大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

ツリバナの実

2020年10月26日 | 植物
近所の高層マンションの庭のツリバナの実が、緑色から赤くなり始めたと思っていたらはじけて、中の鮮やかなオレンジ色の実が顔を出してきました。
地味な花からは想像できない美しい実です。
つぼみに気が付いたのが4月25日(写真下左)、花が咲いたのは5月10日(写真下右)。


緑色のつぼみが膨らんできたのが7月12日(写真下左)、そのつぼみの緑色が薄くなってきたのが8月8日(写真下右)。


いつもこの木の前を通るたび変化しているのを楽しみに見ており、先日とうとうはじけました。
1ミリくらいのつぼみが膨らみ1センチくらいの花が咲き、つぼみは1センチ強の大きさに育ち、ピンク色に変ってはじけ中の実は5ミリ弱くらいです。
つぼみがピンク色に変化したのが10月11日(写真下左)、そのつぼみがはじけて中の実が見えたのが10月18日(写真下右)。


ツリバナの名札を見つけてから、スーパーへの行き帰りに前を通る相棒からつぼみが付きました、花が咲きました、実が付き大きくなってきました、赤くなって実がはじけました、等の報告を聞く都度写真を撮りました。
都会の真ん中で、初めて見たツリバナの移り変わりに出会え、相棒とともに楽しい数か月を過ごせることができ高層マンションの建設もよいことがあると実感しました。
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平城宮跡歴史公園

2020年10月23日 | 史跡
先日、平城宮跡歴史公園へ行ってきました。
(写真下左・大極殿、右第一次及び第二次平城宮配置図)

平城京
西暦710年(~740年)。女帝元明天皇が律令制にもとづいた政治をおこなう中心地として、その頃もっとも文化の進んでいた唐の長安をモデルとして藤原京から遷都(第一次平城京)。第二次平城京(745~784年・聖武天皇)はこの地に置かれた。
(写真下左・南門の復元現場・右完成予想図)

東西約4.3km、南北約4.8kmの長方形の東側に、東西約1.6km、南北約2.1kmの外京を加えた総面積は約2,500ヘクタール。都の南端にある羅城門から朱雀門までまっすぐにのびるメインストリート・朱雀大路は幅約74m。道路というより広場と呼びたくなる広さです。この朱雀大路の西側を右京、東側を左京といいます。碁盤の目のように整然と区画されたスケールの大きな都には10万人以上の人が暮らしていたといわれている。
(写真下・朱雀門)

平城宮
東西・南北ともに1 kmの東側に、東西250m,南北750mの張り出し部を持つ平城宮の周りには大垣がめぐらされ、朱雀門をはじめ12の門が置かれた。平城宮に入ることができたのは、皇族や貴族、役人や使用人など、ごく限られた人々でした。

平城京の中心・平城宮は、政治・儀式の場である大極殿・朝堂院、天皇のすまいである内裏、役所の日常的業務を行う官衙や宴会を行う庭園など、都を治める官公庁が集まった一画で、現在朱雀門・大極殿が復元され、その間に位置する南門が復元中で2023年完成予定です。

朱雀門広場には、遣唐使船(全長約30m、全幅9.6m)も復元され、鑑真もこの小さな船で僧尼が遵守すべき戒律を伝えるため来日されたことを思い、鑑真のその熱意と覚悟のほどを思わされました。
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OSAKAシティウオーク第1回

2020年10月19日 | 大阪シティーウオーク
昨日、大阪市内の史跡名所を巡る恒例のウオーキングのOSAKAシティウオーク第1回に参加。
コースは、
長居競技場⇒山坂神社⇒法楽寺⇒桃ヶ池公園⇒安倍清明神社⇒阿倍王子神社⇒万代池公園⇒住吉大社⇒長居公園
の約11キロ。

長居競技場の中からマラソンゲートをくぐりスタート。
すぐに庭先に植えられたキンモクセイの良い香りがし、今日一日よいことがありそうな気分でウオーク開始。

最初の史跡の天穂日命を主祭神とする山坂神社(田辺神社とも称される)から三重塔と樹齢800年を超える楠を有する法楽寺は、田辺神社とも称される山坂神社とともに地元田辺に古くから信仰を集めている。

聖徳太子が、地元民に災いをなす大蛇を退治する際腿まで浸かったとの言い伝えを持つ桃ヶ池公園。この公園は小学生低学年のころ父と二人でキャッチボールをした思い出があります。今も残る蓮池の水面を覆う蓮の成長と蓮池のの向こうにそびえるハルカスが望め、70年ほど経っていることを知らされます。

