大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

イソヒヨドリ

2019年12月29日 | 鳥・昆虫
和倉温泉では、二日間で3回温泉に入り一年の疲れも取れました。
11時前、腹ごなしの散歩へ、和倉港には露天風呂の前を泳いでいたのと同じカモが数羽連れだってくつろいでいました。

足湯のある湯っ足りパークの芝生広場には、昭和6年に与謝野晶子が夫鉄幹と和倉温泉訪問時読んだ歌碑がありました。
『むかひたる 屏風が崎と嶋屏風 そのかなたにて 鐘の鳴る海』

その歌碑の後方の防波堤の上で「ピーヨピヨ」と良い声で鳴く青色の美しい鳥が止まっていました。
調べてみて、イソヒヨドリの雄であることが判明。

イソヒヨドリ(磯鵯)
ヒタキ科。
アフリカとユーラシア大陸に広く分布する鳥で、和名どおり海岸や岩山などで多く見られる。
ヒヨドリに似ていることからこの和名がついている。

日本での繁殖は、北海道では少なく本州以南には普通に分布し小笠原諸島、南西諸島などの海岸の崖地に生息している。

全長23cm。オスは頭から胸、背、腰までが青藍色で腹は赤褐色。翼と尾は黒っぽい。メスは全体が灰褐色で、背は腹より黒っぽく鱗模様が沢山あり図鑑で見るとヒヨドリのようです。

散歩の途中で、地物寿司の昼食を終えホテルへ。
バスで約6時間要しましたが無事帰阪。

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和倉温泉・御便殿

2019年12月28日 | 史跡
12月25日から一泊で相棒とともに和倉温泉へ。
新大阪からバス、好天の中出発。新名神・北陸道・のと里山海道を経て和倉温泉まで、スタートから渋滞に会い約7時間の旅でした。

名神では伊吹山、北陸道では、やや暗い日本海や遠くに雪に覆われた美しい白山の山並みを車窓から楽しめました。

到着後、和倉の名所である御便殿を見学に。

御便殿
天皇をはじめ皇族の方々が地方に行幸、行啓された際に、ご宿泊所や休憩所として設けられた建物。
現存するのは此処と島根県浜田市のほか数か所しかなく全国的に希少な建物である。

この御便殿には、大正天皇が皇太子時代の明治42年9月に行啓され、その後朝香宮殿下の他多くの宮家がお立ち寄りされている。
当時の建物は、和倉温泉の白崎山中腹の七尾湾を見下ろす風光明媚な場所に建設された。御座所は総檜白木造りで、殿下の休憩所であった本殿と廊下で繋がった随行者の控所である供奉殿の二棟でできていた。

現在は、和倉温泉の二カ寺、青林寺(写真上左)に本殿(写真上右)・信行寺に供奉殿が昭和51年に移築保存されている。
国の登録有形文化財。

見どころは、当時の技術の粋を集めて建設されたであろう本殿の御座所(写真上左)と格式高い「折上げ格天井」(虎斑の木目が見事な栃の木・写真上右)と供奉殿の短いわら束で丹念に磨き木目を浮き立たせた「うづくり」(写真下)の廊下は見事でした。

また、ケヤキと杉の夫婦木のある少彦名神社では、今年も健康で過ごせたことの感謝と来年も二人そろって健康に過ごせますようお参りをしてホテルへ。

御便殿では、各々内部の見学ができた上、丁寧にご案内をして頂きありがとうございました。
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帆船 「日本丸」

2019年12月24日 | 風景
先日、帆船「日本丸」が神戸港に入港、船内見学に行って来ました。

日本丸(二代目)
起工 昭和58年・進水 昭和59年・竣工 昭和59年。海技教育機構が保有する航海練習船。
帆装艤装設計から製作まで、総て一貫して我が国で最初に行い、我が国が保有した練習帆船の中で最大。
全長 110.09m・幅 13.8m・メインマスト高 43.5 m・最大搭載人員(実習生定員) 190(120)人。

初代日本丸(国指定重要文化財)は鹿児島商船水産学校の練習船「霧島丸」の遭難を契機として、1930年に建造され「日本丸」と命名。
二代目日本丸は50余年にわたって海の若人を育ててきた初代日本丸の代替船として建造。
(写真下・絵葉書)

