大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

阿弥陀堂

2018年12月23日 | 四天王寺
昨日、相棒と共に市バスで四天王寺へ。
墓参り後、金堂内のご本尊救世観世音菩薩と六時堂にお参りを済ませました。
その後、午前中の雨のため露店はいつもより少なめの太子市(毎月22日)の広がる境内を散策。

阿弥陀堂
法然上人25霊場の6番札所。円光大師(法然上人)を祀る。昭和28年に三重県度会町の国束寺本堂を移築。
本堂西側のお堂は、納骨総祭塔に納骨されるお骨を仮安置する納骨堂です。

法然上人は文治元年(1185年)51歳の時に、慈円僧正の招きでここに参詣し往時を慕われお念仏を唱えて日想観を修せられた。又、高野の明遍僧都が夢に四天王寺の西門のあたりで、病人に粥を施している聖のあるのをみて、それが法然上人であることを知ってめざめ、その後、専修念仏の門に入られたと伝えられている。
記録によると元和三年(1617年)に鳥羽法皇が立てた御誓願のもと「短声堂」「引声堂」として再建されたことが記されており、これが昭和20年の戦災で焼失するまで西門にあった。平安時代以降、念仏三昧院、念仏堂と呼称された堂宇が短声、引声と名を変えて再建されたのである。現在、念仏堂は無く、阿弥陀堂を札所に定めている。

今朝の洗面所には昨夜の柚子湯の香りが残り、昨日が一年で一番昼が短く日に日に日差しが長くなる冬至であることを再認識、春の訪れが待たれます。
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ブーゲンビレア

2018年12月21日 | 植物
先日、真田山陸軍墓地へ相棒と出掛けた途次、弥栄神社境内で赤い花が枝先にかたまって咲いていました。
近づいて見てみますとブーゲンビレアでした。

このブーゲンビレアの花は、一つの花がとても大きく今まで見たことのない大きさでした。

ブーゲンビレア
オシロイバナ科。中南米原産のつる性熱帯植物。

樹高は0.5~3m。
寒さにも強く、霜が降りない地域では戸外でもよく冬越する。

花のように見える部分は苞(萼が発達したもの)で、花はその中に小さく咲く。
苞色は、白,赤,ピンク,オレンジ,黄,複色と多彩。
肥料と水やりを控えることで、1年に2~3回開花させることができる。

和名は、イカダカズラ(筏葛)、ココノエカズラ(九重葛)。

立冬間近というのに暖かい日が続き、ブーゲンビレアもいつまでも咲き続けることとなり驚いている事でしょう。
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真田山陸軍墓地

2018年12月17日 | 史跡
昨日、「西南戦争と大阪」との講演会に参加。

明治10年、西郷隆盛が起した西南戦争は、士族反乱最後のもので日本の近代化に大きな影響を与えた戦争であり、この戦争を契機に言論による主張が大きな潮流となった。
自由民権運動が活発化し、やがて国会開設、帝国憲法発布へと進み近代国家成立を見る事となった。

大阪は、征討総督府が大阪に置かれ征討総督進発後は参謀部となり、軍需物資の徴発輸送と兵員の輸送、大阪砲兵工廠での武器弾薬製造、軍靴製造、船舶の手配等兵站基地の役割を担った。
また、大阪陸軍臨時病院が設置され、神風連の乱で熊本鎮台にて負傷療養中の者を委託治療し負傷200人・戦死60人および西南戦争での入院8569人・負傷5990人・平病者2579人・死亡者942人を数え、埋葬人名簿では実質976名が真田山陸軍墓地に埋葬されている。

真田山陸軍墓地
明治4年開設。日本最初の陸軍墓地。戦前には90ヶ所ほど存在。
世界での2例目(最初は南北戦争後のアーリントン墓地)。

面積は約8千坪あったが昭和3年小学校用地として3千坪譲渡。
約5100基余の墓碑と納骨堂(昭和18年築・約8千柱、写真上右)があり現存する陸軍墓地では日本最大規模。

被葬者は、全国にまたがっており、屯田兵や各鎮台(仙台・東京・名古屋・大阪・広島・熊本)の銃創等による死亡、コレラや脚気による死亡者や軍役夫、俘虜(日清戦争・第1次世界大戦)も含む。
この頃には、脚気は麦飯で治ると知られていたが軍医は脚気はウイルスとの考えを変えず犠牲者は多かった。

墓地は、A~Iの9つのゾーンに分けられ、西南戦争関係はBゾーン(写真上)に多い。
西郷軍は賊軍となったため、西郷軍の兵の墓碑には、賊徒の文字が刻まれている。
反面、官軍側の警視隊等将校の墓碑は立派で内務省所管となっている。

墓碑のほとんどは和泉砂岩のため剥落等の風化による劣化が進み、また今年の台風21号による倒木により墓石が転倒し、吉村大阪市長が保存に向けて国との交渉を始めている。
崩壊の危機にある墓碑は、5100基の内3分の2に及んでいる。

