大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

奄美4島めぐり雑感

2018年03月24日 | 奄美・島めぐり
3月6日から11日まで奄美・島めぐりに、相棒と共に行って来ました。
思いもかけなかった「抜港」に遭い、予定より1日延びましたが天候にも恵まれとても楽しい旅でした。

旅行中、奄美の自然にも多く触れることができ、珍しいもの、美しいものに色々出会いました。
中でも一番印象に残ったのは、エメラルドグリーン・奄美ブルーの海の色の美しかったことと、私にとっては黒糖焼酎の美味しかったことでした。
写真の黒糖焼酎は、徳之島寄港時息子の勤務先の方から頂いたお土産です、美味しく頂きました。

自然を中心に思い出すまま記録したいと思います。

奄美4島は、亜熱帯性気候で産業は基本的に農業が主でサトウキビによる黒糖と黒糖焼酎は全ての島の中心である。また、風光明媚の利点を生かし観光にも注力している。
但し、奄美大島はクロマグロ・徳之島はキハダマグロ等の漁業も盛んです。
台風の影響は、家屋の屋根が低いこと・ソテツも大阪のように4~5m位に成長することなくせいぜい2m位までにとどまっているようでした。

      面積   人口   自治体     地盤   ハブ  特徴    その他
奄美大島 713㎢ 63千人 1市2町2村 火山島  棲息  大島紬  アマミノクロウサギ
徳之島  248㎢  25千人  3町     火山島  棲息  闘牛  アマミノクロウサギ
沖永良部島 94㎢ 14千人 2町     サンゴ礁 いない 鉄砲百合 日本一のガジュマル 
与論島   21㎢   5千人  1町     サンゴ礁 いない モズク  信号1基のみ

植物は、ソテツ・アダン(通称タコの木、写真上)・モンパ(写真下)・木麻黄・芭蕉の木は4島共通して見られました。

また、花は、ブーゲンビレア・ハイビスカス等南国の花のほか大阪でも見ることのできる鉄砲百合・スミレ・タンポポ等も多く見ることができました。
蝶は、シロオビアゲハです。

南国のフルーツであるパパイヤは青く硬いうちに収穫し漬物で食べられ、熟したフルーツとしては子供だけが食べているようです。

動物はキジを畑で見かけましたが、その他はほとんど見ることはできませんでした。
ハブを捕まえて役所へ持って行くと3000円の報奨金があるそうですが、住民だけです。
ホテルの方から、捕まえたハブの皮をスマホに張り付けておられるのを見せて頂きました。

ホエールウオッチングは、ザトウクジラが4島周辺を回遊していますので共通して楽しめるそうです。

自然いっぱいの奄美・島めぐり、相棒と共に忘れることのない楽しい旅となりました。

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奄美大島

2018年03月20日 | 奄美・島めぐり
3月11日、奄美・島めぐり六日目(最終日)、小鳥のさえずりで目が覚めました。時計を見ますと午前4時過ぎ、夜明け前のうすぼんやりとした明るさでは、とても鳥を見つけることはできませんので、もう一度ベッドへ。
その後も鳴き声は止みません。
太平洋から上る雲間の日の出を鑑賞。

朝食を済ませた後、出発の9時までの時間を利用してホテル前の海岸沿いを散策。
全く人の気配のない海岸沿いには、私達の眠りを覚ませた鳥の鳴き声が響いています。
土盛(ともり)海岸の美しい砂浜・遠浅なのでしょうエメラルドグリーンの海面・その海面にはネッシーのごとき怪獣?、と見えたのは波によって削られた岩でした。

ホテルに戻って鳴いていた小鳥の名前を聴きますと、イソヒヨドリではないか、と。
私の撮った小鳥は、メジロ(写真下右)でした。
イソヒヨドリの写真(下左)は、You Tubeから拝借しました。

本日の行程は、
あやまる岬・ソテツの道⇒大島紬村⇒奄美大島空港(12時15分発)

あやまる岬・・奄美十景の一つ。奄美の乙女たちは正月になると、赤、青、黄など色とりどりの糸で刺繍した手鞠をついて遊びます。この岬一帯のなだらかな地形がアヤに織られた手鞠によく似ていることから、いつの頃からか「アヤマル」と呼ばれるようになり地名になったそうです。

ソテツの道・・奄美各地には、以前食糧にしてきたソテツが多く自生している。殆どが山や赤土に群生しているが、このあやまるのソテツは砂地に群生している規模としては奄美一である。

