大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

てんのじ寄席

2018年04月30日 | 伝統芸能
4月27日、てんのじ寄席。
早めの夕食を済ませて6時30分開演の四天王寺へ。

本日の演者と演目は、
壱席目 桂慶治朗 「新作落語・国営のぜんざい」
弐席目 桂ひろば 「天災」
参席目 桂三弥  「権助魚」

いつもの会場の五智光院は満席。
開演前の注意事項を山岡勝鬘院(四天王寺支院)住職が説明するのですが、巧みな話術で場内は初笑い。
前座役を果たされ席が温まった所で開演。

桂慶治朗さん(師匠桂米団治さん)の国営のぜんざいは、国営のぜんざいを初めて食べてみようと申し込み、現在のお役所のたらい回しを彷彿とさせる噺に会場は大笑い。

ホスト役の桂ひろばさん(師匠桂ざこばさん)、短気を戒める例え話が段々身近かになり、最後は天のする事には逆らえないと納得。そのやり取りに爆笑を誘う話術の巧みさにさすが落語家を思わせます。

トリを務めた桂三弥さん(師匠桂文枝さん)は、旦那の浮気を疑うおかみさんが奉公人を買収して旦那の行先を突き止めようとする、が旦那はそれを察知し倍額で買収し大川での網を打っていたことにしようとして、土産の魚を魚屋で買って帰らせる。買って帰った魚が、めざし・ちりめんじゃこ・たこ・かまぼこ等でおかみさんにばれてしまい、「へたを打った」との落ちに大爆笑。

三席とも、とても楽しく大笑いの落語会に相棒も終始笑っていました。
まだ、時々落ちが判らないようですが落語の楽しさが判ってきたようで、「楽しかった」との感想。

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ネモフィラの海

2018年04月29日 | 風景
4月27日、鶴見緑地公園へ。
相棒から鶴見緑地公園でネモフィラが咲いている、とのお誘い。
以前、娘から国営ひたち海浜公園(茨城県)のネモフィラの写真が送られてきて、すごくきれい、と感激していた相棒が思い出し見てみたかったようです。

公園内の風車の丘へ向かっていますと、相棒が園内電気バスを見つけ乗りましょう、と。

風車の丘には、手前の一部にマリーゴールドの黄色い絨緞。
その他の斜面には、水色の海が広がり頂上の風車が海の向こうに浮かんでいます。

ネモフィラの海を十分に堪能してバラ園へ。
バラの開花はまだ早いか、と思っていましたが、案に相違して色とりどりに咲いていました。

色々な花を見て楽しんでいる近郊の保育園・幼稚園・小学校の子供達の歓声を背に、帰りも園内電気バスを利用して帰途に。
相棒と共にご機嫌なひと時を過ごすことができました。



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第3回・古代をたずねる城陽ぶらり歴史旅

2018年04月24日 | 和食の歴史でめぐる飛鳥・奈良・京都
4月20日、「和食の歴史でめぐる飛鳥・奈良・京都」の第3回「古代をたずねる城陽ぶらり歴史旅」へ。
行程は、近鉄京都線久津川駅⇒芭蕉塚古墳⇒久津川車塚古墳⇒丸塚古墳⇒芝ヶ原古墳⇒正道官衙遺跡⇒久世神社⇒久世廃寺跡⇒平川廃寺跡⇒昼食⇒久津川駅

本日の参加者26名が歴史街道の担当者、地元ボランティアガイド及び城陽市職員と本日の解説を担当して頂ける学芸員と共に晴天の中9時出発。

芭蕉塚古墳・・5C中頃築造、全長161mの前方後円墳。南山城地域を支配していた有力者の墓。


久津川車塚古墳・・5C前半築造、全長272m・墳丘長180mで二重の周濠を持つ山城地域最大の前方後円墳。葺石・埴輪を出土し埋葬施設の長持型石棺からは銅鏡7面・鉄製武器・武具等副葬品も出土され南山城地域を支配した大首長(栗隈氏?)の墓。

丸塚古墳・・5C前半築造、全長104mの帆立貝型前方後円墳。大型家形埴輪が出土。久津川車塚古墳の被葬者を支えた有力者の墓。

芝ヶ原古墳・・3C前半築造された前方後円墳。木棺からは四獣鏡・玉類や銅釧(腕輪)が出土。
現在は墳丘を復元し広場として利用されている。(写真上右)

正道官衙遺跡・・奈良時代の整然と配置された掘立柱建物群が発掘され、山背国久世郡の郡役所跡と推定。現在は庁屋・副屋・南門を復元整備、万葉集に詠まれた樹木を植栽し遺跡公園として利用されている。

