大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

オオデマリとコデマリ

2023年04月30日 | 植物
先日、明石の住吉神社へ行った際、オオデマリに出会いました。
近所のマンションの庭では、コデマリが咲いていました。

オオデマリとコデマリ、花が手毬のような咲き方からテマリと呼ばれ、大きさが違うことから名前に大小がついているのかと思っていましたが、いろいろ違いがあることが判りました。

オオデマリ
レンプクソウ科ガマズミ属。3~6mほどの高さになる樹。日本原産のヤブデマリ(ガク咲き)の花がすべて装飾花(手毬咲き)になったもの。
雄しべや雌しべがなく花のように見えるのは、アジサイと同じ装飾花で球形の花序になって咲かせ、種子ができないので挿し木で増やす。
4・5月に直径7~10cmほどの大きさで、手毬のような形の白やピンクのを咲かせる。
花言葉は、「華やかな恋」「約束を守って」「天国」。

コデマリ
バラ科シモツケ属。1~2m位の花木。中国原産。
4から6月に3~5cmの五弁の白い花をつけ、黄色い雄しべと雌しべが目立つ両性花ですので種子ができる。
花言葉は、「優雅」「上品」「友情」。
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住吉神社の藤

2023年04月25日 | 史跡
先日、兵庫県立美術館へ行った際良い天気でしたので、明石市の魚住まで足を延ばして住吉神社の藤を見に行ってきました。
阪神電車魚住駅から徒歩5分、こんもりした森の中の住吉神社。
神社の前に広がる海の上に続く防波堤へ行くことができ、そこから神社を望みながら、さわやかな風を感じることもできました。

住吉神社
摂津の住吉神社の住吉の大神が「播磨の国に移り住まんと藤の大枝を流し流れ着いた地に我を祀れ」とお告げを出され、藤の木の流れ着いたこの地に祀られた。
写真下左海からの参道の常夜灯・写真下右楼門

神功皇后が新羅ご遠征の際立ち寄られたゆかりのこの地に雄略8年(西暦464年)4月初卯日に創建。
御祭神は、底筒男命・中筒男命・表筒男命(住吉大神)で、後に神功皇后を加えて四座としました。

以後、この地方の総鎮守社として古来より崇敬を受けてきました。
立派な楼門・能舞台(写真上左)の奥に拝殿(写真上右)がありました。

まず、お参りを済ませた後藤棚へ。
この藤の木は、当神社の御神木で明治中期中尾村の総代が藤の名木を探して献樹されたもの。

境内でeは、新緑の美しいモミジや満開のボタンを見ることもできました。
本日の歩数計13382歩。


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「恐竜図鑑」IN兵庫県立美術館

2023年04月23日 | 催事
昨日、相棒と兵庫県立美術館で開催されている「恐竜図鑑ー失われた世界の想像・創造ー」展へ。
阪神電車岩屋駅から徒歩数分、館の上にビニールづくりの大きなカエルが見えてきます。

恐竜の化石が見つかったのは、今から200年ほど前の英国、それをもとに復元図が描かれるようになったことで恐竜は急速に認知されるになった。

当初は、幼稚で事実誤認がありロバート・ファレンの「ジュラ紀の海の生物」(写真上左)が描かれたが、その後古生物美術にも写実主義が台頭し始め、解剖学的にリアリティーを欠いていた恐竜図が米国の棒物画家チャールズ・R・ナイトが描いた「ドリプトサウルス(飛び跳ねるラエラプス)」(写真上右)は、その時代の作品とは思えない迫真性と躍動感をもっている。

19世紀初頭に英国でイグアノドンなどの恐竜の化石が発掘され1851年のロンドン万博で復元図が展示されその存在は世界に知れ渡り同時に恐竜や太古の世界を表現する古生物美術が登場し写真では不可能な絵画ならではの表現でした。その後ジュラシックパークのような映画が登場するまではこうした絵画こそが人々の心をつかんできた。
写真上左イグアノドン・写真上中ブロントザウルス他・写真上右ティラノザウルス

恐竜の化石が発掘され、骨からその姿を想像していたころから学問が進み現在のような姿になるまでの変遷がよく判った展覧会でした。
子供の小さかったころ、恐竜のおもちゃで一緒になって遊んだことを相棒と共に思い出しながら鑑賞を楽しみました。
岩屋駅前の花壇では、紅白とピンクのヒラドツツジが満開でした。

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田辺観光協会からのプレゼント

2023年04月20日 | 催事
先日、白浜アドベンチャーワールドのパンダを見に行った際、闘鶏神社に参拝後ボランティアさんお勧めの近隣のお寿司屋さんで昼食。
その際、お店の方から「あがら丼・あがら飯2022スタンプラリー」の応募券を頂きました。

帰宅後応募はがきを投函、17日に田辺観光協会から当選通知とともに小包が届きました。
応募したものが当選していたとのこと、中身は、RIPE PLUM JELLY(はたんきょうのゼリー)・熊野産赤山椒・熊野米・わかやまおかき・南高梅の梅干しの詰合せでした。

当日頂いたのは、あがら丼(新鮮な地物の海鮮丼)で美味しく頂いた上に、地元の名産品を送っていただきました。
「あがら」というのは、この地方での「私たち」という意味だそうです。
娘夫婦たちとの楽しかった旅を思い出しながら相棒と共に、これからゆっくり頂いていこうと思っています。
田辺観光協会の皆さん、有難うございました。
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葛井寺の藤・辛国神社

2023年04月16日 | 史跡
本日、相棒と共に近鉄南大阪線の藤井寺駅から徒歩数分の藤の名所である葛井寺とすぐ近くの辛国神社へ。

例年藤は5月の連休頃が見頃でしたが、今年は桜と同様に藤の開花も早いようです。
西国5番札所の葛井寺は、一駅先の土師ノ里駅に住んでいた時、幼稚園児の長女と遊びに来たことを思い出しました。

境内には立派な藤棚が数か所設えられていて、藤色のほか白やピンクの花が青空の下で満開を迎えていました。

また、本殿の前には旗掛けの松があります。
楠木正成が湊川の戦での死後、1347年に息子の正行、正時、正儀が境内松の樹に『非理法権天』の旗を掛け、秘策を練り十倍の細川顕氏軍に大勝したという藤井寺合戦があった。これによりこの松は「旗掛けの松」と呼ばれるようになった。

藤の花を堪能後、辛国神社へ。

辛国神社・・日本書紀の雄略天皇13年に領地を賜った物部氏が祖先である饒速日命を祀ったことから始まる。「辛国」という名称は、かつてこの地を治めていた物部氏の一支族であり、役小角の弟子であり呪術者の韓国広足を輩出した辛国連に由来している。

境内には、伊勢神宮遥拝所・春日稲荷神社等もあり、径10cm超の大輪の椿があちこち美しく咲いていました。
道中では、紅白のハナミズキの花が美しく咲き出していて、相棒と共に出かけてきてよかったの思いを感じながら帰途に。
コメント (2)
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