日本丸の帆走性能は、初代日本丸をはるかにしのぎ、世界でも有数の高速帆船として世界の帆船の仲間入りをし、その年で最も帆走速力の出した帆船に贈られるボストン・ティーポットを受賞(3回)。

実習生の一日
6時30分起床・人員点呼、体操後船内各所の清掃。7時30分朝食。8時旗章掲揚、当直交代。8時25分航海実習。11時30分昼食。12時55分体操・機関系実習。16時30分夕食後座学。19時45分清掃、巡回。22時30分消灯。
航海中は24時間休まず船を走らせるため、午前、午後とも4時、8時、12時の4時間ずつの3交代制で仕事。

見学中、実習生の方々が質問に答えてくださり、最高時速19ノット(時速35キロ)・巨大な舵は4~5人がかりで操作し1回転で1度・時報の鐘(写真上右・真鍮磨き中)は毎正時と半に鳴らすこと等つまらない質問にも丁寧に教えて頂きました。
将来の海運業界を担う若者の真摯なまなざしに触れることができた貴重な時間をありがとうございました。
絵葉書と帆船カレーを購入して帰宅。


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ゆず湯

2019年12月23日 | 風景
昨日は、二十四節季の冬至。
北半球では一年で一番夜の長い日、この日を境に日差しが徐々に伸びて太陽が復活してくる日です。

冬至は、一年中で最も日照時間が短いので生命力を旺盛にするための信仰もあったようで、キリスト教のクリスマスの祝祭も冬至の祝祭に由来(ゲルマン人の冬至祭等)するそうです。
日本では、風呂にゆずの実を入れて入浴し南瓜を食します。我が家でもその習慣に従い、風邪を引かないようゆずの香りを楽しみながら温まりました。

冬至は、二十四節季の22番目で残る小寒と大寒が過ぎますと、迎えるのは立春(2月4日)。
寒いのもしばらくの間、今年こそ風邪を引かないように頑張ろうとの思いを強くしました。

カピバラ(来年の干支「子」の仲間)がゆず湯に入っているニュースが流れていました。



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初冬の庭

2019年12月18日 | 司馬遼太郎記念館
司馬遼太郎記念館の庭にも冬が迫ってきております。
今年の秋は暖かく、暖冬との情報が流れていますが、季節は間違いなく進み記念館の庭では落ち葉が降り積もる季節になっています。

落葉樹のケヤキ・クヌギ・コナラの大木に混じってドウダンツツジ・ニシキギ・バラ・カエデ等の小木も紅葉の役割を終え散り始めています。
そんな茶色に染まった庭の中で、サザンカ・ツワブキの花が彩りを添えています。

記念館では、企画展「『坂の上の雲』に見る武人の教養-広瀬武夫の“最期の手紙”にちなんで」を開催中です。
玄関前で今年最後の紅葉を楽しみ、冬は暖かいのがよい、と思いながら帰宅。

広瀬の手紙は明治37年3月7日付。幼なじみで京都・東寺の執事だった松永昇道からお守りを贈られたことに対する礼状で、その20日後に戦死した広瀬の最晩年を知る貴重な資料だ。流麗な毛筆で、お守りへの謝辞とともに、日露戦争の旅順港閉塞作戦における戦果などを伝えている。記念館が今年6月に東京都内の古書店から入手した。
企画展ではこのほか、小説の主人公である秋山好古、真之兄弟の書簡や、東郷平八郎、乃木希典、大鳥圭介らの書軸、山県有朋らの寄書などを展示する。達筆な筆跡から、明治期を生きた武人らの知性と教養が伝わってくる。(産経新聞記事より)

手紙や書を通して、当時の武人たちの教養の一端を感じとってもらえれば、という展示です。

(主な展示資料)
・広瀬武夫書簡(松永昇道師あて) 初公開 ・秋山真之書簡(広瀬武夫あて)(坂の上の雲ミュージアム蔵)

・司馬遼太郎書簡(島田謹二氏あて)初公開 ・自筆原稿『坂の上の雲』第660回「旅順総攻撃」 ・自筆原稿『「明治」という国家』第一章「ブロードウェイの行進」 初公開 ・自筆原稿『殉死』「第2部 腹を切ること」 初公開

・秋山真之 書軸(坂の上の雲ミュージアム蔵) ・秋山好古 扁額 ・東郷平八郎 書軸 ・大鳥圭介 書軸 ・乃木希典 書軸 
・島村速雄 寄書 ・山県有朋書 寄書  など。
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