久世神社・・当地の産土神。祭神は日本武尊命。日本武尊の妃は土地の豪族栗隈氏の娘。

久世廃寺跡・・7C創建の寺院で塔を東、金堂を西に置く法起寺式の伽藍配置。現在跡地は久世神社の境内地として保存。(写真上右・塔跡)

平川廃寺跡・・8C造営の寺院で塔を西、金堂を東に置く法隆寺式の伽藍配置。現在は、塔跡と金堂跡を保存。

相棒にあまり好かれていない古墳めぐりでしたが、素晴らしい天候の中でしたので相棒もご機嫌のウオーキングでした。
昼食は京料理の老舗八百忠で地物のタケノコや梅を使った和食御膳を頂き、美味しそうなご馳走を前に、つい日本酒を注文。

本日巡った城陽北部は京都府内最大の古墳群であり、古墳時代には京都市を含む山城国の中心地でした。
往時を偲び解説を聴きながらのウオーキング、大変楽しいものでした。有難うございました。
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河内長野の国宝を訪ねて

2018年04月19日 | 高齢者大学
4月17日、河内長野の金剛寺の国宝の仏像拝観へ。
河内長野在住の歴考仲間N氏に拝観の相談したところ、同時に観心寺の国宝もご開帳しているとの連絡があり、歴考同好の志(10名+相棒)とともに出掛けました。

我々は、N氏の企画通りの難波駅9時30分発の電車に乗車、新今宮駅、天下茶屋駅からの乗車組と共に河内長野でN氏と合流。
本日の行程は、河内長野駅⇒観心寺⇒河内長野駅にて昼食⇒すだれ資料館⇒金剛寺⇒河内長野駅。
移動はバスでN氏手配の一日乗車カードを利用。

観心寺・・飛鳥時代後期(701年)役行者の開創。平安時代空海が如意輪観世音菩薩像を彫刻され本尊とする。
如意輪観世音菩薩像は国宝で、榧の一木造、像高108,8cmの彩色像,手が六本で各々思惟、如意宝珠、念珠、山、蓮花、輪を持ち表している。
楠正成の菩提寺。
(下中の写真は復元想像図・下右の写真はウイキペディアから)

本尊のご開帳は、毎年4月17・18日のみで多くの参拝者が詰めかけています。満員の金堂(国宝)では約30分間の僧の解説が終わった所で前列の方と交代し解説をお聴きしました。
僅かに彩色の面影の残る片膝坐りの仏様は美しく、制作当初の鮮やかさが偲ばれました。

解説の中で、金堂内にある鎌倉時代の大随求菩薩像絵(重文)について、ご真言「オンバラバラ サンバラサンバラ インジリア ビシュダニ ウンウン ロロシャレイソワカ」を唱えれば、現世での悪行は減罪されるご利益がある、とのことでした。あの世に行くまでに覚えたいものです。

霊宝館内にも重文指定の仏像が30体ほどあり、歴史を感じることが出来ました。

河内長野駅に戻って昼食。天野山バス停でボランティアガイドのF氏(元歴考仲間)と落ち合い、金剛寺門前のすだれ資料館と金剛寺をご案内頂きます。

すだれ資料館・・簾と呼ばれる由来は、①簀垂れから起こった説②住むところの巣の出入り口に垂れ下げて風雨邪気を避けたことから起こった説がある。
わが国では崇神天皇のころには簾があったそうです。記録としては7世紀中頃万葉集に登場。建物に壁が作られるようになるまで障壁用具として、また王権を維持するのに欠かせない調度品であった。
当地の「大阪金剛簾」は経産省指定の伝統的工芸品として認定され技術の保持に努めている。

金剛寺・・行基が聖武天皇の勅命により開創。のち弘法大師が密教修練された霊域。その後衰退したが平安時代末期、後白河法皇と皇妹八条女院の帰依を受け、阿観上人が復興。特に八条女院が高野山より弘法大師御影を賜り御影堂に奉安し女性の参拝を許したことから女人高野と呼ばれている。

境内の金堂・多宝塔・御影堂・食堂・鐘楼は重文。金堂内の木造大日如来坐像(像高3,1m・平安時代・作者不明)・木造不動明王(像高2m・鎌倉時代・仏師快慶の高弟行快の作)木造降三世明王(像高2,3m・鎌倉時代・行快の作)・は何れも昨年国宝に指定。この三尊の配置は尊勝曼荼羅を立体化したもので大変珍しいもの。

庭園は、室町期の創成で一面の杉苔の中に鶴島、亀島、枯れ瀧などを配した枯山水の庭ですが、緑が多く大変気持ちが良く落ち着いた感じを受けました。

以前、奈良国立博物館の仏像館にて降三世明王に出会った時には、すぐ目の前で見ることができその巨大さに圧倒されました。本日、三尊揃ったところを拝観できたことは大変素晴らしく感動したのですが、金堂内で且つ少し離れたところからでしたので小さく見えたのは意外でした。