大島紬村・・日本を代表する絹織物。約1300年の歴史を誇る日本の伝統的工芸品です(734年聖武天皇の頃、奈良東大寺献物帳に褐色紬の記載あり)。本場奄美大島紬の代表的な染色方法である泥染めは、絹糸に独特の美しい黒い光沢与えます。
専門のガイドさんに伴われ工場を見学しましたが、聞けば聞くほど製作にあたっての根気のいる作業の繰り返しには驚き、その工程が価格に反映されていることが理解できました。

見学後、皆さんの乗る便ごとに分かれます。
伊丹への直行便に乗るのは私達だけ、鹿児島経由の方達と共に空港へ。
便の遅い方達は昼食会場から次の見学地へ。

予定通り伊丹着、4泊5日の予定が抜港により徳之島観光ができなかった分、沖永良部島に3泊しお蔭で「せごどん」のロケ地に行くことができました。
5泊6日の奄美・島めぐりの旅は、天候に恵まれ美しい海・緑一杯の自然(後日投稿)・美味しい黒糖焼酎と料理等を満喫。相棒共々ご機嫌の旅になりました。
ご一緒頂いた方々、素晴らしい案内をして頂いたガイドと各ホテルの皆様、お蔭様で本当に楽しい旅になりよい思い出がいっぱいできました。
有難うございました。
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沖永良部島(3)

2018年03月18日 | 奄美・島めぐり
3月10日、沖永良部島三泊後の朝、この島の主な観光地は殆ど巡ったと思われますので、添乗員が昨夜言ったミステリーツアーの言葉は苦し紛れの上では、と思っていました。
三泊もしたお蔭で仲居さんとも仲良くなり、相棒は仲居さんとパチリ。

ミステリーツアーに出発。
行先は、現在NHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」の奄美大島に流され牢屋生活や島の人々との交流の場面等の撮影がこの島で行われていて、昨日で撮影が終わったそうです。
そこで昨日まで撮影されていた現場を見学するとのこと。

撮影班は、主人公の鈴木亮平さんをはじめ皆さん私達と同じホテルに宿泊をされていて、何人かの方はホテル内で会われていて握手をされた方もおられました。
私は、奄美大島の役人土持政照の母、鶴役の大島容子さんにお会いしました。

ということで、車中は喜びの声が上がりました。

撮影現場は二カ所あり、一カ所は、とある浜(西側の海岸)・とあるサトウキビ畑で行われセットの写真は放映(5~6月頃)が済むまで絶対に公開しないように、との条件付きで見学と写真撮影が許されています。
ロケ地としてこの場所が選ばれたのは、奄美大島にはない自然が残されていたことと知名町の皆さんの熱心な勧誘があったからのようです。

浜では、牢屋・見張り台・苫屋等のセットを間近に見学し、見張り台に上った方もおられました。
私は、牢屋には入れて頂き囚人の体験をしてきました。

サトウキビ畑では、黒糖を作るためのサトウキビを絞る器具、その汁を煮詰めるかまど等を見学しました。

浜では撤去作業が始められていて、今日でなければ見ることのできなかったセットを見ることができ皆さん大喜び。セットの写真が掲載できず残念です。
5~6月の放映が楽しみです。

昼食会場へ向かう途中、住吉暗川と高床式倉庫へ。
暗川(クラゴー)とは、地下水の汲みとれるところのことで、この場所は草木の生い茂った薄暗い場所を下ったところにありました。
高床式の倉庫には、柱が4本・6本・9本のものがありこの地の倉庫は9本柱で食物等の保管は2階に、1階では寛ぎの場所として利用されていたそうです。

昼食会場へ。
なんと、昼食は今朝さよならをしたホテルの別館に到着しビックリ。
海に面した会場での昼食を終え、出発まで鯨ウオッチング。
本日11時30分頃にホテルの前を通っていったそうで、残念。
下の鯨の写真は、翌日ホエールウオッチングに出掛けた息子から送ってもらったものです。

昼食後和泊港へ。
14時40分発のフェリーで徳之島新亀徳港経由し奄美大島名瀬港へ(20時45分着)。
乗船後船室で一服しロビーへ。
隣の椅子には外人の親子、珍しく相棒から話しかけたところフィンランド人で、娘さんがスカラシップを利用して沖縄の大学で日本語を学びこの度卒業されたことからご両親が日本に来られ、これから鹿児島から名古屋を観光されるそうです。相棒は、ご主人から発音の良い事を褒められご機嫌でした。

