大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

ワッハ上方・講談会

2023年08月20日 | 伝統芸能
昨日、難波の「ワッハ上方」へ久しぶりに出かけました。
「ワッハA講談会」が催されており、素人の講釈師3名の熱演を聴いてきました。

演目は、「播州皿屋敷」(天神堂梅英)・「お紺殺し」(天神堂梅太)・「耳成し芳一」(天神堂一葉)。
各々素人離れした講釈ぶりで久しぶりの講談を楽しませていただきました。

終了後、会場であったワッハ上方の常設展示場を観賞。

入り口には、桂文枝のビデオがお出迎え、展示場には昔懐かしい落語家、漫才師、松竹新喜劇の面々等の展示があり、桂枝雀、ダイマルラケットや藤山寛美の話芸や演技にテレビの前で笑い転げたことを懐かしく思い出しました。
下は、ワッハ上方殿堂入りされた名人の方々。

難波界隈は、中国観光客等が一気に目立っていました。

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安倍晴明墓所

2023年08月14日 | 史跡
先日の嵐山鵜飼いの際、渡月橋から北東方向に数分のところ(長慶天皇陵南側)の静かな住宅街の一角に「安倍晴明墓所」がありました。
墓域はきれいに掃き清められ、新しい墓碑の文字も読めました。

安倍晴明は、賀茂忠行・保憲父子に陰陽道・天文道を学んで天文博士になり、朱雀天皇・村上天皇・冷泉天皇・円融天皇・花山天皇・一条天皇の側近として仕え、安倍家を賀茂氏と並ぶ陰陽道家にした。その後1005年(寛弘2年)に85歳で亡くなり、嵯峨に葬られたとも言われています。
墓石には、五芒星が刻まれています。

墓所は、かつて天龍寺の塔頭である寿寧院の境内にあったとも言われています。ちなみに寿寧院は貞治年間(1362年~1367年)に臨済宗の僧・龍湫周沢が創建し、臨川寺の子院でした。その後荒廃し昭和47年に晴明神社が神道式に改修・建立しました。

清明神社は、京都堀川や大阪の阿倍野区にもあり日本全国にあるようです。
晴明の墓所も晴明塚として全国にありますが、「晴明塚」として中世よりあったとされているこの場所が「安倍晴明墓所」として公式に認められているようです。
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嵐山の鵜飼

2023年08月12日 | 風景
久しぶりの長男の帰阪、大張り切りの相棒。
昨日、長男と四天王寺へのお参りを済まし、午後からは3人で京都へ。

京都駅から山陰本線で馬堀駅へ、トロッコ亀岡駅からトロッコ列車に乗り換え終点のトロッコ嵯峨駅着。
車中からは保津川の急な流れや瀞の部分を青葉越しに見下ろし、又山陰本線の保津峡駅が遠く望めました。
トロッコの走っている間は、保津川沿いの川風が涼しく大変気持ちよく乗車できました。

嵐山渡月橋近くでの夕食まで少し時間があるとのことで、途中安倍晴明のお墓へ立ち寄り。
夕食を終え、大堰川の鵜飼会場へ。

屋形船に乗船し上流の会場で川中の大きい岩に係留、鵜飼の始まるのを待ちます。
日も傾き夕闇の迫るころ、上流の鵜飼船のかがり火に火が入り、鵜飼の開始です。

細長い鵜飼船に鵜匠、船頭、補佐の3人が乗船し、舳先のかがり火近くで6羽の鵜を操る鵜匠の巧みな手綱さばきの下で魚をくわえた鵜を船に引き上げ喉から魚を出させます。
その都度、見物客からは歓声が上がり鵜匠たちの励みになったことでしょう。

少し会場を下流に下ったところで、二度目の鵜飼ショーが始まります。
1時間ほどでしたが、涼しい風を受けながらの鵜飼のショーを十分に堪能しました。

嵐山鵜飼い・・・平安時代にさかのぼる由緒正しき鵜飼いで、屋形船上から見ることができます。船べりをたたく音を鳴らしながらかがり火を灯した鵜飼船が近づいて来てくれるので、鵜が漁をする様子や鵜匠の手綱さばきも近くで見る事が出来ます。船上での鵜飼い見物は平安貴族の風雅な趣そのもので、景勝地ならではの醍醐味です。

阪急嵐山駅から帰宅、久しぶりの夜遊びを楽しんだ相棒はあちこちで長男とのツーショットを要求、大いに楽しんだようです。
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