティリティープレーヤー。代表ではCB、SBで主に起用されているが、過去の所属クラブではDHでも起用されていたためDHでの起用も十分可能。守備のユーティリティープレーヤーからCBのスペシャリストに成長した今野とは対照的に、FC東京・鹿島・ハイドゥク(クロアチア)・神戸・磐田と複数のクラブを渡り歩き、各クラブのチーム事情に振り回される形で様々なポディションを経験し続けたことが、結果的に守備の万能選手としてW杯代表の座を射止める決め手となった。また長友同様に大学サッカーの活躍から世代別代表に選ばれ、大学を中退してプロ知りした選手でもある。ワールドユースの代表に怪我人の代役として1年でユニバーシアード代表候補となっていた伊野波が選ばれ、フィジカルテストでチームトップの成績を残しマスコミに報道されるもワールドユースでの出番はなかった。そこから大学を中退してFC東京に加入。五輪代表のアジア予選は主将としてディフェンスリーダーを務めたが本大会のメンバーには選ばれなかった。フィジカルが強く複数のポディションで起用できることから、いつもチームに振り回されている選手というイメージが強い。


21酒井宏樹
今でもしばしば語り継がれる史上最強のチームと評された08年の柏Y。そのチームの右SBが酒井だった。当時の酒井はチームの他の選手と比べて最も完成度が低く身体能力の塊、ポテンシャルでサッカーをやっているような選手だった。ユース時代はチームメートがポゼッションしてくれるから、攻撃にアクセントを加える存在として好き勝手に攻撃参加していて守備は不得手という感じだった。トップチームに上がってから2年間は出番が無かったがチームがJ2に降格すると、ここぞとばかりに柏は酒井をCBで起用。J2で酒井の守備力をCBで徹底的に鍛え上げた。もともと体が大きく身体能力の高い選手で伸びシロが大きかった為に出来た選択だと思う。J2で守備を鍛えた酒井は翌年からJ1でSBとしてブレイク。守備での不安が無くなったことで持ち前の攻撃力がより活きる選手に成長し一気に海外移籍、W代表メンバーの座を勝ち取った。

22吉田麻也
日本サッカー協会的に言うと「日本代表のDFの中心として成長してくれないと困る選手」。長身CBが不足する日本サッカー界にとって189㎝の長身CBは非常に重要な存在であり、その期待はオーバーエージとして12年の五輪に招集されたことからもわかる。最近はJリーグで森重や山下という若手CBも台頭してきたが経験がものをいうCBのポディションで吉田の2大会連続五輪出場という国際経験が貴重であることは間違いない。今大会だけでなく4年後のW杯を見据えた日本代表のDFリーダーとして活躍を続けてくれなければいけない選手。因みにこの選手も元々はボランチの選手。名古屋Y時代はアンカーで出場しており、4バックの前で1人でもう1つの大きな壁を作って、DFラインの前で相手の攻撃を跳ね返し続けていた姿をよく覚えている。プリンスリーグ東海で静学と対戦した時、放り込んでくるボールを跳ね返すのが得意な吉田だったが、放り込まず徹底して足元の技術で勝負してくる静学に対して試合中に「もう~、静学やだ~」と言っていた(笑)。