遺族により建て替えられている墓碑も見受けられるが、文字も見えなくなっている墓碑も多く早急に文化財に指定する等保存活動を開始すべきと思いました。

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平和寄席

2018年12月10日 | 伝統芸能
12月2日、アイスショウ見学後、大阪城内にある大阪国際平和センターでの平和寄席「開戦の日平和祈念事業・落語と平和・」へ。

出演は、桂春団治と桂紋四郎・桂壱之輔・桂文三。

桂紋四郎「道具屋」・・夜店の古道具屋の手伝いをするが、品物は足が一本ない電気スタンド、穴の開いた花瓶、抜けない刀等傷ものばかり。汚れた横笛の埃を取ろうとした客が笛に指を差し込み抜けなくなり買うことに「いくら」「10万円」「足元を見るな」「いいえ、手元を見ています」の落ちに大笑い。

桂壱之輔「青い目をした会長さん」・・欧米化の進む社会で隣近所に外人が増え、裏に越してきたフランス人が引っ越し挨拶に、挨拶に料理を持ってきましたに、「引っ越しそばをご丁寧に」「いいえ、フランス料理です」という創作落語で大笑い。

桂文三「転失気」・・知ったかぶりの和尚、体長を崩し往診に来た医者から「テンシキはありますか」と尋ねられ意味も分からず「ある」と答えた後、小坊主にテンシキを知っているか聞くが知らない。そこでそんなことを知らないのか、教えても良いがそれではお前のためにならない、自分で調べるよう言う。小坊主はいろんな人に聞くが誰も知らず知ったかぶりの回答。結局薬を取りに行った小坊主が医者に聞き、屁のことであることを知る。そこで和尚に「テンシキは盃のことです」と嘘を伝える。後日往診に来た医者に「テンシキはありました、回復祝いに一杯どうぞ」小坊主にテンシキを持ってくるように命令。医者からテンシキの意味を教わった和尚、小坊主に「こんなことをして何とも思わないのか」「屁とも思いません」の落ちに会場は大爆笑。

桂春団治「幸助餅」・・大の相撲好きの大黒屋、入れ込み過ぎて店をつぶす。妹を扇屋から遊郭に出す事で30両借り受ける。扇屋は5年間内働きとするのでその間少しでも返済するように、返済がなければ遊郭へやる。帰り道関取の雷と出会い江戸で大関になったことを聞きその30両を祝儀にやってしまう。事情を聞いた叔父が雷に返してくれと掛け合うが相撲取りも芸人と一緒いったんもらった祝儀は返せない、今後出会っても声を掛けないでくれ、とけんもほろろ。その後もう一度扇屋から借金をし、餅を商いしあちこちからの注文で店を盛り返す。そこへ雷が餅を買いに来て「一個買う」払った金が30両。そこでまた贔屓にしてもらおうと思って来たな、馬鹿にするなと手を挙げる。そこへ扇屋の女将さんが来て手を下ろしたらダメ、二度目の30両は雷が出したもの、あそこで祝儀を返したら旦那はまた相撲にのめり込んでしまう扇屋さんから貸したようにしてくれ。また餅の注文も雷があちこち頼んでいたことを知る。目出度し目出度し。との人情話、途中しんみりするところもあり笑いもありの大熱演。

さすが話芸の真髄を聴かせて頂き、相棒も満足したでしょう。
桂春団治さんは、大阪市立大学客員教授で上方落語について一般市民向けに教鞭をとっておられ、私も数年前に教わった縁もあり今回参加しました。師匠は舞台で演じることが主でTV出演は控えておられるようですが、大名跡を継がれ今後ますますのご活躍をお祈りしております。
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坐摩神社・陶器神社・難波神社

2018年12月05日 | 高齢者大学
高大歴考同窓会の忘年会、参加者11名(内女性5名)で地下鉄本町駅近くで開催。
いつも通り美味しい食事と楽しい会話のうちに終了。

食後、御堂筋のイチョウが美しく黄葉している中、近隣の神社を散策。
また、坐摩神社境内では美しい紅葉も見ることができました。

難波神社
反正天皇が大阪府松原市に柴籬宮(しばがきのみや)を開かれたとき、父帝の仁徳天皇をご祭神として創建されたと伝えられる。
その後、天王寺区上本町に遷り、豊臣秀吉が大阪城を築城したのち天正年間(1583年)現在地に遷座。
昭和20年の大阪空襲により全焼、仮宮によっていたものを昭和49年再建され現在に至る。

坐摩神社(いかすり神社)
神武天皇が即位された時に御神勅により宮中に奉斎されたのが起源。
ご祭神は、生井神・福井神・綱長井神・阿須波神・波比岐神の五柱を総称する坐摩大神。

坐摩(いかすり)の語源は、土地または居住地を守り給う意味の居所知(いかしり)が転じたとあり、通称はザマ神社として親しまれている。

落語寄席発祥の地であり、中興の祖初代桂文治の碑もある。

陶器神社
坐摩神社境内の南西にあり、坐摩神社の末社。
ご祭神は、大陶祇神・迦具突智神。

火除の神として、陶器商人に崇拝されているそうで、かつて陶器問屋街があった地にて、その守護神として祀られていたのだそうです。
7月の陶器まつり(無形民俗文化財)は坐摩神社の夏祭りと共に開催され、本殿横の陶器の燈籠は珍しい。

寄りの喫茶店で恒例の反省会、3班の皆様有難うございました。


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