松虫通を西へ進み阿倍野筋を南下、陰陽師安倍晴明を祀り晴明生誕地と伝わる安倍晴明神社から仁徳天皇創建で熊野詣の最初の熊野王子社の阿倍王子神社に参拝。

尚も南下、ほぼ中間地点の万代池公園着。万代池公園は、不思議な魔物が住み人々を悩ませていたが聖徳太子が四天王寺から僧を遣わし曼荼羅経をあげさせたところ魔物は現れなくなったとの伝承があります。そこから住吉大社を目指します。

住吉大社は、航海の神・祓いの神・歌の神として古くから崇敬されており、急カーブの太鼓橋で著名。境内南側のお田植祭りが催される田では黄金入りの稲穂が重く頭をたれていました。
お田植祭りの行われる当社の御田は神功皇后が水田を設けたことに始まるとされ、五穀豊穣に関わる神聖な行事が現在でも厳格に伝承されています。

ここまで来ますとゴールは間近、長居公園通りを東へ。
スタート地点の長居競技場着12時10分、約2時間のウオーキングで気持ち良い汗をかきました。

弁当持参の相棒と待ち合わせ、青空に浮かぶ秋の雲を見上げ、心地よく疲れた足を休めながら美味しく頂きました。
やはり広い公園の大きな樹木に囲まれてのひと時は本当に気持ちよく、デザートの大福もいただき相棒とともにご機嫌でした。
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青虫

2020年10月17日 | 鳥・昆虫
昨朝、相棒が「毛虫!!」の大声をあげて、食卓上のコスモスを見ています。
見ますと、3センチ弱の青虫がコスモスの花の真ん中の黄色い花粉部分に頭を突っ込んで、朝食の真っただ中です。
その花の下には、1ミリくらいの黒い糞も落ちています。
どうやらコスモス畑からコスモスの花に乗っかってきたようです。

しばらく経って見ますと、花粉から頭を出してもぞもぞ動いており、花の裏側から茎を伝って移動を始めました。
新しい花を求めての移動でしょうか。

動き始めると結構早く歩き、新しい花の花粉にまで無事到着。早速花粉に頭を差し入れ食事の再開(写真上右)です。

相棒はすぐ処分してほしそうですが、調べてみますと、「シロチョウ」の仲間のスジグロシロチョウ(写真上・フリーソフトから)の幼虫ではないかと思われ、私は、しばらくこのままにしておこうと思っています。
多分サナギになる前にはコスモスが枯れるでしょうが、その時には公園の緑に移してやるつもりです。
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穂谷コスモス畑

2020年10月14日 | 風景
昨日朝、相棒にコスモスを見に行こうと提案。大阪近郊のコスモス情報で枚方の穂谷コスモス畑へ。

京阪枚方市駅からバスで穂谷へ。
車窓からはビルの立ち並ぶ風景から民家の街並みへ移り、そのうち人家もまばらになり畑等が見えだし終点の穂谷到着。

徒歩数分で刈り取りの進む田んぼが開けその先からピンク色のコスモス畑が広がっています。
農道の両側に広がる田畑、その間で咲くコスモス畑が点在しています。一枚の田んぼが広くてコスモスも見ごたえがあります。

ちょっと先で集まっている人垣、近寄ってみますと枝豆と小芋畑で収穫されている農家のご夫婦から枝豆の株を購入し枝豆を取り込む作業をされていました。
私たちも小芋を収穫中のご主人に小芋を分けてくれるよう依頼、ここの小芋は親芋も食べられる、と言いながら収穫した小芋をビニール袋に入れていただきました。代金はと聞きますと奥さんに聞いてくれ、と会計は枝豆を刈り取る奥さんが担当のようで、枝豆と合わせての代金を支払いました。

コスモス畑の畝に腰を下ろし青空の下でコスモスの花、黄金色の稲を見ながらお弁当を美味しく頂きました。
コスモスは10本100円と格安、10本刈り取り湿らせた手ふきにくるんで持ち帰りました。

刈り取ったコスモスはすぐにしおれだし、帰宅時には見るも無残な状態に、すぐにバケツの水につけました。
数時間で相棒から元気になってきたと、花瓶に生けなおし食卓に飾りますとコスモスの香りが部屋中に広がり、相棒から豪華、きれいと感嘆の声が上がりました。

コスモスは、茎が倒れてもまたそこから発根する丈夫な花であるとのことで、納得しました。
夕食には、小芋も枝豆も食卓に上がり美味しく頂きました。

コスモスはギリシャ語でメキシコ原産、和名は秋桜。
秋桜は、「あきざくら」と読みのが正しいのですが、現在は「コスモス」と読むのが一般的です。それはさだまさしさん作詞作曲の「秋桜」(山口百恵さんが歌って大ヒット)でコスモスと読ませたのが最初の様です。
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