久しぶりにお会いしたF氏もボランティアに精を出しお元気に活躍されており、皆さんと共に旧交を温めることが出来ました。
素晴らしい解説をありがとうございました。

雨に遭うことなく過ごせた事にも感謝しつつ、河内長野駅前で女性陣と別れティータイム。
今回の企画をご担当頂いたN氏およびご参加頂いた皆様、本当に有難うございました。




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安野光雅館・出石・天橋立

2018年04月18日 | 司馬遼太郎記念館
4月16日、司馬遼太郎記念館ボランティアバスツアーで「森の中の家・安野光雅館」へ。
毎年4月恒例のツアー、今年は司馬遼太郎氏の作品「街道をゆく」の挿絵を担当されていた京都久美浜の安野光雅館を訪問。

行程は、八戸ノ里駅前⇒近畿道・中国道・若狭舞鶴道等⇒出石散策・昼食⇒安野光雅館⇒天橋立。

80名を超える参加者が2台のバスに分乗、素晴らしい晴天の中7時50分出発。
車窓からは、葉桜となったソメイヨシノに代わって八重桜が満開、また新緑の濃淡が美しくパッチワークのように山肌を覆っています。

最初の観光地出石では昼食までの約1時間自由散策。
私は、稲荷台・本丸・山里曲輪を段状に配した出石城跡に上り出石の町を一望した後、城内の稲荷神社の朱色の鳥居を潜って下った後、家老屋敷・桂小五郎潜居跡・辰鼓楼を見学。

出石城・・慶長9年(1604年)小出吉英の築城。当時の城域は東西約400m・南北約350mあったが、明治元年に建物はすべて取り壊され、現在は隅櫓・登城橋・登城門が再建されている。
一国一城制による但馬唯一の城。
出石の皿そばのルーツは、宝永3年(1706年)出石藩主松平氏と信州上田藩主仙石氏がお国替えになった際、信州のそば職人の技法が在来のそば打ちの技術に加えられ誕生したもの。

家老屋敷・・白亜の土塀と長屋門のあるこの屋敷は出石城内に残る唯一の江戸時代の上級武士の居宅。一見平屋に見えるが隠し二階があり、また天井を低くしてあったりと不意の襲撃に備えた造りになっている。現在内部には、各種資料の他大名行列の諸道具が展示されている。

桂小五郎潜居跡・・蛤御門の変で敗れた桂小五郎(後の木戸孝允)が出石に潜み営んでいたとされる荒物屋の廣江屋跡、石碑が立つ。近くの昌念寺で囲碁を楽しむことが心の慰めであったとか。

辰鼓楼・・明治4年旧三の丸大手門脇の櫓台に時刻を知らせる太鼓を叩く櫓として建設。日本最古の時計台として親しまれている。

出石そば付の昼食後、メインの安野光雅館から天橋立へ。
天橋立では、観光船とケーブルカーにて笠松公園との二組に分かれて観光。

安野光雅館・・平成29年6月開館。建物は安藤忠雄氏設計建築で、杉板張りの外壁、外の自然を感じながら絵画を鑑賞できる展示室など、空間とともに安野光雅が描く繊細で柔らかな水彩画のような世界を楽しめます。
安野さんは天皇皇后両陛下の本を装丁した縁で2011年1月から12年4月にかけ御所の庭を訪れ、四季の草花をスケッチされ水彩で画かれた絵を「御所の花」として現在展示中。展示後は御所に献上のご予定。

天橋立・・日本海の宮津湾にある天橋立は、陸奥の松島・安芸の宮島とともに、日本三景とされている特別名勝のひとつ。 日本の白砂青松百選にも選ばれている。
幅は約20~170m・全長約3.6kmの砂嘴でできた砂浜で、大小約8千本もの松が茂っている珍しい地形で、その形が天に架かる橋のように見えることから天橋立の名が付いた。

安野氏は、原色や派手な色をほとんど使わない淡い色調の水彩画を描かれ、古都京都の寺社仏閣・街並み・祭り・風景等を描いた洛中洛外の絵は産経新聞に連載中で相棒と共に楽しく見させて頂いています。
天橋立では、ケーブルカーで笠松公園へ上り、股のぞき(写真上)で天に架かる橋を体感して来ました。
途中の丹後一宮・元伊勢の一社である籠(この)神社にも参拝。境内のシャクナゲが満開。

全ての観光を終え、朝掘りのタケノコ等を相棒のお土産に帰りました。
高速道路の渋滞もなく予定通り20時前には八戸ノ里着。
お世話頂いた皆様本当にお疲れ様でした。
お蔭様で楽しい思い出が出来ました、有難うございました。
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