今回のツアーは徳之島に一泊できるから参加したのですが、強風という自然の力にあらがうこともできません。
予定の徳之島一泊の際息子と夕食を共にし島料理をご馳走してもらう予定でしたが、沖永良部島で抜港に遭い徳之島は通過と思っていた相棒は落ち込んでいましたが、徳之島の新亀徳港寄港の10数分を利用して息子に会うことができ大喜びで抱きついていました。

奄美大島名瀬港には35分遅れの21時20分着、一日遅れで予定のホテルに泊まれずバスで約1時間の空港近くのホテルまで移動。
夕食は船内で済ませていますので、お風呂に入って就寝。
本日の歩数計10012歩。
今回の旅も明日で終了、奄美大島観光が楽しみです。




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沖永良部島(2)

2018年03月15日 | 奄美・島めぐり
3月9日、本日も船は来ませんので一日沖永良部島観光です。

行程は、島の特産品シマ桑茶工場見学⇒同芭蕉布工房見学⇒昼食⇒ジッキョヌホー⇒ワンジョビーチ⇒国頭岬⇒ほおらしゃ市⇒ホテル泊(三泊目)

ホテル発10時、予報気温17度、天候は晴れ。
出発までを利用してホテル周辺の高台にある金毘羅さんを祀るはみやま神社から海岸線へ散歩、途中この地方特有の赤瓦で屋根の低い民家も見ることができました。。
今日も元気で皆さんと共に観光へ。

シマ桑茶工場・・昔、島では養蚕が盛んであったが徐々に衰退、残った桑の木の有効活用を検討。年中葉をつける桑の葉はミネラル・ビタミン・ポリフェノール等多く高栄養であることが判明、有機栽培によりお茶・青汁として再生されることとなった。(写真上は桑の葉と粉砕機)

芭蕉布工房・・島に自生する良質の糸芭蕉の繊維を取り、染料も島の草木だけを用いた手織りの伝統工芸品です。伝統工芸士長谷川千代子さんの解説を聴きながら案内をして頂き、何段階もの手作業を経て完成していることがよく理解できました。平成16年天皇陛下をお迎えした際、鹿児島県知事より贈られた記念アルバムの表紙にここの芭蕉布が使われました。
また、西郷(せご)どん役の鈴木亮平さんが着用された芭蕉布の着物(写真下左)も見せて頂きました。

毎回の食事が同じにならないように工夫された地元料理の昼食。
こちらではまず吸い物を手にとり、食べ終わるまで置いてはいけない、というルールがあるそうです。

ジッキョヌホー・・昔の島民の水源で島内に数十カ所あり、そこを中心に集落を形成し井戸端会議が盛んで情報の発信源でもあったようです。平成の名水百選。ジッキョとは意志強固・ホーは川の意だそうです。

ワンジョビーチ・・砂浜のきれいな海水浴場で4月中旬には屋子母ビーチと毎年交互に海開きが開催される。
本当に美しい砂浜で遠浅のビーチは海水浴にぴったりでしょう。

国頭岬・・明治の世の頃、沖に光る石を見つけアダン(タコの木)の根元に置き、その石を枕に眠っていると夢の中で「わしは崎原の神である、今日は大漁にしてやろう」とのお告げを受け事実大漁となった。神の石に違いないとしてお祀りしたところ、国頭は不作続きであったが豊作が続いたので、岬大明神として祀ってきた。

ホテルに戻り大浴場で疲れを落とし、黒糖焼酎で英気を養い、あと一日沖永良部島を楽しみましょう。
とはいうものの狭い島ですから観光するところもないのでは、と思っていましたら、添乗員から「明日はミステリーツアーです、お楽しみに」と。
楽しみにして、バタンキュー。
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沖永良部島(1)

2018年03月13日 | 奄美・島めぐり
3月7日午後と8日午前で沖永良部島観光。

コース予定は、越山公園⇒世之主の墓⇒田皆岬⇒昇竜洞⇒沖永良部島泊⇒ウジジ浜⇒日本一のガジュマル⇒フーチャ海岸⇒笠石海浜公園⇒昼食⇒西郷南洲記念館・西郷神社⇒沖永良部酒造⇒(フェリーで徳之島へ?)⇒和泊町歴史民俗資料館⇒ホテルへ

与論島から約2時間のフェリーの旅を終え沖永良部島着14時35分。
バスで越山公園へ。

越山公園・・和泊町でもっとも標高(188m)の高い位置にあり展望台から眼下の和泊町と風のため白波の立つ東シナ海を遠望。日本で一番早く(1~2月)花見の楽しめる緋寒桜の名所。
公園内には、昭和26年アメリカからの復帰運動が起き、当初は与論島と沖永良部島が除かれた案であったものを町民の熱烈な運動の結果、昭和28年12月25日に奄美群島が返還され、平成25年復帰60周年を記念した石碑がありました。


世之主の墓・・15世紀の島主「世之主加那志」の琉球式墓で隆起サンゴ礁の岩盤を彫りぬいて造られている貴重な鹿児島県文化財。墓には、本人・妻・嫡子を中心に周囲には四天王と称された家臣の遺骨が壺に納められている。

田皆岬・・東シナ海に突き出した岬は高さ50mの断崖絶壁でウミガメの産卵地(5千匹から1匹が成亀)としても有名。また、この地で産出された大理石は国会議事堂、皇居に使用されています。

昇竜洞・・全長3500m(内観光洞600m)、多くの大自然の彫刻の中でもフローストーン(流華石)の流れは全国最大級。


ホテル泊、美味しい食事に昨夜に引き続き黒糖焼酎を楽しみ、グッスリ。
夜明けが見事とのことでしたが雲が厚く見られませんでした。

ウジジ浜・・長い年月浸食された岩の造形美と太平洋の穏やかで美しい海を楽しみました。
サンゴ礁の岩の波のかかる部分は大きくえぐられていて、サンゴ礁の岩の柔らかさを感じました。
(写真上右)

日本一のガジュマル・・国頭小学校の校庭にあるガジュマルは第一回卒業生によって明治31年に植樹された。大きく枝を広げたその姿は息を呑む美しさです。昨年天皇皇后両陛下が与論・沖永良部両島を訪問時この樹の前で児童と歓談されたそうです。町指定天然記念物。


フーチャ海岸・・潮吹き洞窟で有名で季節風や台風時には20~70mも潮を噴き上げる。
トゲトゲの岩の間を海岸線まで近づき、洞窟を上から見下ろし中で逆巻く豪快な波を堪能しました。

笠石海浜公園・・展望台からは穏やかな太平洋が望め、先ほどのフーチャ海岸から数キロしか離れていませんが、その風景、特に波の様子は一変し驚きです。(写真上左フーチャ海岸・右笠石海岸)

昼食後、自由時間を利用して西郷南洲記念館へ。

西郷南洲記念館・・島津久光公が幕府改革を迫るため京まで兵を率いて朝廷の勅命を受けようとの計画を立てたが、西郷から官職がない等意見されたことから久光の怒りにふれ薩摩藩の重罪人として沖永良部島に流謫された。その時の牢が再現され、入牢中には島民への教育等に力を注ぎ「敬天愛人」の精神を発想した。
南洲神社は、西郷隆盛を祀るため明治35年建立。

沖永良部酒造・・昭和28年、奄美群島がアメリカから返還された際に、黒糖を原料にしての酒類製造は酒税法で奄美群島(奄美大島、喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島)だけに認められることとなり、奄美の特産品として広く知られるようになりました。
試飲コーナーでは、度数の違う黒糖焼酎が壺に入れられており、何度でもお代わり自由。美味しくて何種類も試飲しました。また、今回の旅行中は、美味しい黒糖焼酎を味わい酔いざめの良い事を体感しました。

沖永良部島の観光を終え港へ。
港の近くでフェリーが入港してくるのが見え、私達はその船(14時40分発)に乗って徳之島へ行くつもり。
港に着きますと何やら様子が変、どうも船が着岸できないようで抜港です、と。
確認に走った添乗員、やはり強風のため着岸できません、徳之島には行けません。どうやら沖永良部島に連泊です。
初めて知った言葉「抜港」、意味は、何らかの理由で港を素通りすること。

ということで、昨日のホテルへ行く前に和泊町歴史民俗資料館へ。

和泊町歴史民俗資料館・・和泊町の歴史や文化、民俗の情報をとともに文化財も保存。
蛇味線は、三線( さんしん)とも呼ばれており、天然ニシキ蛇の皮、合成皮革を使用して制作され、その実物にも触れてきました。

その後、昨日さよならをしたホテルへ。
夕食時、昨夜給仕をして頂いた仲居さんと再会。抜港で大いに盛り上がりました。

翌日も船が出ないことを知らされ、黒糖焼酎をたっぷり頂きました。
焼酎とよく歩いたことで本日もグッスリ。
歩数計は、10932歩。








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